8.他人行儀の家族
「そうだね……」
やっとでてきた言葉は適当なものだった。それでも不満な様子は見せずに妹は本を独占し、アルフの返事を流した。悲しい反応に、アルフはウォークスに向き合った。気まずそうに笑いかけると、ぎこちなく笑みを返される。尚更気まずい。エマは、というと、手持ち無沙汰になったと言わんばかりに店内を歩き、ヴィクトリカと話しはじめて盛り上がっている。紙花の話しからいつの間にか、最近流行りのファッションにコスメの話題にすり替わった。ついていけない単語ばかりが聞こえる。
「どれも素敵で迷っちゃうね」
「うん……でも早く決めないとな」
一ヶ月以上も先だが、早めに決めた方が店主も楽だろう。急いでめくるが、その度に目移りしてしまう。忙しない。
『未だ決まらないのでしたら、紙花をどういった形にするのかを決めてみたらどうでしょう。
サンプルとして花束と箱詰めのものを持ってくる。花束は淡いピンクの紙で包まれたかすみ草とガーベラの紙花。リボンはオパールグリーンの蝶結び。リボンを解いたあと、マグカップなどに入れて飾ることができる。店にはそれ用の花瓶まで販売しているらしく、その入れ物も見せてもらった。鮮やかな色彩と美しい技法で作られた花瓶たち。値段は少々高めだった。
花箱はピンクと白のストライプの四角い箱のなかに、薄緑のトルコキキョウと濃い紫のチューリップが敷き詰めている。
毎日が忙しいアウラに手間をかけさせるわけにはいかないとエマからの横槍がはいったため、すぐに飾れる花箱になった。
あとはメインとなる花を選ぶだけになった。しかし、やはりなかなか決まらない。
エマはバラを、デイジーはチューリップを。
「花といったらバラしかないでしょ」
「アウラお姉ちゃんにバラは似合わないよー。チューリップがいい!」
負けじと二人は睨み合う。どうすべきか、アルフは戸惑って助けをウォークスに求めたが、彼女もどうしていいか困惑してソファから姉妹を見つめている。結局止められることもなく呆然としていると、飛び火が二人に降り掛かってきた。エマとデイジーが二人に顔を向けた。あまりの形相に思わず体が後ろに逃げる。
『お客さまのご希望に添えるのが、当店の仕事ですので』
先程よりも早いタイピング速度で仕上げたカーボン紙をアルフに押し付ける。
逃げたな。
カーボン紙片手に顔が引きつる。非難がましく見れば、あからさまにウォークスは顔をあらぬ方向へそらした。分かりやすい人だ。
「お兄ちゃん!」
「アルフ!」
姉と妹に睨まれる。どちらもいいとは思うが、アウラへのプレゼント用となると微妙だ。何せ贈る相手であるアウラはあまり派手なものを好まない。きっとどこに飾ればいいか悩んでしまうだろう。その光景は簡単に想像出来た。それでもそう言っても、この姉と妹は納得しないだろうな、ということも想像できた。
「まだ時間があるから、他のものを見てみよう」
こういうしかない。ただの時間稼ぎだ。
デイジーはそうだね、とバツが悪そうに視線を落して静かになった。
「あんたはどうなの?」
未だ納得していないエマがアルフを見る。ここで逆に意見を問われるとは思っていなかったアルフは返事に窮した。唇が迷う。
つり目の真っすぐな非難。
嫌いだ。
エマは昔からこんな目をする。震える指先をテーブルの下に隠してアルフは苦笑する。
「まだかな。たくさんあって。決めてないんだ」
「やめてよ」
エマが苦々しく呟く。両手を強く握りしめ、唇を直線に結び、今にも泣きそうな顔にアルフは後悔した。言葉を選び損なったことは明らかだった。彼女の何かを踏んでしまったらしい。
「その顔、止めなさいよ。気持ち悪い」
顔──。自身の頬に手をかける。
「私、帰るわ」
他人の前であることを思い出したエマは小さくウォークスに会釈し、コートを着込むと足早に店を飛び出した。
「えっ、待ってよ、エマお姉ちゃん」
