まもりたまへとこいねがう

 雪を蹴あげて走ってきたのは二頭の馬。

 一頭はその背に武士を乗せ、もう一頭はいっぱいに荷を積んでいた。


 鞍から降りた人は、出迎えに出てきた面々を見て、大きく笑った。

「ようやく戻り申した」

 千坂だ。


「どう? 御所の方は収まった? 金馬きんば鹿が悪いって言いくるめといてくれた?」

「なにが、言いくるめた、だ。まったく、このワルガキどもが!」

「いででででで、痛い痛い!」


 グリグリと脳天を拳でどつかれた有王が、涙目になっている。

 その横では巴が腹をかかえている。

 公暁と真澄は、あきれ顔だ。

 ふん、と鼻をおおきく鳴らした後、千坂はずかずかと、戸口の真正面に立つ人に向かった。


「おかえり、おっさん」

「競」


 声が湿る。老翁は、ぐい、と袖で顔をぬぐった。


「おまえはいったい、何度この爺の寿命を縮める気か」

「……悪かったよ」


 プイ、と横を向いた義高の肩に両手をかけた千坂の背中が震えだす。

 その背を撫でる義高が、顔中をまっかにしたのが見える。右目はしろい布で覆われて見えないけれど。



 中に入り、熱い茶を飲む千坂を、皆で囲んで。


「それで、何と言って収めてきたんだ?」

 義高が問うと、翁は大声で笑った。


「儂が言ったことなど、まったく影響しておらんよ。義長公がただ、金馬家の父子に『我が弟に何をするか』と泣いただけで解決じゃ」

「馬鹿父は、実の弟じゃないくせに、とかわめかなかったの?」

「言い立てておったよ。だが、義長公は十一年前から事情を知っていて、競を弟と遇するつもりでいる。

 金馬と御台所は、 そのあたりの話を全く知らされていなかったようだな」


 あれま、と有王が肩を竦める。義高は残った目を細める。

 千坂の笑みは崩れない。


「金馬重信と頼信の父子は御所の出入りを禁じられた。お怒りがとけるように、と二人屋敷に謹慎してるという話だ。

 今は武将が軒並み所領に戻ってしまっているからな。実の弟でないことで何か言おうという輩はほとんどおらぬよ。宇治の立場は表面上は変わっておらん。

 ただ、義長様と御台所との間では、夫婦喧嘩が始まったようだな。今度は公方が悪い、と」

「今度は?」


 有王が瞬くと、千坂はひとつ息をついた。


「むかーし昔な。すわ離縁の危機かということがあったんだよ。その時は御台所が別に男をこさえたことが理由で――

 まあ、爺の戯言だ、忘れてくれ」



 そう言った千坂が引かれてきた馬に積まれていたのは、彰子から帰蝶への物だったらしい。


「豪華だねえ」

 荷解きを共にしながら、千坂の妻――登喜が笑っている。

「ふふふ、いかにも都の女性からという感じの贈り物ね」

 苦笑いを返して、帰蝶も頷いた。


 身一つで宇治まで来てしまった帰蝶をおもんぱかってだとは、もちろん分かる。

 次々と出てくる、絹の衣裳。染めの鮮やかな衣裳。清姫の形見分けにもらったものもある。ただ、それらのどれもが、この里には似合わない、と首を振った。


「お気持ちはとても伝わってくるけどねえ」

「まあ、そういうな。御台所からは、手紙も預かってきているぞ」


 今度、千坂がふところから取りだしたのは、繊細な色に染められた紙に房の付いた紐の巻物だ。それを両手で受けて、頭を下げる。


「付いて来てしまったのか」

 顔をあげると笑われていたので、頬をふくらませた。

「義高殿が心配だったので」

「大変結構」

 千坂はまだ笑っている。


「まあ、御所には、うちの暴れん坊どもが無理やりお連れしたとでもなんとでも言いましょう。帰りたければ、帰ればいい」


 眉を寄せる。外を示され、白い景色を見た。

 藁ぶきの屋根は、重たげな雪に耐えている。軒先では女たちが手仕事にいそしんでいて、雪の隙間では、男たちが薪割りをしている。


以前まえにも問いました。暮らすための働きを、生きるための嘘を、どこまで受け入れられるか、と。

