ふりきるために刃とれ
「金馬重信だ! 取次ぎを願おう!」
門前で、馬から降りることもなく、叫ぶ男。
身に付けるのは深紅の板に墨色の通し糸の大鎧。鹿の角を模したらしい兜の脇立てはざわざわと揺れている。
後ろにも十人ほどが並び、その誰もが鎧兜と太刀、弓矢で身を固めていた。だが、どこかソワソワと、視線をさまよわせる。
殺気立っているのは、先頭の重信だけだ。
その様を戸口の中から見て。
「何をしに来たと思う?」
義高は千坂に問うた。
「想像つかんなぁ」
「義長様の近習じゃなかったのか、あの男は」
「クビにされたと言ったじゃろ。競を傷つけたことを責められて、役目を解かれたんだ、あれは。その中での、この騒ぎだ。奴は、忠義心を出したか、恨みに燃えているか――」
「忠義心からの動きだったら、二人を押しつけさせてもらうか」
「さて。うまくいくかな」
苦笑いの老翁を従えて、義高は、ことさらゆっくりと歩いて、表に出た。
その場の全員――招かざる客人たちも、太刀を携えてそろっていた宇治の武者たちも、視線を向けてくる。
馬上の重信の、口の端がつりあがる。
「なるほど、ここが宇治の館か。元気そうではないか、
「……あんたこそ、役目を解かれて謹慎しているというから、もっと打ちひしがれてみたらどうだ?」
両手で太刀の柄と鞘を握って、見上げる。
「ここが誰の屋敷か知らずにおいでになったのか。いったい何の御用だ」
「田舎者は何も知らずに呑気に過ごしているとみた。今、都は血で血をあらう戦いの最中だというのに」
ほう、と息を呑んで見せると、重信はますます笑う。
「時代が変わる。それにあたって、落武者を探しているのだ。具体的には、源義長を追うてきた」
「公方様を呼び捨てするか」
「もうあれは将軍などではないぞ。朝廷からの宣下は次代へと移ったのだ」
――残念だな、逆恨みのほうか。
もう一度、息を吐いて。
「……だからと言って、長年仕えてきた主を簡単に見限るのか」
ちらりと屋敷に目をやって。
げ、とうめいた。
――とりあえず隠れていろと言ったではないか!
戸口の前に、絹の衣裳の男が立っている。
千坂がのんびりと、困ったの、と呟く。有王と巴の溜め息も響く。
「重信…… おまえまで裏切るのか! 吾を死地に追いやろうというのか!?」
血走った眼で、義長は走りだした。だが、三歩目で転ぶ。雪に足を取られたのだ。そこから両手をついて、はいずって、馬の足元へ寄ろうとする。
だから、後ろから飛びかかって、羽交い絞めにした。
「
「放せ、義高! 問わねば、問わねばならぬ。何故、吾を見捨てるのかと……!」
「将軍でないあんたに用はない!」
重信が手綱を引くと、馬が前脚をたかく鳴らした。太刀が抜きはらわれる。
「そもそも先に裏切ったのはあんたじゃないか! 乳兄弟として傍にいたこの儂に嘘をついていたのだろう!」
「嘘をついたのではない、言わなかっただけだ」
「同じこと!」
ブン、と刃がうなる。義長と義高をめがけて降ってくる。それを弾き飛ばしたのは、間に割り込んできた有王の太刀だった。
「ふざけてんね、おまえらも」
よろめいた重信につられて、馬が二歩下がる。
その間合いをわずかに詰めて、有王は笑う。
「将軍の座にいなければ主じゃないだなんて、どういう育ち方してきたの?」
「位でなきゃ人を見れない育ち方さ」
巴も一歩踏み出す。その手の太刀は、とっくに鞘から抜かれている。
「そんな奴に正義もなにもあったもんじゃないでしょ?」
そのまま、刃は突き出されていく。鋭い一撃が、馬の脚を切りさく。
馬が高く叫んで、棹立ちになる。鞍から重信が放り出された。
後ろに控えていた鎧兜の中からも悲鳴が上がる。そのまま、半分が馬首を返し、走りだそうとする。
「いやだ! こんなところで死にたくない!」
「お、おまえら! 待て! 儂の命令に従わぬか!」
グエ、と
冷えた視線を送る。
「堂々と名乗りをあげたのは御立派だったけれどね。その時点で終わってんだよ、おまえ」
ふと、見れば。
門を取り囲むように、人が集まっていた。
年の頃はバラバラの男たち。皆がみな、農具を、
「金馬重信。宇治に住む僕らの恨みは深いよ」
「な、何の恨みがあるというんだ」
有王はカラカラと笑い声を立てた。一度、義高を振り向いて、さらに笑う。
「目ん玉くり抜くどころじゃ済まさないからね」
ぶん、と有王の刃が宙を斬る。重信が叫ぶ。