デイジーが慌てて追いかける。残されたアルフはウォークスに謝罪をする。お前も追わないのか、と彼女が不安げに見つめていた。大きなお世話だ。
「姉が……すみません。姉とは少し仲がよくなくて」
ウォークスは首を横に振り、タイプをはじめる。
『気になさらないでください。ここは色んなお客さまがいらっしゃいます』
精一杯の気遣いが印字から滲み出ている。少しだけ、アルフの心が軽くなる。再びウォークスを見ると、まだ何かを伝えたいようでタイプライターと向き合ってキーボードを忙しなく鳴らしていた。
『まだ決まらないのでしたら、次回別の日にご来店ください。無理に見つけようとしなくてもいいのですよ。お客さま方が納得できる日をお待ちしております』
アプリコット色の瞳が優しくアルフを照らしていた。地味だけど温かい人だな、とアルフは感じた。
アパートメントに帰ってきたアルフを待っていたのは、部屋に閉じこもるエマとお腹を空かせたデイジーだった。帰りついてからずっとこうなのだと不慣れな手つきで野菜を切りわけるデイジーが困り顔で教えてくれた。
「どうしてエマお姉ちゃんとお兄ちゃんは仲良くなれないの?」
その質問に、アルフは具材を混ぜる手を止めた。フライパンのなかのベーコンが脂を跳ねながら熱を受け入れていく。未だ無垢から卒業できていないデイジーを見下ろした。
「どうにもできないことだってあるんだよ、デイジー」
直後にデイジーの瞳に滲んだのは、失望だった。
夕食は塩味の強いものとなった。お世辞にも美味とは言いがたい食事を済ませると、デイジーは早々に寝る支度を整えて自室に入っていった。
一人分の食事をトレイに乗せ、エマの部屋のドアをノックする。くぐもった返事とともに、ドアに近づく気配。
「なに?」
「ご飯を用意したんだ。デイジーと、つくったんだ。美味しいかどうかは別だけど、お腹減っただろ」
「気分じゃないわ」
「そ、そっか、ごめん」
「──ごめんって何?」
声に冷たさが帯びる。
「なんで謝るの? 謝る必要がさっきあった? どうしていつもあんたはそうなの?!」
いつも、ずっと、エマはアルフに怒っていた。その理由が分からなくて、アルフはエマとの距離を置いた。それが間違いだとエマの態度ですぐに分かった。更に怒らせて溝を深めて取り返しがつかなくなった。戻り方をアルフは知らない。きっとエマも分からない。
「私たち、ただの他人じゃないのよ!」
家族なのよ!
どうして!
嗚咽混じりにエマが叫ぶ。もう支離滅裂で、ドアによって壁をつくられたアルフにはどうしようもできない。
「どうして他人のようにっ、顔を伺ってっ、あんたいい加減にしなさいよ!!」
叫び終わって沈黙する。どう声をかけるか悩んで迷って、もう一度ノックしようと手をあげた。
「……もういいわ、おやすみなさい」
突き放す声がして、気配が遠のいた。
また一歩、遠のいてしまった。唇を噛み締め、その寂しさを味わった。
食べる人間のいなくなった食事を適当に片づける。まるで自分のようだとアルフの唇が歪に嗤う。
取り残された。
この言葉に、何重もの意味を押し込めた呟きを聞いてくれる者はいない。誰に、何に、何を、などたくさんいる。
心を戦場に。
命を死神に。
想いを彼方に。
起きて、食べて、働いて、寝て──その繰り返しはあまりにも平穏で残酷で、アルフを取り残した。
苦しいのだ、この青年は。息苦しくて、あまりの胸の苦しみに耐えきれず、泣くことも簡単にできない。全て戦争が持ち去った。英雄という賞賛も、憧れの眼差しも、気休めでアルフの心を掻き乱す。
一瞬、ほんの刹那。
戦争が起こればいい、と恐ろしい願いが頭をよぎることがある。人殺しが許されるあの日々が来れば、自分は何事にも苦しみを被ることはないのかもしれない。そこに意味がないと知っているくせに。
夜、アルフは歩兵銃を手にしたまま、眠りについた。
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