第49話 片翼の王女と種族最強の戦士

「大丈夫か」

「!」

 毎朝、無意識に確かめてしまう。背中の右側。首筋の辺り。以前まであった筈の『翼』。魔力を込めなければ開かない特殊な身体。だがその右翼は、もう何をしても二度と広がらない。

「……はい」

 応えるが、その目は憂えている。こればかりは、ヒューリにもどうしようも無かった。


——


「——それで、やつがれの所に来たか」

「……ちっ」

 薄く笑うその口元が気に食わないとばかりに舌打ちをひとつ。ヒューリが足を運んだのは、『彩京』の外れにある大きな屋敷だった。そこに鎮座する主はシャラーラ。レナリアにせがみ、アスラハ拘束の報酬としてもぎ取ったものである。勿論、使用人の雇用を含めて。

「どれ、素直に言ってみるが良いの。汝の口から」

「…………」

 ヒューリは、こういった手合いが苦手である。戦闘に於ては人族最強を囁かれる彼であるが、それ以外のことに関しては今までシエラに任せきりにしていた。

「……俺はあいつに『何もしてやれていない』。人族と亜人の立場が同じになったこれからの世じゃ、それはいけねえんだ」

 その回答に、シャラーラは口角を上げたまま。

「わっはっは。【そんなもの】どうでも良かろうに。汝は女を物にする際、周囲に許可を得る必要があると思っておるのか」

「は」

 そんな、シャラーラの言葉に。ヒューリは小さく声を漏らした。

「俺は『和の国』の軍を任された。もう社会人だぜ。『立場』と『責任』があらあな。相手は『亡国の姫』だ。おいそれと好き勝手にゃできねえ」

「思い上がりだの。汝の『姫』はそうは思っておらぬ筈である」

「知らねえよ。自分がどうかを決めるのは『他人』だ。俺ももう二十歳。子供じゃねえ」

「わはっ!」

 そんな。『懐かしき』会話を経て。シャラーラの口角はさらに上がった。

「……汝、『転生者』とは聞いていたが……よもや『日本人』ではあるまいの!?」

「…………」

 何がそんなに愉しいのか——。ヒューリは『全く理解できない』と言ったように息を吐く。

「……『』」

「ほ?」

 そして、そんなシャラーラへ餌をやるように『かの名前』を呟いた。

「記憶の無え俺でも知ってた知識だ。日本人で初めて、『火星の外』まで行った偉人。そんな奴が、『Project:ALPHA』じゃこの星まで来なかった。もしかしなくても、『何か』あったのか」

「…………わっはっは」

 だがそこで、シャラーラは表情を変えずに。

「『その話』は今は良い。やつがれの興味を引く目的なら大成功だから、だから【もうするな】。文字通りブラックボックスである。やつがれにとっても、アスラハにとってもの」

 明らかにテンションを下げた様子で、椅子に座り直した。

「何故そこまでして、あのアーテルフェイスの娘を好く。あやつのせいで汝の家族は死に、故郷は滅び、右腕は失われたのだろう」

「…………」

 この問答には、あまり意味が無い。だが過程は大事である。この魔人に『頼み』『願う』ことで、竜王がどのような代償を支払ったか。それを知らないヒューリではない。

「好きだからか? 理由は無いのか? 無くても良いと思っているのか。それとも、自分を好いてくれているからか? はたまた、人族への貢献をしてくれた恩からか? なるほど転生者だという世迷い言を信じてくれたからか?」

「…………」

「前世では女に恵まれなかったか? 空を飛ぶ気持ち良さが忘れられないからか? それともそれとも、『あの子が笑顔であれば何でも良い』か? ——まさかまさか『具合が良い』からか?」

 回り込む。

 全て言う。

 逃走を許さない言葉の攻撃。

「…………」

「男が。女へ『何かしてやりたい』と思う時は。……いつだって【下心】がある。見返りの無い愛は、男には不可能だ。そう出来ておる。これはやつがれの経験だがの。5000年の経験だ。それなりに裏打ちされておるぞ」

「無償の愛と答えても、見返りを目論むと応えても。だからてめえら『亜人』は『人外』なんだ」

 ヒューリはもう、どうでも良い。こいつへ相談したのが間違いだった。立ち上がり、踵を返した。

「わっはっは。良いのか? やつがれならあの娘をどうにかできるやもしれんぞ?」

「……いらねえよ。少なくとも真面目に相談しに来た奴をおちょくって喜ぶ『人外』の助けは。5000年どころじゃねえ。てめえはただのガキだ」

「言うではないか。竜王の角と尾を治せぬやつがれを、それでも訪ねた酔狂な汝が。……『翼人族』の違和感に気付いたのだろ」

「……!」

 過程は大事である。

 よもや、『仲間になった』つもりで居られては困るのだ。シャラーラが気に入ったのはあくまで、ラスとレナリアのふたりだ。魔物の群れを単騎で滅ぼそうと、彼女にとっての価値は、『懐かしい話ができる』程度くらいにしか、この男には無い。

「……『翼』は、魔力を通して初めて拡がる。つまり変身魔法と同じで本当の肉体じゃねえ。ただ『羽毛に魔力を溜める』って種族があいつらだ。それに、魔法が『自然現象の再現』ってんなら、それが当てはまらねえ魔法もいくつかある。……『何かある』とは、思ってるがな」

