断ち切りきれぬわざわいが

「大事ない。ゆっくり養生すれば、じきに良くなろう」

 慈海は微笑んだが。

「そんな暇は無い」

 布団に横たえられた彼は、呻いて起き上がろうとする。だが、すぐにくずおれて、咽せはじめる。

 肩や腕に巻かれた白布に、ジワリと血がにじむ。

 公暁が無理やりに寝床に押し込める。

「いったい何と戦えば、そんな傷になるのだ」

 彼が眉をひそめるいっぽうで、怪我人はただ呻くばかりだ。


 そんな、屋敷の一間でのやりとりから目を逸らして。帰蝶は外を見た。

 いつの間にか、雪が降りだしている。

 天上からのしろい綿が、屋根にのしかかり、道をふさぐ。遊ぶ子どもの声も、今ばかりはしない。だが、丘の横の道から、人影はなくならない。

 体が、寒さとは違う理由で震える。

 隣にいた夫は、ひどく落ち着いた表情で。

「物騒だな」

 と呟いた。


「南に向かう奴しかいないってのが、また変だよね」

 ひょっこりと顔を出した有王が笑うのに、義高が頷く。


「騎馬ばかりというのも気に入らん」

「魔物と戦うためって感じではないよね」

「むしろ、何かと戦った後、だろう」


 そう言って、彼は奥の一間へと踏み入っていく。

 そこではまだ、怪我人と慈海、公暁がもめていた。行く、行くな、のやり取りで。


「失礼する」


 やや大きめの声をかけてから、義高は寝床のわきに腰を下ろした。

 ごわついた生地の、綿入りであること以外は何の手もかけられていない衣裳。髪はふぞろいに切られたまま、結われることも無く、肩の上で揺れている。

 怪我人は、訝しげな顔を向けてきた。


「おぬしも酷い御面相だな」

「見苦しくてすまない。髪は伸びればなんとかなるが、この目はどうにも治らないらしい」


 右目を覆う麻布にわずかに手を添わせてから、彼はまっすぐ背を伸ばす。


「宇治義高だ」


 名乗りに、怪我人はぎょっと目を剥いた。


「あんたが――御落胤をかたる、あの」

「騙るとは失敬な。あなたがたがそう思っていただけだろう」


 ちいさな笑いのあと。

「失礼だが、あんたはどこの誰だ」

 左目だけでまっすぐ見つめて、義高はいう。

 相手はわずかに顔を伏せた。


吉野よしの伸重のぶしげと申す」

「吉野――? 御台所の御実家か」

 ああ、と義高が頷く。


「そうだ。もっとも、俺は分家で血の繋がりはわずかものだが」


 伸重と名乗った彼は、一度苦笑して、両手をついた。


「怪我の手当ては感謝する。だが、敵か味方かも分からぬ貴公のもとに長居はできん。早々に失礼する」


 そう言って立ちあがろうとした彼を、義高はかるく押して、転がした。


「雪も降ってきて、見通しも効かなくなりつつある。血が止まりきらぬうちに出て行くのは無謀だ」

「だがじっとはしていられん」


 肩を押さえて呻きながら、それでも伸重はギラギラとした目を前に向けた。義高も、冷えた視線を返す。


「その、じっとしていられぬ理由をお聞かせ願いたい」


 いろあいの違う視線が噛み合う。

 慈海も公暁もなにも言わぬし、縁側から部屋をのぞく帰蝶と有王もただ立ち尽くすばかりで。

 義高は動かない。

 伸重がやがて、拳を握って、肩を震わせた。


「今、都は戦場になっている」


 つい、息を呑んだ。


「戦場ってわざわざ言うってことは、相手は魔物じゃないよね?」


 縁側から有王が大きな声で問うと、伸重の体の震えがおおきくなる。


「そうだ。烏丸の一党と、吉野をはじめとする義長公に従う面々での戦いだ」

「いったい何をしているんだ。御所で仲間割れか」


 義高がうめくと、伸重は首を縦にふった。


「烏丸政時が兵を挙げた」

「……何のために」

