第3話 亜人を狩る人族
レナリアは、森での所謂サバイバル術に詳しくなかった。火を起こせば煙が立ち、エルフ族達に居場所を教えることになることを知らなかった。勿論ラスは知っている。だからレナリアを早めに寝かせたのだ。相手を夜目の利かない人族だと思えば、夜襲で簡単に捕らえられる。森の種族は当たり前にそう考える。
次の日の朝。
「……?」
レナリアは異臭で目が覚めた。満身創痍を引きずり、テントを出る。木と枝に繋いだ幕に過ぎないが、寝心地は悪く無かった。
「……え……!」
テントから顔を出して、外を確認する。【異臭は、死臭だった】。
凄惨な光景が広がっていた。倒れているのは数人のエルフ族。そのどれもが死んでいる。そしてその全てのエルフ族から、額の魔石が抉り出されていた。
「……起きたか」
「!」
立っていたのは、ラスひとりだった。今、最後の魔石を取り出した所だった。
「……おはようございます。これは、どう……いうことですか?」
もう、大体何が起きたかは想像できたが、だが疑問である。ただの人族でしかない彼が、どのようにしてエルフ族を相手に無傷で勝つことができるのか。
「すまんがすぐに出発だ。奴等の本隊が今来たら、さすがに勝てん」
だがラスははぐらかし、手際よくテントを回収しレナリアを担ぎ上げる。
「……もう少し、なんとかなりませんかね」
まるで俵のように肩に担がれたレナリアは、言ってしまえば無様であった。
「ああ。早く馬を回収しよう。襲撃者の馬車は無事な筈だ」
「!」
まずは、襲撃された地点へ向かう。当初の予定通り、ふたりは森を掻き分けて進んでいった。
――
「あった。荷車も無事だ」
道に出ると、昨日のそのまま、馬車があった。馬も無事だが、少し弱っているようだ。
ラスが殺した襲撃者の死体は無かった。あの逃げたひとりがあの後、片付けたのだろうか。
「……中を。私の服と、切り落とされた角と尻尾があります」
「ああ」
ラスは水筒に用意してあった水を桶に入れ、馬に差し出してから荷車の中を覗いた。
「……私の、竜尾」
昨日はここからレナリアを運び出したラスも、よく見たわけではない。中は、真っ赤な血があちこちに飛び散っていた。全て、レナリアの血なのだろう。相当暴れた形跡があった。
レナリアはラスに降ろしてもらい、這いずっていく。中に落ちていた自らの尻尾を、恐る恐る手に取った。
彼女の竜鱗と同じ、金に虹色の輝きを持つ鱗で覆われた、細く長い尻尾。先端の鱗は二股に別れており、魔法に関係する用途があったのだろうと想像できる。
「それ、どうするんだ」
ラスは中を見回し、残りの角と鱗を拾ってレナリアへ手渡す。
「……もう、私の身体には戻らないものです。売るか、武具の素材にするか、装飾に使うか。どうするかと問われれば、それくらいしか思い付きません」
悲しい声で答えるレナリア。大事そうに抱く鱗を、ラスはひょいと取り上げた。
「あ……」
「じゃ、貰うぜ」
「……良いですけど、何故?」
「まあ、報酬の一部にしてくれ。……ここはまだエルフの森だ。急いで出る必要がある。俺はあんたらの生き残りが居ないか見てくるから、あんたはそこで待ってな」
と、ラスは何かを取り出してレナリアへ渡した。
「笛、ですか」
「奴等が来たら吹いて俺に報せてくれ」
それだけ言って、荷車から降りていった。
――
「エルフ族……正式には『森人族』。魔力媒体は額の魔石。魔石には視覚もあり、暗視も可能。自然と魔法に愛された種族。基本的に排他的、閉鎖的で、自分達の森を縄張りとして、侵入者を許さない」
ラスは森を進みながら、エルフについての情報を整理していた。彼の目的は奴隷解放。そして襲撃者の皆殺しである。だがそのために、今はエルフと交戦中だ。奴等に恨みが無いことは無い。喜んで殺そう。
「次は、正面からは来ないだろうな。警戒しないと」
ラスは、昨日と今日でもう10人ほどエルフを殺している。それは森の王の耳に入っているだろう。ここまでくると、もう相手を人族だと侮ることなく、本気で来る。
