何があろうと立ちあがる

 燭台のうっすらとした灯りしかない屋敷の一角へと二人を通す。

 歯の根が合わぬほど凍えた二人に、熱い湯呑を握らせると、義長はその中身を一気にあおった。そのまま、黙って肩を震わせはじめる。

 彰子はじっとうつむいている。


 帰蝶と義高は並んで、その様子を部屋の外から見ていた。

 そのまま帰蝶は、夫の袖の端に指先を伸ばす。ぐしゃり、と握っても彼は何も言わない。ただ、残った左目で二人を睨んでいる。

 だから、一度唾を呑みこんでから、中へ進んだ。


「御所はどのような様子ですか」


 そろり問うと、彰子はかすかに肩を揺らして振り向いた。その顔はあおく、頰が削げてみえる。


「酷いものですよ。人が人に斬られ、血を流す。死んでいく。そんなことを起こすなんて」

「抵抗なさったからでしょう?」


 義高の冷えきった声が飛んでくる。

 帰蝶は目を丸くして振りむいて、彰子は彼をギロッと睨んだ。


「いきなり刀を抜いて踏み込まれておいて、抵抗するなというほうが無理です」

「……おや? 烏丸殿のことだ。穏やかに、座を三寅殿に譲るように申し上げたかと、想像していた」

「とんでもない、その逆です。将軍の座を降りろ、さもなければ命は無い。騎馬で乗りつけて、そうのたまったのですよ」

「それで、どうなさったのですか?」

「当然、御所にいた手勢で迎え撃ちました。だが、向こうは用意周到に鎧兜で身を固めていたのに対して、こちらは…… 手元にあった、腰に下げていた太刀のみで応じたのですよ。おまけに、裏切る者もいる始末! 御所を抜け出せただけでも幸運でした」

「やはり、抵抗しなければ良かったではないですか。そうしたら、お味方は死ななかったし、あなた方も寒い中を歩いてくることもなかったのでは?」


 そこで、タン、と彰子は床を打った。

「屁理屈をいう。落胤を騙っていられるだけのことはある」

 大きな溜め息のあと、彼女は隣に膝をついたままの帰蝶に見向いてきた。


「公方様と私はこのまま、吉野まで向かいます」

「まさか、徒歩で?」

「それ以外方法がない。ですがじっと殺されるのを待つばかりというのも辛い」


 だけど、と言いかけた帰蝶にさらに笑みを向けて。

「一緒に行きましょう」

 彰子は言った。


「こんな者のもとに縁付かせたこと、たいへん後悔しています。こんな地にいてはなりません。おまえまで貶められてしまう。

 そんなことは耐えられない。私にはもう、おまえしかいない」


 帰蝶は首を横に振った。


「茶々がいるではないですか。それに、万寿様がいらっしゃるでしょう」


 言うと、彰子の頬にすうっと涙がつたった。


「いいえ。もういません」

「だって……」

「万寿は死にました――殺されたのです。茶々にね!」


 え、とだけ呟いて。唇を噛む。

 両手で顔をおおって、彰子が咽んだ。


「可哀想に――四歳よっつになったばかりだったのですよ。そんな幼気いたいけな子の喉を、易々と突いて、刀で刺して――ああ、可哀想に! 怖かったでしょう、苦しかったでしょうに!」


 その肩に触れることもできず、じっと両手を握りしめる。入り口に立ったままの夫を見る。

 義高はかすかに首を傾げた。


「その娘、烏丸殿に身を売ったのだろう。遺骸をもって、義長に与さぬ、という証にした。

 ――あくまでも俺の想像だが」


 はあ、と顔を上げた彰子は、まっかな目を義高に向けた。


「さすが、みにくい根性の持ち主同士、非道なことを考える!」

「魔物を生みだせたような者と一緒にされるのは、さすがに心外だな」

「その図々しい口も控えなさい、下衆が」

「ここは御所ではない――俺の所領です。俺が主です。そして、招かれざる客はあなたがただ。威張り散らさないでいただきたい」


 義高がぐっと唇を片方だけ持ち上げる。


「聞く限り、朝廷から三寅殿の将軍宣下をとりつけた烏丸殿が優勢でしょう。その娘がとった手段は寒心に堪えませんが、付くべき側を見誤ることはなかったということですよ。

 俺も、この里を護ることだけを考えるなら、あなたがたをつき出そうかと思いますよ。そうすれば、この里が烏丸殿に攻められることはない。さらに言えば、あなたがたがいなければ、吉野殿も余計な抵抗はなさいませんでしょう。