騎馬武者たちの悲鳴もあがる。対する鋤や鍬の一団は、無言で輪を狭めていく。
「こ、殺せば、死霊となって祟ってやるぞ」
「どうぞどうぞ。そうなっても、ぶった斬ってあげるから」
にこっと笑い、有王はちろりと唇を舐めた。
「競を傷つけたこと、絶対に赦さないんだから」
もう一度刃が走る。今度は重信の喉をめがけて。
首を振って避けた重信の、兜の
同時に、悲鳴がまた広がる。
「追いかけろ!」
「逃がすな! 都に帰すな!」
囲いを跳び越えた騎馬を、鋤と鍬が追いかける。取り残された鎧兜も順々に殴り倒されていく。
「こんなしても、殿の右目が戻ってくるわけではないがなあ」
「……胃が痛い」
「かく言う儂も、ぶん殴りたい――若いって、いいのう」
溜め息を吐きだす。
隣では、膝をついた義長がめそめそと泣いている。
慰めようかどうしようか、と首をひねったところで肩を叩かれた。
「なんだ、真澄」
「殿。悪いけど、有王たちが取りこぼしているのもいるぞ」
ニヤニヤ顔の中年男が指さす先は、屋敷の建つ丘を下りきったところだ。
鎧兜を着た影が一つ、雪をかきわけて進んでいる。
「見逃すわけいかないよなあ?」
「……俺が追うのか? 有王と巴は?」
「怨敵を追うのに夢中だぜ」
真澄が笑って別の方を指す。足を引きずる重信が、徒歩の有王と巴によって井戸端に追いつめられたところだった。
巴の一撃で、兜が転がり落ちる。こめかみから血を流して、重信は、二歩、三歩とよろめいて。
ピタリ、と動きを止めた。ボコン、背中が膨らむ。
まさかと思う間もない。
そこから黒い影が立ち上り、空を一回転して、また重信を呑み込んでいく。
「魔物――になったのか?」
「自ら生霊と化すとは、情けない。だが、これで遠慮なく斬れるな」
ニコニコと千坂が言う。遠目でも、有王と巴が嬉々としているのが分かる。
もう、溜め息しかでてこない。
「重信、哀れなことだ。刀を抜いて、自ら穢れを招くとは」
義長だけが、グズ、と鼻をならす。
「なぜ、人を憎み、恨むのだ。笑っておればよいものを」
それを見下ろし。
「ご自分が招いた事態だと、
義高は首を振った。
「おっさん、義長様を頼む。行くぞ、真澄」
「はいはい」
太刀を握り、走りだす。横を、弓矢を握った真澄がついてくる。
ひとつだけ
「待て! 止まれ!」
「い、いいいい、いやだ、いやだ!」
キン、と響く声に、うっと唸った。
「……おまえ、金馬頼信か!」
「ぎゃー! な、ななななあ、なんでボクを覚えているんだよ!」
「忘れられるか、タワケ!」
雪の山を跳び越えて、一気に間を詰める。
太刀の鞘で突くと、頼信はどしゃっと雪の中に倒れ込んでいった。
「う、動けない…… なんなんだよ、この大鎧ってのは……」
「戦に出るなら、身に付けるのは当然と思うが」
「おまえは身軽じゃないか! ズルいぞ!」
「急に仕掛けられて、そんな支度をしている暇があるわけなかろう」
顔面を雪に押しつけたまま喚く頼信を、蹴とばして、転がして。
「ズルい、はこっちの科白だよなあ……」
真澄が喉を鳴らす。
「ま、仕掛けてきたからには、負けて命を取られる覚悟もできているんじゃないのかい?」
「み、みみみ、見逃してくれ! ボクは、ち、父上に従わざるを得なかったんだ!」
仰向けになった頼信が叫ぶ。
「死にたくない! 死にたくない! いやだ、死にたくない!
ボクは戦いなんかどうでもいいんだよ! 魔物なんか知らない、武家の役目なんか知らない!」
両手両足をばたつかせ、跳ね起きて、雪の中を這いずりだす。
「ああああ、ほんとに邪魔だよ、この大鎧って!」
ブチ、と兜の緒を引きちぎる。鎧の板を、引き剥がす。腰にあったはずの太刀は雪に沈んでいく。
ぐしゃぐしゃになった髪、濡れて汚れた小袖を晒し、頼信は叫ぶ。
「見逃してくれよ! 頼むよ!」
その顔の横を、真澄がはなった矢が掠める。一筋、頬が切れる。
「ぎゃー! 血ぃ!」
「生きている証じゃないか、良かったな」
つい、義高は笑みをこぼす。
頼信は、コテンと後ろにひっくり返った。
そのまま白目を剥いて、動かなくなる。
「勝手な奴ばかりだ」
呟いて、丘の上を振りあおぐ。
ちょうど、有王が黒い影を真っ二つに切り裂いたところだった。
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