手に入れたくて手をのばす

「で、また噛みつかれたの?」

 有王が両手を腰に、盛大に溜め息をついた。

莫迦バカだね」

「うるさい童顔」

「顔は関係ないよ、老け顔」

 どっかりと床に座ったまま、義高はブスッと横を向いた。


 またしても小袖一枚の姿の義高の肩には、くっきりと歯形が残っていた。

 首を向ければかろうじて自分でも見える位置についている。

 それを指先でなでながら、横に立っている巴も溜め息をはいた。


「殿のことだから、さっさと突っ込むとかしたんでしょ」

「そんなことはない」

「どうだか」


 有王が、どさっと反対側に腰を下ろした。

 こちらも小袖一枚で、晒を巻いたうすい腹がまるみえだ。それを隠すわけでもなく、きっと顔をあげて、義高を睨みあげてくる。


「仲良くなってほしいとは言ったけれど、早急に事を進めろとは言っていない」

「早急に進めたとしか思えない有様よね」


 まだ巴は傷跡をなでている。言うまでもなく、彼女も晒と袴だけの姿だ。


「突っ込まれれば女は喜ぶなんて教えたつもりはないよ、わたしは」

 まるい胸をそらして、にっこり笑われる。

「ちゃんと可愛がってあげなきゃ、ね?」


 視線がかみあう。女武者の笑みがふかくなる。そっと目を逸らす。


 そのまま目を閉じれば、瞼の裏にくっきりと、しろい体を描きだせた。

 耳の奥ではまだ、あえかな声がこだまする。


 あらぬ方向へとむかいかねない思考を引きもどしたのは、ぺちぺちという音だ。

 巴が今度は、手の甲で義高の腹を叩いているのだ。


「せっかちなのは欠点だけど、このお腹は誇っていいわよ」

「おい」

「適度にかたくて、適度にやわらかくて、触わってていい感じ」

「おまえ、何をしている」

「撫でてもよし、ぶつかってもよし」

「巴、いい加減に……」

「服を着るのだ」


 大男がぬっと立った。

 公暁だ。

 禿頭のてっぺんまでまっかにして、目を細めて。いかつい手には紅の小袖を持っている。


「巴殿、服を着ろ。寒いぞ」

「何言っちゃってんのよ。冬なんだから寒いに決まっているでしょ。それに、殿も有王も薄着なのに、なんで私だけ着なきゃいけないの」

「いいから」

「なによ、【自主規制】しか隠してないあんたに言われたくないわ」

「……いいから」

「あんたもごつい筋肉持ってるんだけどねえ。私は殿くらいの引き締まり方が好きなのよ。あんたほどごついと抱かれる方は重みで潰されそうじゃない?」

「いい加減にやめてやれ」


 義高は、自分の腹から小さめの手を引き剥がした。

 巴を挟んで立っている元修行僧は、体中真っ赤だ。目をつむって汗を流す姿に憐憫れんびんさえ感じる。


「巴。服を着て、色ごとの話をやめろ。公暁がひっくりかえる」

「はいはい。殿の頼みじゃあ仕方ないわね」


 よいしょ、と袖に腕を通す姿を認めてから、肩を落とす。

 横に座った有王と目が合った。


きおう

 微笑まれた。


「お嫁さんもらって、嬉しいよね」

「どうだろうな」

「僕は嬉しいよ? 競に家族ができるんだもん」

「……そうか」


 ニコニコしたままの有王に、ふっと笑い返して。義高は首を振った。


 何度も思い返すが、義高と帰蝶自身が望んでのことではない。

 だからと言って、せっかくの縁を滅茶苦茶にしたいわけでもない。


 むしろ、半端に知ってしまったから、よけいに知りたいと思うのだ。


 舞楽の神だけに向けられた視線。衣裳の中にくるまれた柔らかい肌。口づけたら震える体。

 それ以上の何かがまだ見えていないような気がしてならない。

 だというのに、体は容易く組み伏せられるのに、視線をこちらに向けることが叶わない。

 想いを言葉に変えて、声にのせてくれることもない。

 困りごとがあるのなら頼ってくれてもよいのではないか。名ばかりの夫婦でいることが口惜しいと、心底思う。

 こんな感情は、宇治に引っ込んでいた間には一度も味あわなかった。


 再びあらぬ方向にかしぐ気持ちを誤魔化ごまかそうと、片手で顔をおおう。


「そのうち嫁御殿も宇治に連れて帰れるといいな」

「そうだね」

「まったくだよ。宇治義高に嫁がせたなんて言いながら、実際は殿を都に足止めするための方便にしてるじゃないか」


 くわっと巴が振り向く。

 その後ろにひょこっと真澄も顔を出す。


「我々も、こき使われるのも飽きてきましたし」

 くるくると、片手で小刀を回しながら彼は言った。

「都での魔物退治もそろそろいいんじゃないですかね。

 第一、天下の将軍様の下には何人も武将が集まっているはずなんだから。うちみたいな破落戸ごろつきに毛が生えたような奴はお呼びじゃないはずなんですよ」


 ゆっくりと見回す。

 有王、巴、公暁、真澄と顔を見て、義高は苦笑した。


「帰れればそれにこしたことはないんだが」