「義長公を将軍の座から、武力で追い出そうとしている」

「せっかくの武士同士の集まりを崩してどうする」

「違う。御所は御所のままに、将軍だけを変えようとしているんだ。もう、朝廷から、弟の三寅を次代に据える宣下を取ったらしい…」


 おやま、と呟いた有王が肩を竦める。慈海と公暁はしぶい表情を浮かべる。

 義高のながい溜め息が響いた。



「次から次へと、鬱陶うっとうしい」

 雨戸を開け放った縁側から丘のふもとを見て、巴が舌を打つ。


「なんでこちらに来るんだか」

「吉野の所領に向かっているのだろう」


 千坂が顎をする。


「統領の道之は毎年、年の初めに所領へ帰っている。その隙を突かれたのだろう。もっとも、吉野まで行けば、義長公に付く面々が、兵力がいるということだが」


 どっかりと座ったまま、老翁は天を仰いだ。


「面倒なのは、宇治が都と吉野に挟まれる位置にあるということだな」


 それがなにか、と問うよりも早く、笑いかけられる。


「どちらに味方する気か、と早々に問いかけれることになりそうですな。巻き込まれずに済ませられるとは思えぬ」


 千坂の笑みは、とても苦い。

「まあ、御所にいたよりは安全だったね」

 と、巴には明るく笑われた。


「御所にいたら。戦いに巻き込まれていたのかしら?」

「そうでしょうよ。公方様は御所から出たことがない御仁だったでしょ? 追い出すために襲撃したとしか思えない。多分、あの吉野の奴も、御所の警護にいたんじゃないかしら」


 その彼らが、ここまで逃げてきた。それも怪我を負って。


――御所はどうなってしまったんだろう。


 ズキズキと下腹が痛む。


――彰子様は? 茶々は? ほかのみんなは?


 俯いて、指先が白くなるほど、両手を握りしめると、巴に抱きしめられた。


「あんたが怖がることないのよ」

「でも」

「ここを戦場にするなんて、殿が、わたしたちが許さないよ」


 ねえ、と巴が振り向いて。

 皆がやってきた義高を見る。

 その場にいた面々の顔をゆっくりと見回して、帰蝶に視線を合わせて、義高は頷いた。


「難しいところだな。どちらにもつかない、というわけにはいかぬだろうし」

「あんた、いきなり気が滅入るようなことを言わないでよ……」


 巴が肩を落とし、千坂の視線は遠くなる。義高はめずらしいしかめっ面だ。

 その顔が、外を向く。


「真澄。何をしている」

「いやあ。殿のお申し付けだったんで、ずっと外を見回ってたんだけどね」


 くっくっくっと、今日ばかりはきっちりと襟を合わせ、笠も蓑もかぶった男が笑う。


「怪しいのをとっ捕まえてきましたよ」


 彼が後ろに視線を向ける。雪をまとって震える影が二つ。

 背丈からすると、男女の組合せだろう。しろい結晶の隙間からのぞくのは、色鮮やかな衣裳。足元は華奢な下駄で、雪の中にずぶずぶと沈んでいる。


 義高はおおきな溜め息をついて、縁側から飛び降りた。


「真澄。分かっていてやっただろう」

「その声! 声は!」


 影の一つが踏み出してきた。雪につまずきながら、這い寄ってくる。

 真澄がつかみかかろうとするのを片手で止めて、義高は影に手を差しだした。


「公方様」


 え、と巴が瞬く。千坂は肩をすくめる。


「義高、おまえ、おまえは味方だ、そうだろう?」

 頭巾をとりはらって見えた顔は、間違いなく義長本人だ。


 では、と巴に抱えられたまま、帰蝶はもうひとつの影を見た。

 被衣姿の女だ。雪の眩しさに負けない、絹の衣裳をまとった女。


「彰子様?」

 呼ぶと、ゆっくりと衣を取り払って、彼女は微笑みを向けてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る