と、考えている内に死体を発見した。エルフではない。角と尻尾がある。竜人族だ。
「……50人って言ったか。ひとりくらい、生きてないか?」
その死体を皮切りに、横転した『虹の国』の馬車や折られた旗など、死体も含めて。朝レナリアが見たものより悲惨な光景が広がっていた。
――
「馬車か。何故発見が遅れた?」
「斥候との連絡が途絶えた。言ったろ、人族にやられたって」
「なんだそりゃ。斥候って乳飲み子がやってるのか?」
声がした。聞く限りエルフである。荷車の中に隠れるレナリアは、すぐに笛を咥えて息を潜めた。
エルフ達は馬車に近付いてくる。
「水だ。さっきまで誰か居たらしい」
「荷車に居ないか? 透視しろよ」
「!」
エルフの魔石は、魔力を持つ者のみを感知する能力がある。今使われれば、即座にレナリアは見付かるだろう。
笛を吹くために息を吸い込む。
「ちょっと待て。あっち、なんだ?」
「は? ……煙?」
しかし、エルフ達はそれを止めた。レナリアも笛を寸でで止める。
「……おい火事か? 誰だ?」
「知らねえよ。敵だろ、殺せ」
「行くぞ」
彼らは馬車から離れていく。方向は、ラスの向かった先だ。レナリアは彼らの言葉から、ラスが『火葬』したのだと察した。
だからこそ。
「!」
思い切り、笛を吹いた。
――
「!? 何の音だ!」
エルフ達は混乱する。目の前に火事があり、侵入者の可能性が高い。森を焼かれるのは彼らにとって家を焼かれるのと同じだ。すぐに向かわなければならない。
しかし、先程の馬車の方から、奇妙な音が響いた。甲高く、森に響き渡る大きな笛の音。
エルフのひとりが即座に魔石で中を覗く。
「ちっ! 人族の女だ!」
「人族なら放っとけ! 火事の方へ行くぞ!」
たかが人族。まだ彼らは侮っていた。貧弱な『魔無し』には、何もできやしないと。
だが、一瞬。
後ろを向いて、意識を馬車へ向けた。咄嗟の笛の音に、前方への警戒を解いたことが。
彼らの敗因だったのだろう。
「ぎゃ……!」
「!?」
大きく踏み込んで、力一杯剣を振る。それで首を薙ぐだけで、人族であろうとエルフを殺せる。問題はそれまでの過程をどうするか。遠視と透視と魔力感知を使い遠距離から即死攻撃をノーリスクで連射するエルフとの距離をどう詰めるか、なのだが。
簡単である。ひとつは注意を他へ向ければ良い。永い迫害の歴史の中に埋もれ、彼らは『魔法を持たない者達』の戦い方を忘れてしまったのだ。
「敗北者はいつだって戦ってすらいない。勝利者はいつだって、戦わずに勝つからだ」
瞬時にエルフふたりの喉を掻き切ったラスが、現れる。またしても死体から魔石を抉り取り、悠々と馬車へ戻ってきた。
「待たせたな」
「……無事ですか」
荷車へ入ってきた人物がラスだと分かると、レナリアはほっとして息をついた。
「あんたのお陰でな。さあ、森を出るぞ。流石に部族全部を相手にはできない」
と言って、ラスはレナリアを担ぎ上げ、荷車を降りる。
「馬車は捨てるのですか?」
「身軽じゃねえしな。血痕もある。馬1頭で充分だ」
ラスは馬を荷車から離し、レナリアを乗せてから飛び乗った。
「乗馬は?」
「当たり前だろ。集落でも馬くらい飼ってたよ」
――
「……やはり全滅、でしたか」
「ひとりだけ生きてたよ。んで、これを渡された」
森の悪路をものともしない襲撃者の馬。駆ければ30分ほどで出口に辿り着いた。
「道中エルフに見付かりませんでしたね」
「消火に必死なんだろ」
ラスは後ろで自分に掴まるレナリアに、1本の小瓶を渡した。透明な瓶で、中に赤い液体が入っている。
「……上級治癒薬。ハイポーション」
「魔法の薬か。良かったな」
「その生き残りは?」
「もう死んだよ。腹に槍が刺さってた」
寧ろそれで生きていた生命力は、流石竜人だとラスは讃えた。
「そうですか」
「それ飲めば治るのか?」
「傷口は塞がりますが、生えては来ません。失った肉体の蘇生は、できないのです」
「……そっか。……飲まないのか?」
