7.朗報?

「デイジー?」


 朝とは様子が違っておかしい。アルフが結ったはずの髪はボサボサで、リボンが崩れている。制服もどこかくしゃくしゃだ。

 アルフの声に俯いていた顔が振り向く。


「!」


 妹の顔は酷い有様になっていた。引っかき傷が鼻や額に走り、頰には打たれた痕、目元はたくさん泣いたのか濡れて赤く腫れている。

 アルフはヴィオラを押しのけ、デイジーのもとに駆け寄った。震えるデイジーの頰を撫でる。熱が篭っており、痛々しい。


「これはどういう?」

「落ち着いてください、ナイチンゲール


 ヴィオラは睨まれて一瞬身を竦ませたのか、一歩足が下がる。しかし理不尽な保護者や問題を起こした生徒の対処をアルフよりも多くこなしてきた先輩教員だ。すぐに怯んだ表情は真剣さを帯びてアルフを椅子へと促した。

 素直に従い、デイジーの隣に座る。それを確認したあと、一度階下を見てからヴィオラは二人の向かいに座った。茶封筒がテーブルの上に無造作に置かれる。


「話を最後まで聞いてくださいね」


 もう一度アルフに釘を刺す。分かっている、と頷くと神妙にゆっくりと彼女も頷いた。


「今回はこのような事態を招いてしまい、申し訳ありません。教室内でデイジーさんは同じクラスのジョゼ・クロムウェルさんと取っ組み合いをしました」

「私、は、悪くないわ!」


 デイジーが泣き叫ぶ。身を乗り出してヴィオラが肩を撫でる。


「分かってます。最初に仕掛けたのはジョゼです。これは多数の人が目撃してますから、確実です」

「……仕掛けた?」

「ぶったの、あいつ……! 私、なんのことだか、わからなくて……怖くて。だって、だって仕方ないじゃない! 私の進路のこと、急に、話すんだもん! 先生と私しか知らないのに!!」

「進路?」


 立ち上がるデイジーを抱きしめ、アルフは落ち着かせるようになだめながらヴィオラを見た。


「デイジーさんからは進路のことでいくつか相談がありました。それを彼女は聞いていたみたいです。これは私の不手際です。申し訳ありません」

「先生は悪くないわ!」

「デイジーさん、ありがとう。ジョゼは別室で厳しい指導と反省を促しています」

「相手の親には?」

「連絡済みです。先程も申したように、目撃者が多く、なかには生徒のみならず教師もいました。納得するかと」


 しかし今のところ、ジョゼからの謝罪はない。アルフは思わず机を殴る。塔のなかが鈍い打撃音でいっぱいになり、デイジーが身を竦ませてアルフにしがみついた。


「落ち着いてください。……手が怪我をしてしまいます」


 ヴィオラがテーブルに振り下ろされた拳を撫でる。


「今のシーズンはピリピリしています。ナイチンゲールさんなら分かるでしょう」


 今のシーズンは、就職がはじまっている時期。実家を継ぐならば実家のために切磋琢磨し、それ以外は必死に己の技術を希望する職場へアピールする。デイジーもこの前希望する職場へ数件、面接に向かった。


「勿論学校側も常に注意している。私の受け持つ学年は常にストレスに晒され、競争のために喧嘩が勃発することもあります」


 アルフが就職に勤しんでいる時もそうだった。できるだけいいところへと集まるのは人の性だ。実際にライバル同士喧嘩するところを何度か傍観に徹したこともある。教員が必死に止めては別々の指導が施される様も。

 まさか妹がその当事者になるとは思ってもみなかった。

 しかし、アルフには納得がいかなかった。


「見逃せと? 妹がここまでされて?」

「違います」


 ヴィオラは腕を組み、二の腕をさする。ここは常に肌寒い。


「私は強引な手段に出ないようお伝えしているのです。場合によっては関係ない生徒にも悪影響が出ます」

「しかしっ」

「必ず厳しい処分がジョゼには下されます。彼女の就職は、これで三、四年は難航するでしょうね。これ以上追い詰めるのであれば、ナイチンゲールさんは家族を巻き込んでまで、戦うつもりですか? 最悪デイジーさんにも、影響が及ぶでしょう」

「……」

「言っておきますが、ジョゼを擁護しているわけではありません。したことには相当の責任が伴うことを分からせるつもりです」


 力強い瞳に、アルフは否定的にはなれなかった。


「──分かりました。信じます」

「そう仰っていただけてホッとしました。それから……デイジーさん、あのことをお話ししてもいい?」


 ふと優しい表情になってデイジーを見る。いつものヴィオラだ。この柔らかな表情に、アルフはいつも胸に何かが去来する。

 どことなく、母に似ている。


──お前なんか産まなきゃ良かった。


 一つ、瞬きした。目の前の席にいたヴィオラが消えて母親がこちらを睨んでいる。

 心臓が大きく波打った。

 息を飲み込み、アルフはもう一度瞬きをする。


「ナイチンゲールさん?」

「っ……ああ、はい。なんでしょう」


 訝しげに見つめられ、アルフは慌てて笑みを繕った。


「こちらを」


 テーブルに置かれていた茶封筒を差し出される。アルフは受け取ってヴィオラを一瞥した。


「中身を見てください」


 頷いて開封する。封をしていた紐をボタンから外し、なかにあった一枚の書類を取り出した。




 デイジー・ナイチンゲール様


 御社オリーブ出版社の面接を受けていただき、ありがとうございます。

 貴殿の正確で速いタイプには目が見張るものであり、素晴らしい逸材と判断しました。是非とも、御社への正式の入社を希望していただきたい旨を申し上げます。


 オリーブ出版社より




 デイジーが面接を受けた職場からの合格通知だ。

 いったいどこを受けたのかといえば、まさかのオリーブ出版社だったとは。アルフは驚いてなんども書類の内容を確認する。

 オリーブ出版社とは有名だ。この国の本はほとんどこの会社であり、この学校の教材も出版しているほど。そして何より、ここへの就職競争率は高い。

 妹の実力が大手に認められたのだ。興奮気味になってアルフはデイジーを抱きしめた。


「すごいじゃないか、デイジー!」


 腕のなかでデイジーは全く返事をしなかった。それどころか、悲しそうに泣き始める。いったいどうしたのだろう、と解放して妹を見ると、何度もアルフに謝罪する。


「デイジー?」

「お兄ちゃん……私、私ね」


 ごめんなさい、と呟くデイジーに、アルフは嫌な予感がした。




「……内定を取り消したいの」

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