13.茶葉

「……親父」


 ぽつ、とリカルドが初老の男性に対して唇を震わせた。しかし、すぐに固い表情は顰めっ面になる。


「何しにきたんだよ。笑いに来たのか」

「違う」


 初老の男性は雨で濡れてしまった帽子を外す。まるで全てに疲れて泣いてしまったかのような彫りの深い顔が顕になった。

 リカルドの言う通りであれば、この男性はリカルドの養父だ。しかし、アルフには彼の表情の動きがリカルドに似ていると思った。血は繋がってなくてもこの二人には家族の繋がりが鮮明に見えた。

 一方、強く見据えられたリカルドは再び硬直してしまった。何を言われるかを怖がっている。

 拒絶されたどうしよう?

 アルフにはよくわかった。


「笑いに来たんじゃない。私の話を聞いてくれ、リカルド」

「っ……今更、話しに来てなんだよ、散々俺を悪者扱いしてきたくせに!」

「そんなつもりは……!」

「じゃあどんなつもりだったんだよ!」


 二人の間に剣呑さが濃くなった。リカルドの心は思った以上に頑なで、深く傷ついているのだということが誰でもわかるほどだ。埒が明かないと思ったアルフは大きく手を叩いた。思いの外大きな音がしてその場にいる全員がびっくりしてアルフを見た。予想外な注目に尻込みしつつアルフはリカルドの義父に向き直る。


「雨の中きたのですから、寒いでしょう」


 元気が取り柄のデイジーでも風邪を引くくらいに、この国の雨は冷たい。

 リカルドの義父は帽子だけではなくコートやスーツも濡れていた。傘を持っていたのでさしていただろうが、土砂降りだったので防ぐことができなかったようだ。


「まずは温かいお茶を飲んでください。話し合いをするなら、お二人とも冷静に。ここはウォークスさんの店です」


 ここが喧嘩をするための場ではないと気づいたのか、リカルドとその義父は気まずそうにウォークスを見た。ソファに座るウォークスは、口元をヒクヒク動かして声が出せるならこの親子に苦言を言いたいという顔をしていた。かといって追い出そうとする様子はないのでアルフは安堵した。


「風邪をひかないうちにコートを脱いで座ってください。喧嘩はしないようお願いします」


 ソファにリカルド、彼の義父、ヴィオラをもう一度促す。三人は気まずい顔になりながらもソファへと座った。それを見届け、アルフは、話し上手なヴィクトリカに接客をお願いしてキッチンに一度入った。

 カップを用意しているとウォークスが静かに入ってきた。


「勝手に話を進めてしまってすみません」


 アルフはお茶を淹れる準備を止めて頭を下げた。

 すぐ近くから首を横に振る気配がした。それから小さな打鍵の音。まるでタイプライターで内緒話をしているようだった。


『気にしていません。アルフさんはリカルドさんに何か思うことがあるんですよね?』


 見透かされたいた。

 アルフは素直に頷く。隠す必要は感じられなかった。


「俺は亡くなった夫人のことをよく知らないから、リカルドさんに同情的になってるんだと思います。身勝手だってわかってます。でも、誰かをずっと許さないで苦しむことはとても辛いですから」


 夫人やその家族が嫌いであるなら、リカルドはこの店には絶対に来なかったはずだ。その前に最初から喪主を辞退して完全に縁を切ることだってできた。きっと彼は、家族との関係性に温かいものを求めている。もしくは区切りをつけたいのかもしれない。そのチャンスが今あるのなら、アルフはどうしても逃してあげたくなかった。そしてアルフはリカルドに、自分と同じように何もしてやれなかっただけの男になってほしくない。部外者である自分自身ができる精一杯だ。

 夫人との関係は取り返しもつかないところまでいったが、まだ何かあるのなら……。

 アルフの言葉に、アプリコットの瞳が穏やかに笑った。そして一つの戸棚に背伸びをして、何かをとる。それは茶葉の缶だった。てんとう虫のデザインが施された缶を、ウォークスは大事そうに抱えてアルフの前に差し出した。

 中身を見ると残り数杯分しかない。三人には足りるだろうが、隠すように置かれた茶葉はきっとウォークスのお気に入りなはずだ。


『これをリカルドさんにお出しください』


 いいんですか、と問うと彼女は小さく頷いた。

 全ての茶葉を出して、ラベルの文字を見た時、アルフはウォークスがこの茶葉を差し出した意味を理解した。



「お待たせしました」


 店の中が紙の匂いをかき消すようにフルーティーで鮮やかな香りになった。その匂いの意味に気づいたリカルドの義父とヴィオラが目を丸くしてアルフの手元を見た。

 リカルドは気づかずに、出された紅茶を迷わず飲んだ。その様子をこの場にいた全員がじっと彼を見守った。

 ほう、とリカルドが甘い息を出す。

 ヴィオラがカップを持ちながら問う。


「そのお茶、美味しい……?」

「? ああ。初めて飲む紅茶だ。どこのだ?」


 彼の問いに答えたのは義父だった。震えながらソーサーにカップを置き、今にも泣きそうな顔で言った。


「フランチェスカだ」

「あの人? なんであの人の名前が出るんだ?」

「フランチェスカが死ぬ前にブレンドを考案した茶葉だ。試作品段階で病床が悪化して、まだ流通していない。試作品をここに贈ってたんだな……」

「それが、なんだっていうんだよ」


 突然の義母の話題に、リカルドは動揺して義父を見つめた。


「そのブレンドの茶葉の商品名はフランチェスカの強い希望で『リカルド』になる予定だったんだ」

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紙の花 本条凛子 @honzyo-1201

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