幕間

エマ・ナイチンゲール 一幕目

 エマ・ナイチンゲールはいつも後悔している。

 今だって昨日の行動を思い出してはため息をついている。

 昨日。弟が見つけた紙花工房シトレーにはじめて行った。そこで、弟に再び突っかかってしまったのだ。もうしない、と決めたのは何百回だろうか。

 今度は更に大きなため息が出てしまい、後ろで同僚が目尻を吊り上げて睨んだ。面倒見の良い温和な彼女でも、エマのあまりにもおかしい様子に難を示した。


「接客中だよ、エマ」


 諭されてエマはしっかりと背筋を伸ばして、なんとか笑みをつくる。それを確認した同僚はよし、とだけ言って持ち場に戻っていった。

 頬を軽く叩いて、気合いを入れなおす。

 仕事中、接客のプロでなくてはいけない。

 せっかくのスーツが台無しだ。ふんわりとした淡いクリーム色のシャツ、首元はフリルのタイがつき、膝下までの菫色のスカート。制服が売りで女性たちはその可愛らしさに羨望のため息を吐く。誰にも言っていないが、エマも制服目当てでここに就職した。給料が良いし、社員割引もあるという美味しい特典付き。

 可愛い服を着て働いて、そしておまけがつくのだから憧れないわけがない。

 それが理由なのだろう。

 誰もがキラキラしている。

 店員も、客も。

 ここ、首都カラムス一の百貨店はいつも賑わっている。服に鞄に靴に、たくさんのブランド品が集まって、売られる日を心待ちにしている。エマは服飾の店員だ。生地とデザイン選び、サイズを計り、職人にオーダーする。それが彼女の仕事内容だ。

 今日も懇意にしてもらっている客を相手にカタログをたくさん持ち寄る。


「お客さま、こちらの上着はどうでしょう」


 表は上品な紺一色の生地。裏地には派手すぎず、華美すぎない、刺繍が施されたちょっとしたお洒落なもの。エピストゥラの植民地時代、あまり贅沢が出来ず、それでもお洒落を楽しみたい者たちが、大国の駐屯兵たちから隠れるように裏地にたくさんの刺繍をして楽しんだ。

 切ない名残のある上着のデザイン画を、客である男は何度も見つめた。

 スラリとした、細身の男。

 エマはこっそりその男を観察する。

 常連客でもある男は物書きか、それに付随する仕事をしていると思われる。右手の中指、第一関節の上にペンダコがちょこんと顔を見せている。シャツは必ずアイロンが綺麗に隅々まで行き渡り、ズボンに靴はここ百貨店にあるブランドもの。ブランドで形作られた彼は、こだわりが強く、それでいて注文も多い。


「だめ。僕にとっては地味すぎる」


 エマからデザイン画を抜き取って、そこら辺に無造作に投げ捨てる。

 またか。

 苦笑して慣れた様子で落ちたデザイン画を拾い上げる。男はエマから取り上げたデザイン画集を見ては、気に喰わないものを全部投げ捨てる。

 彼が来るといつもこうだ。


「新しいスーツが欲しいのに、なかなかないなあ」


 癖の強いくるくるした横髪を弄り回す。


「今度の仕事で着たいのになあ。あ、ミルクティーちょうだい」


 個室の椅子に座り、男は優雅に脚を組んだ。


「かしこまりました」

「お砂糖は五粒。よろしくね」

「……かしこまりました」


 落ちたデザイン画たちを拾い集め、給湯室へ向かう。貴族由来の金持ちが集まる店でもあるため、予約が必要になるが飲み物のサービスが出来る仕様になっている。

 ミルクティーを作り、再び彼の待つ個室に戻ると、やはり何かしら唸ってデザイン画を睨んでいた。


「決まりましたか」

「いや。難しい。何にするか決めたんだけど、裏地の柄のデザインが良くない」


 覗き込むと、今まで彼が選んだことない裏地の色だった。淡い、優しい、色。


「客にお子さんがいてね。まだ幼いんだ。威圧感を与えたくない。意外かい?」

「ええ、まあ……意外と、お優しい一面があるのですね」

「一言余計だよ」


 眉を寄せて男が軽く詰る。


「申し訳御座いません。こちらミルクティーです」


 乳白色に琥珀色を混ぜたその飲み物は砂糖をティースプーン五杯ほどの甘さを抱えている。それを一口含んで彼はご機嫌になった。

 なかなか子どもより単純だ。

 この男の注文に応えてきたが意外性がありすぎる。一見硬派に見えるがその実、繊細で女性らしいものが好きだ。刺繍や柄は子どもっぽいものを選び、時にはフリルも選ぶ。そんな彼を気持ち悪がる人間は男女ともに多いが、エマは好ましく感じている。

 面白くて苦にならないし、羨ましいものでもあった。自分の好きなものを偽らずに好きという、その真っ直ぐなポリシーな姿勢。

 エマも、可愛いものが好きだ。今流行りの胸元を開けたセクシーなものやクールなものよりも、フリルがあって、ピンクも贅沢に使って、水玉だって。

 それらを身につけたら、皆、エマに向かってこう言うだろう。


 全く似合わない、と。


 特に吊り目なのがいけない。鏡を見る度に、たれ目になる魔法はないかと考えてしまう。アウラとデイジーのように普通といった形をしていたら、似合うかもしれない。不毛な悩みだ。

 家族には言ってないが、昔、それが理由で恋人から別れを告げられたこともある。自分のなかでのエマと、可愛いものが好きなエマとの違いの差についていけない、と面倒くさいことを言って。一週間、ふさぎ込んで、アルフたちを心配させた。あの時も、弟はひどく、割れ物を扱うように、赤の他人のものを扱うように接してきた。

 それが、一番不愉快だった。


「はあ……」


 アルフのことを思い出してエマはまた、ため息を吐いてしまう。

 おや、と男が眉を跳ねてエマを見上げた。気づいた時にはしっかりとため息の音を聞かれていた。


「驚いた。接客中にため息か。それも盛大なため息だね」

「も、申し訳御座いません!」

「いいよ、いいよ。完璧そうな君が、ため息だなんて」


 ミルクティーを飲み干した男は、カップを置いて一枚のデザイン画を渡す。裏地には可愛らしい小鳥の柄。表の生地は濃い深緑色がいい、と一言つけられている。


「これにするよ。注文書をちょうだい」

「ありがとう、ございます」

「それとさ、このあと、お昼空いてる?」

「え、ええ。空いてます」

「なら、ここの二階のカフェーにでも行こう。これはプライベートな誘いだが、深く考えなくても良い。断っても結構だよ」


 いや、断れない。

 大事な客だ。ここで断ってしまったら何かあるかもしれない。ひきつった笑みを浮かべるエマに対し、男は注文書にサインを書いた。細かな指定までちゃんと記入して。サイズについてはこの前計ったばかりだ。


「二階のカフェーで待ってるから。オススメのランチはクロックマダム。席は窓際の八番席だから、じゃあね」


 最後まで断れなかった。

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