9.手紙

 その日からエマと話すことはいつもよりも減ってしまった。必要最低限の会話だけで、デイジーが何とか話を盛り上げようとするが、全く反応を示さずに沈黙ばかり。

 そんな時に限って、アウラから手紙が来る。


『親愛なる私の家族へ

 元気にしてる? こっちは忙しいけれど、とても充実しているわ。エマとアルフは喧嘩していないかしら。昔からあなたたち、よく喧嘩しては、お父さんから叱られてよく泣いていたわね。私の勘が正しければ、今、私の誕生日プレゼントのことから発展して喧嘩しているでしょ? もうお父さんはいないし、大人なんだから私に頼らず、自分たちで和解できるようになりなさい。デイジーだっているのよ、気まずい思いをさせちゃ駄目でしょう。しっかりなさい。

 エマ、ただ怒っているだけじゃ何も伝わらないわ。

 アルフ、もう少し周りを見てあげて。一人じゃないのよ。

 誰でもって言ったら、変かしら? 信じられる人に相談してもいいの。私の誕生日までには、仲直りしてね。それが一番のプレゼントだわ。

 ところでデイジーはこの前の試験、いい成績だったんですって? すごいじゃない! 嬉しいわ。今度の帰省には、あなたの好きな果物のパイを作ってあげる!

 三人に会うのを楽しみにしてるわ。

 アウラより』


 長姉にはどこまでもお見通しのようだ。嘘などつけやしない。朝食にてその手紙を三人で回して読んだ。エマは明らかに動揺しており、口の端がひっきりなしに動いていた。デイジーは頭のなかはもうアウラの作るパイのことでいっぱいらしく、下手くそなスキップで登校した。

 アウラの手紙が来て一週間、アルフとエマはまだ仲直りできていなかった。ただ一つ、変わったとすれば、エマは帰宅の際、アルフの迎えをよく断るようになった。タクシーを使い、夕食前に帰ってくる。代わりにアルフが夕食を作ることになった。デイジーと一緒にレシピと睨めっこしながらの料理はなかなか難しく、計量には苦労した。どれだけエマが苦労して作っているか身にしみた。料理の味がマシになってきた頃、手紙が届いた。

 差出人は紙花工房の店主、ウォークス。仕事帰りにルコから手渡しされた。住所を知らなかったので、わざわざ郵便社に訪れてルコに配達するよう頼んだらしい。

 無口な店主であるが、気遣いのできる人だよ、と少しばかり交流のあるルコが、パンのように柔らかい微笑みとともに教えてくれた。

 家事のことがあってなかなか店に行くことがなかった。そういえばアウラの誕生日はもう二週間後になる。催促に手紙を出しのかもしれない。静かな夕食後、アルフは手紙を読むことにした。ペーパーナイフという小洒落たものはなく、枕の下からナイフを取り出して封を開けた。桜の封蝋だ。少しばかり嫌悪が走る。それでもアルフは何も言わずに便箋を広げた。


『アルフさま、お元気でしょうか』


 タイプライターの印字だ。読み書きができる人だと思っていたのだが、もしかしたら、字のクセが強いのかもしれない。


『件の花は決まりましたでしょうか? まだでしたらいつでもご来店ください。相談にのります』


 気にしてくれていたのか。


『追伸

 大きなお世話かもしれません。どうしても気になって手紙を出すことにしました。無理なさらないでください』


 優しい人だ。人見知りの激しいだけなのか。ぶきようなのか慌てていたのか、追伸の内容はどうみても冒頭に書くべきものではないだろうか。思わず笑みが溢れた。

 明日は必ず行こう。

 手紙を丁寧に折り畳み、ライティングビューローの引き出しにそっと入れた。



 次の日の放課後、仕事を早めに済まし、アルフは急いで店に向かった。今日は珍しく雨は優しい。デイジーを誘ったが友達にカフェーへ行かないかと誘われたらしい。これは諦めなければ。エマも、と思ったが、朝食時に先約があるから迎えはいらないと言われた。

 車ではなく、傘をさして一人街を歩く。雑踏に怯えていた昔の自分が懐かしい。自分でも知らぬ間に、成長していたのだと実感できた。アルフはホッとして歩む。

 父だってこの姿に喜ぶかもしれない。


 その時だった。


 唐突に空気の破裂音がした。


「っ──!」


 大きなクラクションだ。雑踏が騒ぎ、怒声が響いた。どうやら歩行者が道路を無理矢理横断しようとしてきたらしい。それでもアルフの心と体は刹那に硬直した。すぐ近くの建物の壁に寄りかかる。



 苦しい。


 息が苦しい、苦しい。


 頭がガンガン鳴ってアルフを襲った。痛みで視界が揺れる。こういう時は、こういう時は。トランクを開けようとするが上手く指が開けてくれない。自分のものではなくなったかのように震えている。


 違う違う。

 さっきのは砲撃でも銃声でもない。ただのクラクションだ。そう言い聞かせても突然の爆音を浴びた体と精神は戦場へと送り込まれていた。

 行かねば。


 アルフはなんとか歩いた。


 かねば。



 行き先は、──。


 真っ暗になった気分だ。汗はびっしり溢れて体を伝い、服を内側から濡らした。めまいで体が自由に利かない。目の前を通り過ぎる人間の輪郭がぼやけて見える。


 そのなかに、一人だけ、綺麗な輪郭の人影を見つけて絶句する。喉奥で声になるべき音は掻き消えた。


 友がいた。

 死んだはずの親友が、上頭部を失くした姿でアルフを


──お前も、お前も責めるのか。


 口元は血で汚れていて全く分からない。


「え、う……っ」


 友の影を振り払うように強く一歩を踏み出す。壁や人にぶつかりながらもどこかを目指した。

 家族は戦場にはいない。

 アプリコットの果実。

 黒い優しさの夜。

 歌の代わりにカタカタと鳴る音楽。


 目の前にふと見えた扉を開け、なだれ込んだ。勢い余ってアルフの体はテーブルにぶつかり、桜の柄の花瓶が床に落ちて絶命する。その上にアルフは座り込み、自然とウォークスを捜した。

 いた。アルフの姿を見つけてソファから立ち上がり、駆け寄ってくる。聞き慣れた喧噪がする。

 アプリコットの瞳が目の前に現れてアルフの顔を覗き込んだ。今日も化粧なんてしていない青白さ。それを見ただけで目的地に来れたのだと理解した。

 思いのほかアルフを安心させた。意識をゆっくりと手放し、とうとう真っ黒な虚夢きょむへと入り込んだ。

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