12.親子の溝

 真っ青な顔色とは裏腹にデイジーの体はとても熱かった。体に触れてすぐ発熱だと気づく。

 ウォークスと一緒に起きていたヴィクトリカが二階の客室へとデイジーを連れて行ってくれた。着替えなどの面倒まで見ると言ってくれたのはとても助かった。

 ヴィクトリカの申し出にアルフは甘えてすぐエマに連絡をとった。外の雨は強くなり、そして気温が冷える。移動させるなんてできない。

 受話器から聞こえた第一声はため息だったものの、すぐ来るとだけ。それから少ししてエマは交際相手の車で工房に駆け込んできてくれた。


「全くあの子は……!」


 苛立たしいとエマが眉を寄せる。宥めても無理なのでアルフはそっとすることにした。口ではデイジーを非難しているがひどく心配していることは真っ直ぐに二階へ向かったことで明白だ。

 アルフは姉の背中を見送り、同じく残されたリカルドを見やる。客用のソファで気まずげに店内を眺めては、ウエストのゴムなどを忙しなく撫でている。エマが来るまでに二人はヴィクトリカの恋人の服を拝借しており、サイズが微妙に合わないので落ち着かないのだ。アルフも同様で苦しい首元のボタンを外していた。


「リカルドさん」


 声をかけるとびくりと震えてリカルドが顔を上げ、無理して笑みを繕った。


「劇場ではすまなかった。醜いものを見せてしまって……俳優失格だ。はは……、もう俳優でもないな。あんなこと言ったんだ、劇団はもう次の俳優を捜してるだろうさ」

「リカルドさん」


 自暴自棄になりかけだと慌てて彼の独り言のようなものを遮って、向かいに座る。


「あなたとあなたのお母さんに何かあったんですか?」


 改めて問い掛ければ彼は言葉を詰まらせた。アルフを見つめて考えあぐねたように顔を顰めたのち、周囲を見回して深いため息とともに口を開いた。


「君は聞いてくれるんだな……みんな、いつも母の肩を持つのに」


 それについては答えなかった。噂程度でしかアルフは故フランチェスカ夫人のことを知らない。会ったこともない。リカルドの最初の印象は良いものではないが、母に対して思うところがる。それだけの共通点に他人事とはどうしても思えない。


「……俺は、養子なんだ」


 リカルドはどこか遠くを見るように語り出す。外の雨音が聞こえなくなるほど、アルフは彼のことをじっと見つめ続けた。


「レディバッグ家は子宝に恵まれず、遠縁で生まれたばかりの俺を養子にしたんだ。二人とも、大事にしてくれたよ……幸せだった。俺は二人の本当の子だと疑うこともなかった。けれど」

「何か、あったんですか」

「子どもができたんだ。待望の男の子」

「……それは」

「デリック──弟の名前だ。可愛い弟ができて俺は用済みになったんだ」


 別に弟ができたことにリカルドは何も文句はなかった。あったかくて小さな小さな可愛い家族の誕生に喜んだのは本当だ。この時のリカルドは自分が実の子だと信じてやまなかったのだから。


「弟ができると周囲は一変したよ。俺が風邪引こうが怪我しようが弟を優先した。唯一の味方でいて欲しかった両親は抱き締めてもくれなかったし、逆に厳しくなって俺に対して当たりが強くなった。俺は突然のことにどうしていいか分からなかったよ。何かみんなにしでかしてしまったんじゃないかって、ずっと悩んで…………そんな時に、メイド達が俺のことで立ち話しているのを聞いたんだ」


『旦那様達、リカルド様に対して酷すぎない?』

『仕方ないわよ。本当の子じゃないみたいだし』

『やっぱり実の子が一番可愛いものねぇ〜』

『でも、デリック様とリカルド様とても本当の兄弟で仲がいいのに……』

『ご両親は本当の子に継いでもらいたいから早く出て行かせようと画策してるんだわ』


 アルフは何も言えなかった。

 弟が生まれたことで周囲の環境が変わり、味方が誰一人としていない屋敷の中。不安で仕方ない思春期の頃に真相を知ってしまうなど、なんて残酷なことだろうか。あまりにも環境とタイミングが悪すぎる。

 リカルドのフランチェスカ夫人に対しての悪感情はまさしくそこから芽生えたのだ。簡単に許せるものではないだろう。


「なんで俺が喪主なんかしなくちゃいけないんだ。どこまでもあの人たちは俺の人生を圧迫させてくる。やりたいこと全て反対して……でも、いいんだ、そんなこと。もう、俺は自由だ。婚約者も劇団仲間も失ったけれど…………きっとあの人はあの世で笑っていることだろう」


 右手で顔を覆ってから、リカルドは自嘲を浮かべた。

 リカルドの中でまだまだ幼い彼が泣いているのだ。ずっと時間の止まったままの感情が疼いて傷んで、今はそれを真っ直ぐにぶつける相手がいなくなってしまった。遠い死の国へ。

 感情が雁字搦めになって動けないことはとても苦しいのだ。アルフには内容は違えどもリカルドのどうしようもない複雑さが理解できた。

 他人とは思えなくなってしまったアルフはどうすればいいか頭を悩ませる。

 一歩進んだことができたのは全てウォークスのおかげだ。

 彼女に助言を、と思って立ち上がったところで、タイミングよくウォークスが現れた。毛糸のカーディガンを羽織り、手にはタイプライターがある。彼女に声をかけようとする前に、アルフの横を通り過ぎてしまう。


「お、おい。なんだよ……」


 リカルドのところへ進むとウォークスはアルフの隣に座り、テーブルにどんとタイプライターを置いて打鍵し始めた。がたんがたんと少しだけ不機嫌さの混じった音が続き、アルフもリカルドも唖然となる。

 打ち終えると素早くカーボン紙を抜き取って勢いよくリカルドに印字したそれを押し付けるように見せた。

 読め、ということだろう。

 戸惑いながらリカルドがカーボン紙を手に取り、それを声にした。


「『フランチェスカ夫人の部屋の本棚の裏を見たのか?』……どういう意味だ…………?」

「そこに何かあるってことですか、ウォークスさん」

『はい』とウォークスが首を何度も頷かせた。


 必死な様子にアルフはリカルドの顔を見る。親の背中をようやく見つけた迷子のような顔だった。


「今から、行きましょう。送ります」


 迷っている彼の後押しをする。

 その途端、来客の気配がした。外から聞こえる雨音が鮮明になり、アルフたちの視線はそこへと注がれる。


「……ヴィオラ」


 息を呑んでリカルドは愛しい人の名前を呼んだ。雨に濡れ、髪が乱れたヴィオラが涙を溜めて真っ直ぐに見つめた。束ねたたくさんの手紙を抱えてヴィオラは震えながら告げた。


「その必要はないわ」


 彼女の背後から初老の男性が現れ、とうとうリカルドは硬直してしまった。

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