6.感謝祭
学校の授業の前に安定剤を齧る。使用する量は少なくなってきたとアルフは感じる。瓶のなかに閉じ込められた錠剤たちは未だ半分以下になってはいなかった。
「そろそろ感謝祭だな」
教室では生徒たちがそわそわと落ち着かない態度でアルフを見上げている。
「今まで読み書きを学んできた成果が試されるぞ」
子どもたちの態度に、これには自然と微笑んだ。悪夢の母が消えてしまいそうなほど。
この授業のために買った美しい便箋を配る。足りない場合は取りに来るように、と言うと、元気な返事が響く。
「ノートで練習をしてから便箋に書くように。それから、折り紙にしたら、ダメだぞ?」
一番後ろの席の悪戯ばかりする少年の頭を撫でる。彼はバツが悪そうに、それでも満更でもないといった顔で二つ折りにしようとした便箋から手を離す。少年は舌をペロッと出したので髪の毛をぐしゃぐしゃになるほど撫でてやる。
落ち着いた様子を確認し、アルフは感謝祭について説明をはじめた。
「手紙を贈る相手は誰でもいい」
エピストゥラには感謝祭がある。
これは帝国に勝利した日であり、疲弊した国民たちが歓喜のあまりに誰彼構わず抱きしめあって口々に感謝を述べたことから由来する。少しずつ豊かさを手に入れ始めたので、次第に大切な人に贈り物をする日になっていった。
相手は家族、恋人、友人、頼もしい仕事の同僚たち。様々だ。
勿論子どもたちだって贈りたい人たちがいるだろう。だが、お金をかけることなどできない。なので学校側が手紙を書かせるようにしている。
便箋と封筒、切手。これらは贈り物よりも安く済む。それだけではなく、子どもたちに手紙の書き方を教えることができた。
「一言でもいいんですか?」
内気な少女はおずおずと手を上げる。
「いいだよ。そうだ、郵便に出すか、手渡しかはそれぞれ決めていいぞ。郵便に出すなら切手を取りに来なさい。貼ったあとは先生たちが郵便に持って行くから」
子どもたちは再び元気な返事をして、誰へ宛てるのかと話しはじめる。
基本自由なので、手紙とともにプレゼントを用意する家庭もある。
宛先も余裕があれば複数の相手に宛てても怒られない。
ルコが同僚たちと泣きながら配達する姿を容易に想像できた。災難な男だ、とアルフは心のなかでルコに同情する。
「パパとママに書こう」
「私はおじいちゃん、おばあちゃんでしょ……家族みんな!」
「お世話になってるシスターに渡す! みんなと一緒にクッキーも焼くよ!」
「僕はスリズィエ公女さまに!」
なんだ、と。とある子どもの一声に、アルフは自身の不運さに気づいた。
大公、公女、公子にも贈ることができるのだ。警備の問題で手紙にプレゼントは添えることができないが、クラスに数人はせっかくだからと送りたがる子どもたちはいる。
アルフのクラスも当てはまるようだ。
これは手続きに時間がかかる。ルコに対して笑っていたことがいとも容易く返された気分だ。
「アルフ先生は誰に贈るんですか?」
「え?」
何を思ったのか、一番前で真ん中の席に座る男子生徒が興味津々に問う。他の生徒たちも気になるのか、アルフに視線を集中させる。
「そうだな……」
感謝祭に今まで虚無な思いで参加していたので、改めて考えてみると新鮮である。何を贈ろうか。それとも子どもたちに混ざって手紙を書こうか。
「姉たちと妹、それからエレオノーラ先生に……」
「恋人とか?」
周囲でよく言った、という声が聞こえたのは気のせいだろうか。アルフはふられることのなかった話題に固まる。女子たちの目が本気で楽しんでいる。
「いないんですかー?」
「大人でからかうんじゃない。言わないぞ」
「えーっ」
図星を突かれ、唇が引きつった。恋人など作ったことも、作ろうとしたこともない。
それなのに。
脳裏に黒髪の女性の影がちらついた。アプリコットの瞳がこちらを見て微笑んで、それからアルフにこう言ってくれるのだ。
「 」
音になる前に首を横に振って妄想を打ち消した。恥ずかしい願望だ。
ため息を押し殺していると、教室の扉が開き、珍しい客人が現れた。
「アルフ先生」
申し訳なさそうに、ヴィオラがアルフを呼ぶ。手には見慣れない茶封筒。
「急ぎのお話があるんです」
よくない話だというのは、彼女の顔色からも伺えた。
子どもたちには自習といいつけてヴィオラとともに教室を出た。背後で喜んでいる気配がするので、どこまで進んだか、確認しなくてはいけない。
紙飛行機が飛んでいたら。
そう考えると軽い頭痛がした。
眉間を押さえながらアルフは彼女のあとを歩く。
二人がたどり着いたのは、アルストム城の名残の一つである西の塔。煉瓦造りのそれは三階建てで、大昔には兵士が角笛を鳴らして民たちに時と祝日を伝えていたらしい。現在は相談室として使われており、保護者も時々登る。アルフも何度か登ったことがあった。
一番上には相談するための木製の長方形のテーブルが一つ、四つの椅子が四つ。
アルフがたどり着いたとき、先客がいた。デイジーが背中を丸くさせて座っている。
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