3.葬送のオーダー

「アルフ先生?」


 真っ黒なワンピースドレスを身に纏ったヴィオラ・テューダーはアルフと同じ、アルストム城跡カラムス国立初中等学校で働く女性教員だ。

 中等部を担当する彼女はアルフの存在に驚き、口元に細い指先をあてて、まあ、と口に出す。連れの若い男は首を傾げてヴィオラを見る。眉と瞳は不機嫌そうに説明を求めていた。

 もしや。

 アルフは男とヴィオラの関係性をなんとなく理解して戸惑った。


「同僚の方よ。アルフ・ナイチンゲールさんっていうの」

「同僚……? ということは教師か」


 明らかに声に敵意がこもっている。アルフは身構えた。やはり、直感はあたる。

 この視線には覚えがあった。

 仕事のことで声をかけられたとき、他の男性教員たちからよく向けられたものだ。


 嫉妬。


 ヴィオラは女性教員のなかで一番の美人だ。工房のヴィクトリカにも負けないぐらい。菫の意味があるが、アルフは彼女を見ると柔らかな真っ白のトルコキキョウを思い出す。柔らかな曲線と無理のない花びらの開き方。黒の波打った髪は、雪の肌を際立たせ、丸く垂れた瞳は包容力に満ちている。

 間違いなくほとんどの男性は、ヴィオラに一度は胸を打たれるだろう。事実、アルフでも初対面のときは緊張したものだが、それは恋愛というものには昇華しなかった。


 おそらくだが、ヴィオラと敵意丸出しの男の距離間からして、二人は親しい間柄なのだろう。男は自分のものだと言わんばかりにヴィオラの腰に手を回している。嫌がる様子も不愉快に顔が歪む様子もないので、そうなのだろう。

 口元はにこやかだが、アルフに対して目が笑っていない。


「訳あって手伝いをしてます」


 教師が何故ここにいるのだという視線に、アルフは短く言って客用のソファに二人を促した。ローテーブルにはタイプライターと数十枚のカーボン紙が準備をしてウォークスが触れるのを待っていた。

 ウォークスは二人の向かいに座り、ヴィクトリカとアルフは二人に出す紅茶の準備へと二階に上がる。その際も鋭い視線に見送られた。


「随分熱烈ね、アルフせんせい」

「……」

「で、アルフせんせいは、ヴィオラせんせいとはどういう関係なのかしらん?」


 キッチンに入るとヴィクトリカがわざとらしくアルフを小突いた。思わず顔を顰める。


「ただの同僚ですよ」


 嘆息して戸棚から客用の紅茶を、冷蔵庫からミルクを取り出す。今日は一段と冷えるのでチャイを。小鍋を取り出し、用意する。


「本当にそれだけ?」

「……ええ」


 彼女とは同僚であって、それ以上の関係ではない。妹のデイジーの担任でもあり、保護者という立場でヴィオラと接することもある。

 すでにスパイスを入れた茶葉からは華やかな匂いがする。沸騰させてミルクを注ぎ、待つ。その間ヴィクトリカは小皿にドライフルーツを練りこんだクッキーを用意した。ドライフルーツは生のフルーツが高価なので喜ぶ客が多い。


「ちょっと間がある返事だったけれど?」

「お気になさらず」


 訝しげに見るヴィクトリカから逃げるように階下へ降りる。ヴィオラが用意されたクッキーにつられて小さく微笑した。


「アルフ先生、ありがとうございます」


 彼女の手にはウォークスのメッセージカードがあり、前置きとして喋れないことを知ったのだろう。ウォークスの手元を熱心に視界に入れながら話している。


「それにしても驚きましたわ。義母が気に入ってらした店にアルフ先生がいるだなんて」

「義母?」


 突然のフレーズに、アルフは首を傾げてウォークスを見る。絵の具まみれのエプロンのポケットから一枚の封筒を取り出して、ウォークスに差し出した。あのものを乱雑に使ってしまう彼女が所持していたにしては、とても綺麗に保管してあったものだ。

