7.ウォークス・シトレー

 午前中は病院の診察に費やした。目の下の隈をなぞり、医者と他愛のない会話をして薬を処方された。症状は軽くなったとはいえ、膠着している状態だと診断された。ここが正念場ですよ、と何十回目かの台詞を言われた。

 そのあとはムーサ通りを練り歩いた。珍しく今日は晴天で街中洗濯物の天井が出来上がっている。

 晴れやかな天気に興奮しているデイジーが二人を振り回した。特に文房具店はタイピストを目指す彼女にとってはドレスや宝石よりも魅力的な宝物庫だと琴線に触れたらしい。タイプライターコーナーの前を何度も往復していた。エマに急かされて悩んだ挙げ句、デイジーは最近流行りのアール・ヌーヴォーデザインのインクリボン入れを買った。昨日アルフが見つけた色が変わるインクリボンを勧めたが、「使いにくいからやだ」と冷たく断られた。明日自分は死んでるかもしれない。

 ランチは通りの端にある小さなカフェーでとった。優しい塩味のベーコンと苦い珈琲を腹に収め、ようやく紙花を求めて店へと向かった。


「ここ?」


 表の通りから隠れるようにあった店を姉と妹はまじまじと見つめた。窓のカーテンは開けており、落ち着いた店内が曇り硝子からぼやけて見えた。


「そう、ここだよ」


 得意げに店の扉を開ける。


「わあ……っ!」


 店内の花畑に二人は目を輝かせた。エマはすぐにいつもの気難しいつり目に戻った。

 見知らぬ世界に三人が浸っていると、奥の硝子格子から物音がした。そしてその部屋から人影が顔を出した。その人物の顔を見た瞬間、三人の顔が強ばった。

 出てきたのは、女の亡霊だった。

 昨日会った美女とは違う、全くかけ離れた人物。よれよれの絵の具で汚れてしまっている白いワンピースにブラウンのエプロン。黒髪がぼさぼさに乱雑にまとめられ、腰まで伸びている。化粧をしていない顔は一般よりも血色が悪く、青白い。多分だが化粧のファンデーションの色を選ぶのは大変だろう。

 とにかく人とは思えない様相だ。


「だ、誰?」


 エマとデイジーがアルフの背に隠れた。袖が伸びそうなぐらい二人が引っ張って盾にされている。女の亡霊は、三人を見たあと、隈をこさえた目を忙しなく動かしてレジのあるカウンターに入った。がさごそ、と漁り、名刺ほどの大きさの白いカードを取り出す。そしてアルフたちの元に歩いた。一言も喋る気配はない。

 幽霊に武器は有効だろうか。アルフの体を汗が駆ける。


「……」


 女性は白いカードをアルフに差し出した。三人で覗き込むとそこに書かれている文章に目を瞬いた。


『いらっしゃいませ。

 私は紙花ペーパー・フロース工房の店主ウォークス・シトレーです』




 なんと、幽霊はアルフが会いたかった店主だった。



 昨日アルフが会った女性──ヴィクトリカ・テイラーは、買い出しから帰ってくるなり、ウォークスの姿を見て小さく悲鳴をあげた。パンを落さなかったのは素晴らしい忍耐力である。彼女の襟首を掴み、馬も驚く早さで奥の部屋に駆け込んだ。アルフたちに向ける営業スマイルは忘れない。何かの戸棚を勢いよく開閉する音が響き、悲鳴のような説教が壁越しから零れた。

 暫くして、髪を整えたウォークスが不服そうな顔で現れた。愛らしいピンクのリボンだ。化粧はしていないので顔はやはり青白い。彼女はまた白いメッセージカードを差し出した。



『私は喋れません』


 はじめに書かれていた言葉にアルフは息を飲む。


『なので、タイプライターで会話することになります。ご了承ください』


 三人は顔を見合わせる。一言も喋らなかったのではなく、喋れなかったのだ。

 ウォークスは三人をタイプライターのある猫足のテーブルに導いた。座り心地のいいソファにエマの眉が下がる。うっとりと出されたため息は色っぽい。

 いったいこのソファはいくらかかるのだろうか。

 シックな色合いのタイプライターにデイジーが興味を示す。


「最新式のタイプライターだわ!」


 ウォークスはデイジーの言葉ににっこりと笑った。そしてタイピスト顔負けのタイプで言葉を綴っていく。


「ジョゼよりも優秀かも」


 これまたデイジーが反応する。アルフの耳元で囁き、ウォークスの手元を凝視した。ジョゼとはデイジーのライバル──勝手にデイジーがそう呼んでいる──であり、タイピストを目指すクラスのなかで一番優秀の生徒だ。一度見かけているが、どこかの金持ちなのか、随分と育ちのよさが伺えた。それよりも優秀とは、実はすごい人物なのではないか、とアルフは思った。

 エマは他に夢中だ。ソファに座りながらもスミレの紙花を見つめて口の端をぴくぴくと動かしている。

 アルフはウォークスの顔をこっそり観察した。お世辞にも美人とはいえない、そばかすをこしらえた普通の顔立ちだ。平凡の一言に尽きるどこにでもいる女性。あの綺麗な紙の花を作れるとは思えない。

 失礼きわまりないことを考えているうちにタイプが終わった。カーボン紙が引き抜かれ、アルフの前に出された。


『改めて、紙花工房シトレーにようこそいらっしゃいました。私は店主のウォークス・シトレーです。あなたのお探ししている花、お作りします。オーダーメイドでしたら、製作にお時間がかかります。なので数週間前からの予約となります。

 今日のお客さまはどのようなご用件でしょうか』


 オーダーメイドもしているのか、ならば頼もう。

 アルフはオーダーメイドにすると伝えて、何に使うかを説明する。


「姉の誕生日に何か贈ろうと思って……。何が良いか……ふさわしい花ってありますか」


 告げられた言葉にウォークスは少しの間、考える仕草をしたのち、ゆっくりと立ち上がった。カウンターと一緒に並んだ本棚から、数冊の分厚い本を抜き取って戻ってきた。真っすぐな黒髪が馬の尻尾のように揺れる。

 テーブルに置かれた本は全て花に関するものだった。花の細かいところまで描いた図鑑に花言葉に記された新しい本。特にアルフの興味をかき立てのは、花言葉の本だった。手に取ってページをめくろうとして、勝手に見ていいか分からずにウォークスを見る。すでに彼女は伝えるべき言葉をタイプしていた。カーボン紙が渡される。


『花にはそれぞれ花言葉があります。起源は分かりません。しかし、花言葉はそれぞれの花が持つ神話や逸話などからつくられたものが多いです。少し前には貴族や金持ちの令嬢が手紙の代わりや、暗に何かを伝える用途として使われました。お客さまがどんな花を選べばいいか分からないのでしたら、花言葉を用いてはいかがでしょうか』


 そのために本を用意してくれたようだ。カーボン紙を見ているアルフの腕からデイジーが花言葉の本を奪い取り、めくった。豊かな色彩に印刷された花の挿し絵の下には、花の名前と花言葉、由来について細かく記されている。


「見て、お兄ちゃん!」


 赤いバラの挿し絵を指で差し、はにかむ。


「これの花言葉、すっごく素敵じゃない?」


 アルフは本を覗き込む。赤いバラの花言葉は『情熱、熱烈な恋』と記されている。

 熱。

 恋。

 全く縁のない言葉の羅列にアルフは何と返そうか困った。

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