 にいっ、と。シャラーラは嗤った。ようやく、やっと。ヒューリがそれを口にしたのだ。それが無ければ、何の協力も、真面目に話を聞くつもりも無かった。

「……わっはっは。良いぞヒューリとやら。勘の良さとそれを口にする行動力。そして地球の知識。良い『役者』だ。相談には乗ってやろう」

「……ちっ」


——


——


 時を、同じくして。

 シエラも『相談』していた。

「申し訳ありません。お忙しい中、私の為に時間を割いていただきまして」

「いや、なに。貴女とて【鍵】のひとつだし、何よりブラック・アウトのメンバーだろう。それに、王女を無視などできる筈も無い。さらに、ヒューリの——」

 レイジは。

 言い掛けて、止まった。

「——……ヒューリ殿の、『何』なのでしょう。確かに私も気になっていました。いえ、『元奴隷と主人』なのは知っていますが。『現在の関係』を」

 続きはセシルが紡いだ。そうだ。何ひとつはっきりしていない。ヒューリとシエラはどんな関係なのか。ただ『恋人』と言うには余りにもだ。

「…………」

 シエラは、逡巡した。そしてばつが悪そうに視線を逸らしながら口を開く。

「……【ヒロイン】」

「?」

 呟いたのは、レイジもセシルも聞き慣れない単語だった。

「私は彼の『それ』に成りたかった。実際は、『元主従』。それに尽きますが。ですがそれも曖昧です。彼の本来の『持ち主』は私ではなくお父様——『レイヴン王』だったのですから」

「……つまり、お互い好きなだけだと?」

 説明の真意が読めないセシルが訊ねる。

「……そんなプラトニックではありませんけどね。『恋人』でもまあ、間違ってはいないのでしょう。しかしそれでは、関係が希薄過ぎます。単純な『男と女』では無いのです。【ですから】相談を。……聞いて欲しかったのです」

「…………」

 羽の国は、もう無い。ヒューリはもう奴隷では無いし、シエラも王女を名乗らなければ良い。

 だが。

 彼女の眼に映る光景がある。

 『人族』と関係を持ったことで、悲惨な結末となった友人の姿が。そうして生まれた子供が、幸せな人生を歩むとは限らないことを。

 欲望のまま子を宿しても、『父』の目論見通りなのだと。

 このまま、ヒューリの右腕——否。右翼で良いのかと。

「……ふむ。『ラスとレナリアあのふたり』とはまた違った問題だな。『ウェルフェアとライルあのふたり』の方がまだ簡単だ。俺は貴女がたふたりが一番簡単だと思っていたが……案外。一番障害が多いかも知れん」

「……どういうことですか?」

 レイジはなんとなく掴めてきた。『転生者』ヒューリと『王女』シエラの間に刻まれた溝を。

「シエラ姫。貴女が【鍵】のままヒューリに『娶られる』には。ヒューリが『失い』『犠牲にして』『棄てる』物が多すぎる」

「!」

「——そう、なのです」

 レイジの推察に、シエラは小さく頷いた。

「既に右腕を失わせてしまっています。今後はそれだけじゃ済まない。やっとできた安住の地も捨てなければ。そして社会からも抹殺される。……そんなヒューリ様が得る『モノ』があるとすれば——」

「貴女との『子』しか無い」

「——はい」

 シエラは。『羽の国』の再建を望んでいる。当たり前のように、ヒューリは協力するだろう。だがその達成の為に支払う対価は、ヒューリの身を滅ぼしていく。以前彼が自分で『政治能力が無い』と言った——それが致命的なのである。

「私以外のアーテルフェイス家にとって、人族は『奴隷』以外の何物でもありません。必ず、世論は『和の国』と対立するでしょう。正に、『爪の国』でエドナとその夫が経験した【地獄こと】を、もう一度やろうとしています」

「…………『翼人族』」

 セシルが呟く。

「ええ。奴隷をあまり持たない種族。【だからこそ】、より一層、人族を含めた他の種族を『物理的にも』見下しています。私を旗印にすれば国民は戻ってくるでしょうが、ヒューリ様を認める者は誰ひとり居ない筈です」


——


——


 まずは。もう一度、お互いに。ゆっくりと。話し合った方が良い。そんな、半ば諦められたような助言で終わった。

「…………」

 歩いて、旅館まで戻る。空を見れば、少ないながらも翼人族が飛んでいる光景がある。自分はレナリアのようには割り切れない。そして、それをヒューリのせいにできるほど大きな器も持っていない。

「どこへ行くつもりだ」

「!」

 横から声が掛かった。同じくヒューリだ。偶然では無いのだろう。彼の表情は、いつも通りに読めない。

「ヒューリ様。どこ……とは。陛下に用意していただいた宿へ戻る所ですが」

「いつまで居るつもりだ」

「!」

 真っ直ぐ眼を見て告げられる。シエラはびくりと身を震わせた。

「……私は、もう不要でしょうか」

「『竹』と『布』を譲ってもらった」

「はい?」

 深刻な表情のシエラと対照的に、ヒューリは何かを期待しているような笑みを浮かべていた。

「お前の魔法の翼を。俺が『科学』で作ってやる。喜べシエラ。もう一度飛ばしてやる」

 彼は滅多に笑わない。決まってそれを向けるのは、仲間内のみ。特に、彼女へ。

「…………!」

 彼女が憂うことなど、何ひとつ無いのだ。彼はこんなにも簡単に、笑うのだから。


——


 片翼の王女シエラ・アーテルフェイスと、彼女が慕う人族最強の戦士ヒューリは。

 この数日後に『虹の国』から姿を消すこととなる。

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