 いやそれよりも。

 見覚えのある手紙だ。宛先の下に記載された差出人の名と封蝋を確認し、切手に押された印を見てギョッとする。


『フランチェスカ・レディバッグ』


 テントウムシの封蝋。

 消印の日付は間違いなく、アルフがルコの代わりに届けた手紙のものであると証明している。


「フランチェスカさまは私の婚約者のお母さまなの」


 隣の男を甘やかに見つめるヴィオラ。


「──リカルド・レディヴァッグだ。今日は急遽、ここに用ができて来た」


 リカルド・レディバッグ。その名前をアルフは聞いたことがあった。思考を巡らせているとヴィクトリカが耳打ちをする。


「ヘブンリー劇場の若手俳優よ」


 エマがよく行く劇場だ。聞き覚えがあるのはそのせいかもしれない。


『オーダーメイドということでしょうか』

「そうだ。花の種類はなんでもいい」


 リカルドの声音は冷たいものだった。ここでヴィオラがはじめて不愉快そうに顔をしかめた。非難がましい目がリカルドを見るも、彼は気づかない。淡々としている。


「白であればなんでもいいんだ。明々後日までに二十本」

『用途は、葬儀に、ですか』


 ウォークスの問いに、リカルドは口の両端を下げる。


「すまない。ヴィオラ、説明してやってくれ。こういうのは苦手だ」


 婚約者の返事も聞かずにリカルドは紅茶に口をつけた。小さく、うまいな、とだけ呟いて沈黙になる。

 いつものことなのか、それでも不満そうにヴィオラはため息一つで頷いて説明を続けた。


「フランチェスカさまが昨日、お亡くなりになりました」


 微妙な雰囲気だった店内は、シンと静まった。

 アルフはウォークスの横顔に目を見開く。彼女の手はキーボードの上に固まり、アプリコットの瞳が嘆いている。唇が、わなわなと震えて、どうして、と音のない質問を零した。それにヴィオラは気付かず、話し続ける。


「心臓がお悪くなって、そのまま……。フランチェスカさまの遺言には花を、こちらの店の紙花を添えてほしいと書いてありましたの」


 エピストゥラの葬式と白は深い関わりがある。故人に故人と深い関わりのある者が葬儀の際に白いものを贈る習慣だ。

 今までの苦しみ、辛さから解放されると言われる死後の世界に、自分にとって幸せだった思い出も一緒に連れて行くために白は特別なものだ。真っ白だからこそ、そこに故人の記憶を乗せることができると、昔ながらの死への思想と救済が詰まれている。

 真っ白なハンカチ、頁が真っ白な本、真っ白な服。最近は故人と関係のあるものを刺繍し、贈るところも増えてきたので、全部が白という縛りはない。

 フランチェスカは紙花ペーパー・フロースを選んだ理由はなんだろうか。ただの知り合いというわけではなさそうだ。


「用意できますでしょうか?」


 注文した数は大丈夫だろうか、とヴィオラの目がウォークスを探る。

 一つ頷き、ウォークスは返事を打った。


『可能です、ヴィオラさま』

「ああ、よかった!」


 ヴィオラはホッと大きな胸を撫で下ろす。


『しかしながら』


 指に迷いはないものも、アプリコットの瞳が目の前の恋人を交互に見た。


『本当に、花の種類はこちらがお決めになってもよろしいのですか? こちらには花についての図鑑がございます。ご覧になりますか』


 まあありがとう! 華やいだ微笑みをして前のめりになる婚約者とは反対に、リカルドはうんざりした顔で立ち上がる。


「リカルド?」

「すまないが、決めるなら君がしてくれ。稽古の時間だ」

「え、でも、フランチェスカお義母さまのことよ? 息子であるあなたがいなくちゃ話が進まないわ」

「構わない」


 はじめてリカルドがヴィオラに対して渋い顔をした。あれほどヴィオラに対して独占欲を見せつけていたというのに。


「花のことはよく分からないし、時間もない。第一に──」


 リカルドは言葉を切ってベスト下の懐中時計を取り出し、視線を落とす。


に贈るものなど、適当でいいだろう」

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