「なんで。お嫁さん連れていけないから帰りたくないの?」

「そうじゃない」


 頭をかいて、息をつく。


「実は昨日、宇治からもう一人連れてこいと言われて、断れなかったところだ」


「はあ?」

 真澄の声が裏返る。

「これ以上、武者を集めるとおっしゃっているのか」

 公暁の肩が尖る。

「もう一人って、先方は誰かご指名なの?」

 巴が口元を引き攣らせるので、頷く。

「言われている」


 そろりと。

千坂ちさかのおっさんだ」

 宇治の留守を任せてきた、老翁の愛称を口にする。

 有王の眉がピクッと跳ねた。


「冗談でしょ。おっさんまで来ちゃったら、宇治は誰が守るのさ」

慈海じかいがいる」

「彼は文系だよ。刀を振ることはしない」

「分かっている。だから、里の守りがうすくならないよう、入れ替わりで誰か戻らないかと相談しようと」

「……思ってたのに、昨夜はお楽しみだったんだね」


 有王の視線がつめたい。じくり、肩の傷が痛む。

「悪かったよ」

 顔を背けたが、結局、真澄と目が合って、笑われた。


「そういう話なら、俺が戻りますよ、と言いたいところですがね」

「言わないのか」

「俺は殿と一緒に動きますよ。あんたが心配でならん」

 ふふふ、と顔に皺をきざんで、彼は奥に引っ込んでいく。


「わたしも帰らないよ」

 巴が両手を腰に胸を張り。

「吾輩もです」

 公暁は背筋を伸ばす。


 そっと視線を送れば、有王は舌を出してきた。

「僕は絶対、競と一緒にいるからね」


「頼みを聞く気がないのか、おまえらは」

 いっせいに首を縦に振られて、肩を落とす。


 命じることにも命じられることにも慣れていない。

 どうにも締まらない。



 そんな中でも、武家の装束には――松葉色の直垂にはずいぶんと着馴染んだと思う。



 乾いた風とともに、御所の中を進む。

 後ろを水干姿の有王がついてくる。


「御機嫌よう」


 かけられた声の元を見れば、渡り廊下を進んだ先で立ちどまっている男がいた。

 烏丸からすま政時まさときだ。今代の将軍の叔父にして、お目付け役でもある男。

 ゆっくりと頭をさげる。


「そちらも、公方様のお呼び出しかな」

 頷いて、相手の顔を見た。


 眼光の鋭さは、彼が還暦を過ぎているのだとは感じさせない。くわえて、くぐりぬけてきた修羅場の数を物語る、堂々たる体躯と、ふとい声。渋みのある直垂も、その威圧感を減じることはできない。


「遠慮なさることはない。用向きが一緒ならば、ともに行こう」


 手招かれた。

 横に並んで、わざとゆっくりと歩いているようだと気付く。だが、足取りはつっかえることはない。

 むしろ、義高の方が肩に力が入っている。


「顔を合わせるのは何度もあったが、二人で話すのは初めてかな」

「そうかもしれません」


 腕と脚の動きがぎくしゃくする。人を従わせることに慣れた男の気にてられている、と両手を握る。

 それに気付いているのかどうか、政時は鷹揚にうなずいた。


「出てこられて半年になったか。どうだ、慣れたか」

「それなりに」


 ゆったりと視線を送ってきて、相手は問いを続ける。


「都に来たのは初めではないだろう」

「元服の際に一度来ています」

「なるほど。その際にお会いしたかな」


 え、と目を丸くする。

 相手はおおきく笑った。


「先代が――義平よしひら公がお亡くなりになった直後に元服されただろう。そのとき御所内は葬儀のほうに気が向いていて、そなたが来ていることに気が付いている者のほうが少なかった」

「……烏丸殿は、ご存じだった、と」

「うむ。義平公の近習から義高殿の目付となられた千坂殿を通してな。あれとは決して仲良くないが、必要な話はよく取り交わした」


 そうそう、と政時は一度息を切って、言った。


「義平公がお倒れになるのとおなじ頃に、宇治では火事があったと聞いている」


 ピクリ、と肩が揺れた。

 努めて、平坦な声で返す。


「それが、なにか?」

「ご存じないのか? 義高殿はその時どちらに」


 何度が唾を呑みこんで。頬を揺らさずに答える。


「宇治におりました。その火事では、家族が皆死にました」

「家族、とな」

「ええ。屋敷に一緒に住んでいた家族が」


 どくどくと、耳の奥の脈が煩い。

 顔を動かさないのに必死だ。


「そうか。火事のせいもあって、都で元服の儀を行ったのか。それは千坂から聞かなかったな」


 ふむ、と頷きながら政時は歩いていく。

 義高は一度、足を止めて、大きく息を吸った。

 そこから肩を落とすと、後ろから有王が突いてきた。


「あいつ、何に気付いているんだろう?」

「……分からん」


 ぎゅっと眉をよせてから。

 足早に政時を追った。

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