「……揺れる乗馬中に飲めるほど器用ではありません」
「ん……なるほど」
――
ふたりは森を出た。レナリアは振り返る。巨大な森だ。地図上でもその存在感を発揮しているほど。
通常、ひとつの森にエルフ族はひとつ。しかしこの森には、いくつかのエルフの部族(と人族の集落)が同居している。ラスが戦ったのがどの部族か分からないが、ここまであっさりと『森の種族』から逃げられたのは、そうした事情による情報伝達の粗があったのかもしれない。
今は、燃え広がる炎の対処に追われているだろう。追っ手も来ない。ラスの手際は、やはり流石と言える。
「これからどうするのですか?」
森から出たと言っても、レナリアの目指す虹の国へは普通の馬では1ヶ月から2ヶ月程度掛かる。
「人族の集落へ寄る。俺の集落と定期的に交流してる集落があるんだ。全滅の報せと、あんたの凱旋の協力を要請する」
「……人族の集落」
レナリアひとりでは、決して思い付かなかった経路だ。奴隷でない人族に出会ったのもラスが初めてである。だがここで、レナリアは不安に襲われる。
「……人族の社会では、私は疎まれるのでは……無いでしょうか」
人族の中には、底知れない『怒り』がある。ラスを見てそれを知った。ならば人族の集団にひとりだけ亜人が現れれば、自分は糾弾されるのではないか。捕まり、積年の恨みと拷問されるのではないか。
それともそれこそがラスの目的では――
「不安なら人族の振りをしたら良い。魔石を持つエルフが気付かないんだ。薬を飲んでからも包帯を取らず、背中を隠したら良い。片角は……髪飾りってことにしよう」
「!」
レナリアは自分を恥じた。ラスの『怒り』は本物なのだ。それはレナリア自身が身をもって保証できる。だとするならば、亜人の王たる自分を短絡的に復讐するのではなく、人族全ての下克上を達成するため、生かして利用するだろう。そもそもそういう契約である。この期に及んで我が身を可愛く思ってしまったと、反省した。
「ラスは私を、恨んでますか」
「なんでだ? 言ったろ、千載一遇の好機だっ……ああ、そういう意味か」
震えるように訊ねたレナリアの言葉の真意を、ラスは返答中に気付く。
自分のせいで集落を崩壊させたこと、ではなく。世界に対して、歴史に対して。亜人が支配するこの時代の責任は、『虹の暦』とする世界の責任は。
人族に対する世界の待遇は。もしかしたら、いや。
もしかせずとも。
「力を持つ奴が上に立つのは必然だ。この世は弱肉強食だからな。自然の摂理に反してるのは寧ろ俺の方だ。あんたは気にしなくて良い」
自分の責任なのだと、レナリアは強く思った。
「おかしいと思ったことはあるけどな。俺達(人族)もあんたら(亜人族)も、中身は同じなんだ。つまり知能や感情は。魔法の有無と、身体的特徴が少し違うだけ。同じ知性を持つ者なのに、何故優劣があるんだ、てな。答えは単純に武力なんだが」
そう。中身は同じなのである。皆、人だ。竜人族も人族も、森人族も。同じように喜び、怒り、生きている。
時代の王として、世界の安定を考えねばならないレナリアは、今までそれを知らなかった。自国民の安定のみを考え、他国、他種族に「情」を抱いたことはなかった。
しかし、知ってしまった。最弱の奴隷である人族の怒りを。悲惨な過去を。
「亜人は嫌いだよ。だけど今のあんたを見て何かしてやろうとは思わないさ。それが『人』だ。あんたが高級そうな衣服を纏って、護衛の兵士なんかを侍らせて、偉そうに大きな椅子にでも座っていれば違ったろうけどな」
レナリアは決心した。これからの私の人生は、大恩ある人族のために使おう、と。奴隷を解放し、ラスの作る人族の国と、友好を結ぼうと。弱小国だろうから、虹の国として最大限守ろうと。
「大丈夫さ。そこは俺の生まれ故郷でもある」
「……感謝します、ラス」
「……おう……?」
レナリアはラスを掴む力が強くなり、そう言葉を絞り出した。
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