 戦を広げぬためにはいい選択だと思いますが」

「義高、義高。後生だ、止めてくれ」


 ようやく、義長が口を開く。

 ぼろぼろと両目から涙を流す彼は、死にたくない、と言った。


「死ぬのはいやだ。死ぬのは怖い。だから逃げてきたのだ。

 公方の座に三寅がいれば良いのだったら、吾のことなど見逃してくれればよいのに。何故、命をとろうとするんだ……」

「対抗して武を振るったからでしょう?」


 義高は溜め息を吐いた。


「公方の座をお譲りになる気があるのなら、なにもしなければ良かったのではないですか。戦うから、こじれる」

「殺されそうになったんだぞ!? 吾は死にたくない。頼む、このまま守ってくれ」

「冗談じゃない。この里に火種を抱え込むような真似はしたくないんですよ」


 義高の視線が冷えていく。義長はあおじろい顔で喚く。


「出て行けというのか」

「烏丸殿に突き出されたくないとおっしゃるなら、自力でお逃げください」

「なんという言い草」


 彰子が口を挟む。


「公方様に情はないのか」

「ございません」

「……偽者であることを見逃していただいて恩は!?」

「見逃すもなにも、最初から俺が宇治義高です。それに…… 情も恩も、感じるものであって、押し付けられるものではないでしょう」


 いつになく刺々しく、義高は言い放つ。

 そして、義長までが彰子に険しい視線を向けてきた。


「おまえが情というか。義理だけで吾の妻をしていた者が……!」


 ガツッと彼は彰子の肩をつかんだ。それをするりと払いながら。

「義理?」

 彰子は笑んだ。


「ええ、そうですわね。義理だけでございましたわね。本当は情を取りたかったのに、取らせてもらえなかった!」

「それはあれか。間男か」

「今更、蒸し返されるのですか? ならばこちらからも申し上げましょうか。産み落としたばかりの子を無理に手放させたのは情のない行いですこと!」


 わなわなと震える義長を向きもせず、彰子は袖で涙を拭った。


「可哀想に。私の子と、堂々と名乗ることもできずに生きてきて――」


 濡れた視線が向けられる。

 帰蝶は瞬いた。

 義長が呻く。


「拾わせてやっただけ、有難いと思――」


 そこで、ダン、と壁が鳴った。

 三人振り向く。

 まだ立ちっぱなしだった義高の右の拳が壁にのめり込んでいた。

 それが、割れた板の間から引き抜かれると、ポタリとあかい雫が床に落ちた。


「義長様。義理でも、今も吉野へお連れしようとしてくださる奥方がいて、良かったではないですか」


 いつになく大きな声で、義高が言い放つ。


「これからどうするか、二人でお話なさってください。待ちますから」


 つかつかと部屋に入ってきて。

「行くぞ、帰蝶」

 手首をつかまれる。引きずられるように、部屋を出る。



 今夜ばかりは、縁側の戸はすべて締めきられていた。

 風が、雪が、それらを揺らす。



 廊下のうすぐらい中で、夫は足を止めた。

 見れば、正面で千坂が笑っている。義高が舌をうった。


「見逃す他ないじゃないか。突きだそうものなら奴等は、帰蝶を恩も情もない娘となじるつもりだ」

「仕方ないですな」


 老翁は肩をすくめ、帰蝶に身向いてきた。


「儂としても、見殺しにしたいところだが――いやはや、十何年前の夫婦喧嘩を蒸し返されても困る」

「あの……」


 帰蝶は眉を寄せた。千坂の笑みが深くなる。


「なるほど。言われてみれば、たしかに似ているやもしれぬ」

「誰に?」

「腹を切らされた男にですよ。それ以上は知らぬがよろしい」


 そう言って、ますます笑って、千坂は義高を見た。義高は前髪をかきあげる。


「あの、寝込んでいる吉野の男と共に行かせよう。供がいて、さらに馬があれば、徒歩よりはいくらかマシに進めるはずだ。あと、あの衣裳では間違いなく凍える。見た目は悪いが、旅用の衣裳を揃えてやってくれないか」


