笑いころげる日をむかえ

 雪が積もる。同時に春へと向かっていく。


 台所に顔を出すと。

「大晦日だよ」

 巴に笑いかけられた。


 よく冷えた日だというのに、彼女は晒を巻いた胸と腹を丸出しにした姿だ。かろうじて袴をはいていたけれど。


「寒くないの?」

「袖があると、動きにくくて仕方ないんだもん」


 ぶう、と頬をふくらませた彼女は、右手に包丁を握っていた。

 横に立つ登喜――千坂の妻も、たすき掛け姿だ。


「お手伝い――」

「――できると思ってないから、そこ座ってな!」


 巴にぴしゃりと言いきられ、帰蝶はしぶしぶ縁側に座った。

 細く切られていくニンジンとダイコン。クチナシと煮込まれたイモは荒くすりつぶされていく。向こうの樽では、塩漬けのサケ、イワシが出番を待っている。

 膳に乗る前の食材を、宇治に来てから初めて見た、と告げると、巴も登喜も大いに頷いた。


「わたしも、旦那が死ぬ前には見たことなかったし」

「都に居た時分は、誰か作ってくれるものだと思ってたからねえ……」


 だけどね、と登喜が口の横をくしゃくしゃにして笑う。

「基本を覚えるまでが大変だけど、覚えちゃえばなんでも作れるわよ」

 それに帰蝶は瞬いた。

「習えば、覚えられますか?」

「それはもちろん」


 笑顔を向けられて、帰蝶は一度唇をかんで、それから胸を反らした。

「わたしも作れるようになりたいです」

 すると、登喜だけでなく、巴も、ぱっと顔を明るくする。


「ほんと? ほんとに? 帰蝶も覚える?」

「はい」

「覚えるってことは、宇治に居座るってことよね?」

「居座るなんて言わないの、巴」

「え、だって、マジで、驚いてるし」

「もう。……じゃあ、年が明けたら――って明日だけど、さっそく教えてあげようか」

「お願いします」

「手が荒れるからね。覚悟しておくんだよ」

「頑張ります」


 巴が笑いだし、帰蝶と登喜も頰をゆるめる。

 屋根の上からも、賑やかな声が降ってきた。どうも、義高と有王のようだ。


「何をしているのかしら?」

「雪下ろしでしょ?」


 そうか、と頷く。これも御所では誰かがいつの間にかやってくれていたことだな、と思う。


「なんで、屋敷の主みずから、雪下ろしにいくかな」

「思いたつと即行動ってあたりは、八歳やっつの頃からまったく変わらないわねぇ」


 登喜が溜め息をこぼすのと同時に。今度はドサドサッ、という音が響いた。

「落ちたな、誰か」

 巴も息をつく。

 帰蝶だけが、外に飛びだす。


 戸口の真横に、落とされた雪が山になっていた。その上に大の字に転げた人を見て、叫ぶ。

「義高殿!?」

 駆け寄る。当の本人は、はぁ、と息を吐いて、ゆっくりと身を起こした。


「雪があって助かった」

「怪我は……」

「悪化させただろう、この悪ガキが!」


 ブン、と拳がとんでいく。千坂だ。それを真正面から受け止めた義高が、もう一度雪に沈みこむ。

 鼻息あらい千坂のうしろには、もう一人、四十路ばかりの僧形そうぎょうの男が立った。


「手当のし甲斐がありますな」

 あらゆる知識に、当然のように医術にも通じているというこの男が、義高の袖を引く。


「待て、 慈海じかい 。何故ここで脱がす」

「さっさと手当をさせなされ」

「だからといって、ここでやるな。寒い」

「おお、殿にも寒いという感覚がございましたか」

「そもそも、そんなに今のは痛くなかった」


 そういうものの、乱れた襟元からは、あかい腫れとあおい痣がのぞく。腕にも切り傷がのこっている。

 カラカラと笑ってから、僧形の男――慈海が言った。


「落ちたのは、何故でした?」

「……屋根が続いていると思っているところに、屋根が無かった」


 義高が、答える。相手の笑みはすこしかたちを変えた。


「目測を誤ったのでしょう。

 そういった具合にね。片目が見えないと、今までとは同じ感覚で動けませんよ」


 そうか、もう右目は見えないのか、と。帰蝶は義高の頬に手を出した。

 頬は、熱い。なにかを言いかけた彼は、一度口を閉じて、残った左目を伏せた。


「――俺が悪かった」

「分かればよろしい。無茶はなさいませんよう」

「善処する」

「そんな曖昧なことを言わずに、ちゃんとお約束くださいませ」


 また夫が向いてくる。つい、きつく睨んだ。頬をあかくして、彼はそっぽをむいた。


「分かった。無茶はしない」

「大変結構」


 笑いつづけたまま、慈海は義高を部屋に引っ張っていった。

 その背を見送って、千坂は肩をすくめ、おおきく溜め息を吐いた。


「奥方の一番のお役目は、考えなしの殿の手綱を握ってもらうことかもしれん」

「……頑張ります」



 そんなこんなのうちに日が沈み、屋敷の大広間が開けはなたれた。


 邪魔な几帳も障子も取りはらい、ぽっかりと空間が生まれる。

 そこに大人たちがさかずきを、折箱を持ちこむ。面した庭では子ども達が雪合戦を再開した。


「夜を徹して飲むのよ」

 御所とは違う、と瞬く。

「おまえも座れ」

 義高が隣を示すので、おずおずと腰を下ろした。


 誰ともなく飲んで食べて、喋りはじめる。

 わんわんと声が響いて、目が回る。


 酒精の匂いが満ちて、やがて、千坂が歌いだした。今様歌だ。

 肩を揺らす。

 つい口ずさむ。

 義高が見やってきた。


「使え」

 ひょい、と放られたのは紙の扇だ。

「舞いたいのだろう」


 ほら、と視線を向けられる。気付けば、有王も巴も、公暁までもが帰蝶を見ていた。

 立ち上がって、息を吸って。

 扇を広げた。

 左から右へ、流れる。揺れる袖を押さえる。

 誰かが手を叩く。つられて皆が。

 声が。手拍子が。輪になる。


「歳神様もお喜びになろう」


 東の空が明るくなるまで、声は絶えなくて。




「宇治は気に入ったか?」

 夫が問う。

 笑って頷くと、良かった、と返された。




 南天に太陽という頃合いに、また騎馬が駆けてきた。

 里のすぐ傍の街道を抜けていく。


「血の匂いがしたね」

 巴が顔をしかめ。

「正月早々、イヤな感じだ」

「続いているな」

 真澄が手をかざす。


 一行は、ぱらぱら、と十騎ほど続いた。

 最後の一騎だけはふらついていて、鞍から人がどしゃっと転げ落ちた。


「……どうするの?」

「助ける」


 義高はためらいなく丘を下りていった。

 所在なさげに歩く馬を、巴と有王がなだめる。公暁が落馬した男の傍に膝をついて、声をかける。


 身に着けた鎧兜を赤に染め、顔をしろくした武士は、水を、と乞うた。

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