 答え次第で、ここに残るかどうか、決められましょう」


 そのとおりだ、と頷く。



 そして、一人、縁側の火鉢の傍に座りこんだ。

 庭の子ども達の歓声を聞いて、手紙をほどく。指先はふるえてしまった。開いて見えた、流麗な文字に胸も跳ねた。

 だけど、と唇を噛む。


「嫁御殿」


 呼びかけてきた人にも、仏頂面を向ける。

 相手は義高だ。彼は、一つだけ見えている左目を、大きく開いた。


「ちょっと座って?」

「何故」

「話がしたいから」


 驚きを隠さない、珍しい表情のまま、彼は帰蝶の正面に座った。

 御所でないからか、病み上がりだからか、腰に太刀はない。衣裳も、ごわごわとした生地のそれだ。寒さに耐えるために綿が入れられている以外は、飾り気も何もない。傷ついた右目をかくしているのも、洗いざらしの麻の布だ。

 まっすぐに顔を見つめる。


「本当、信じられない」

「なにが」

「まだ二十歳はたち前だなんて」

「そんなに俺は老けて見えるのか。たしかに、八歳のうちに十二と名乗って、疑われもしなかったが」

「そう、そのあたりを聞きたいのよ」


 はあ、と片手で額を押さえる。

 義高は眉を寄せて、それでもじっと座っている。


「話していないことがあるって、前に言っていたわ」

 帰蝶はゆっくりと声を出した。

「それは、有王とあなたのこと?」

「そうだ」

 頷かれる。

「有王がもう、喋くったんだろう? 何をどう聞いた?」

「どうって……」


 先代将軍の妾とその家族が、宇治に隠れて暮らしていたこと。その場を焼き払われたこと。そして。


「あなたが、本当の御落胤である有王の代わりに宇治義高を名乗ったのだということを聞いた」


 言うと、もう一度頷かれた。

 いつもの無表情。袖からのぞく拳はすこしも揺れていない。帰蝶のほうは、口のなかがカラカラになるほど、緊張しているというのに。


「どうして、有王の代わりになろうとしたの」


 胸の奥をバクバクと打ち鳴らしながら問うたのに、彼は本当に揺らがない。


「有王と、この里を護るために」


 低く、力強く声は響く。


「堂々と名乗りをあげられる、この里を護る武士がいれば、あの火事は防げたのかもしれない。

 もちろん、一番は有王が名乗ることだったが、それを無理強いするのも嫌だった。それに、兄が一度身代わりになっているというのなら、もう一度別の誰かが代わりになっても構うまいと思った。

 誰かが、源義高を名乗れば、この里が敵に襲われなくなるのならば――」


――生きるための嘘を。


 ひとつ、息をついて。義高は微笑んだ。


「源義高の名は、この里を護る呪文だ」

「呪文」

祝詞のりとかもしれん」


 つられて笑みを浮かべた。


「これほど大事な名を名乗るのは、あなたで間違いないのね」

「そうだ」


 良かったと笑みを深くして、そのまま、ぐしゃり、と掌の中の文を握りつぶす。

 義高がまた目を剥いた。


「御台所からではなかったのか」

「そうだけど?」


 くすくすと、声にも笑いを乗せる。


「彰子様からだったけれど、今のわたしには不要なお言葉なので、捨てます」


 義高はどんどん渋い顔になっていく。


「……何と書いてあった」

「離縁の手筈てはずは整えます、ですって」


 するどく言い切って、拳で目元をぬぐった。


「勝手よね。結ぶのも切るのも――わたしにだって、考えたり感じたりすることがあるのに」


 腕を伸ばす。たくましい胸に身を預ける。

「ぜったい、離れないから」

 言うと、やっと義高の体が揺れた。


 顔が熱い。ごまかすために、背中に腕をまわして、もっときつい声を出した。


「わたしは、宇治義高の妻なのでしょう?」

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