 それに千坂は頷いた。床板を踏み鳴らして、彼は角を曲がっていく。登喜を呼ぶ声が、遠ざかっていく。


「おっさんと登喜さんで用意してくれるさ」


 ふっと笑って、義高はようやく帰蝶を向いてきた。だから。

「本当に、それでいいの?」

 笑いかえす。


「ここは、あなたが守らなきゃいけない人たちが住んでいるところでしょう? あなたがそのために必要だと思うことをしなければ」


 帰蝶がなにを言うまでもないはずだ。


「この里のためには、お二人を」

――差し出したほうが良いのでしょう。


 ボロっと目の端から涙が落ちたのを、慌てて拭った。

 それから横目で見れば、義高は目を丸くしていた。


「まさかと思うが、二人と吉野に逃げるとは言わないだろうな?」

「そんなことはない!」


 叫ぶ。


「わたしは宇治から離れたくない。あなたといたい。

 だから悩むのよ。お二人には、恩があるわ。飢えることなく育てていただいた、その恩は、間違いなくあるの。でも、わたしが二人を助けたいからって、宇治を危険な目に遭わせるわけにはいかないじゃない!」


 はあ、というながい溜め息が聞こえて、口を閉じた。

 見上げれば、わずかに歪んだ唇。


「みくびるな」

 義高がひくく唸る。

「おまえは俺が、里を護ることとおまえの望みを叶えることの、どちらかしかできない男だと思っているのか」


 つい、目を丸くする。


「右目が無いくらいで戦えぬと思うな。俺の命がある限りは、この里に住まう者が傷つくようなことは認めない。おまえを苦しませることも許さぬ」


 そのまま彼は腕を伸ばしてきた。

 抱きしめられる。すっかり慣れた温かさだ。すがりつく。

 ごめんなさい、と呟くと、何故、と返された。

 それには答えず、ただ、泣いた。




 朝。積もった雪が陽光をはねかえす。

 都に通じる道は、馬と人に踏まれ、広がっていく。南に向かうのは傷ついた騎馬ばかりだ。


 そう思っていたのに。


「今度は元気なのが来たぞ」

 昨日のように屋根の上から道を見ていた真澄が、飛び降りてきて、叫ぶ。

「しかも、この屋敷に気付いて向かってきてる。御所からの使者さんですかねぇ?」

「となると、十中八九、追っ手かなぁ……」

 巴がだるそうに首の後ろを掻いて、太刀を手に取った。


「屋敷に入れさせるな。門の外で止めろ」

 千坂が言うと、二人は外へ飛び出して行く。屋敷の中にピリリとした空気が充ちる。


「とりあえず、隠れていてください。出てこられると、話がややこしくなりそうだ」


 義長と彰子がしぶしぶ頷く。

 縁側を下りたところには、薙刀を構えた公暁が立つ。血の気のない顔ながら起き上がっていた伸重も、太刀を持ち、部屋に控える。


「敵と見なした相手は、斬っていい」

「承った」

「吉野殿も同じく」

「何かあれば、公方様を連れて出て行くつもりだ」

「結構」


 言うだけ言って、義高も太刀を手に、歩いて行く。

 堪らず追いかけると、吹き出された。


「中にいろ。さらに言えば、公暁といろ。あいつの側が一番安全だ」


 笑って、頰に触られる。


「行ってくる」


 その夫が向かう先。

 外に出ていた有王が、戸口から顔をのぞかせてきて。

「追い払うんじゃなくて、ぶっ殺しちゃおうよ」

 満面の笑みを浮かべた。

金馬鹿きんばかだよ?」

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