名乗りばかりは真実を

「バカげた話だよね」

 と有王は笑った。


「僕が、将軍の息子だなんて、源義高なんて名乗りたくないってワガママを言った結果はさ。たったひとり一緒に生き残ってくれた、大事な従弟いとこが身代わりになることだったんだよ」


 では、と帰蝶は奥の布団に横たわる人を見た。

 明け方までうなされていた彼も、今はぐっすり眠っているらしい。

 左の瞼はぴくとも動かない。顔の右上側は白い包帯で覆われている。掛け布団に隠された体も包帯だらけだ。


「だから、その、この人は――」

「ああ、大丈夫。義高って呼んでいいんだよ。

 忘れないために『競』って呼んでるだけ。義高って呼びはじめたら、僕はコイツに甘えているんだってことを忘れてしまいそうだから」


 では、と頷いて、有王を見向く。


「義高殿は、本当に、公方様の血筋に連なる人ではないのね?」

「そうだよ。僕とは従兄弟いとこの関係だけど、母親同士が姉妹だからなんでね。

 競の父親は――渡辺昇っていう名の武士で、御所に仕えているなかで伯母と知り合ったんだって。その縁で、父に母の護衛を任じられたみたい」


 つぎはぎの目立つ袴と小袖の上に、綿入りの羽織をかけた姿の有王は、苦笑いを浮かべている。

 帰蝶もまた、綿入りの着物だ。何枚も着込んで、傍に火鉢を置いているというのに、まだ寒い。

 外は一面、雪におおわれている。ちょっとの日の光では、溶けることはないだろう。

 庭を区切るような柵はなく、すぐ近くまで、雪合戦に勤しむ子供たちの歓声と雪玉が飛んでくる。今も濡れ縁に一つ、雪が落ちた。


「うるさくないのかしら」

「平気だよ。元気な時は、一緒に雪玉投げて遊ぶような奴だし」


 そう、と笑って、また見やる。夫である青年はぐっすり眠っている。


「起きたら、すぐ遊びに行っちゃうのかしら?」

「体がいうことを聞いたら、そうするだろうね。それくらい、競はこの里が大好きなんだ。だから、守ろうとしてくれた。

 すごく長くなるけど、聞いてくれる?」


 頷くと、有王はわずかに頰をあからめてから、言葉を続けた。


「まずね。千坂のおっさんの屋敷に連れられて行った直後から僕は、自分の血と力不足が厭になって、閉じこもっていたんだ。

 その間に競は、おっさんとまず話を付けた。源義高がいれば、あの里は護れるのか。里の主が武士ならば、襲われることもなく、襲われても力で護ることができるのかって」


 つまり、と口を尖らせて、まだ話す。


「この時にはもう、僕の代わりになって、里を護ろうとしていたらしいんだ。それを、千坂のおっさんが義平公に話した。義平公も結局のところ、僕に甘くて、負い目があったんだろうね。息子を守るのならば、とあっさり認められたって話だよ。

 僕がいじけている間に、源義高の元服の儀は、競が出ることで行われた。

 その数日後に義平公が病で亡くなり、大騒ぎの御所からは後ろ盾のない息子のことなんてあっという間に忘れられた。だから、僕らは宇治に戻って暮らすことに決めたんだよ」


 はあ、と息を吐いて。彼は指先を屋敷の北に向けた。


「昔、僕らが住んでいたのは丘の反対側。でも、すこしでも都から隠れようと思って、こっち側に建て直したんだ。里の他の人たちもついてきてくれて、こっちが元からあった村みたいになっちゃった。嬉しかったけど」

「そうやって、今年噂になるまで、過ごしていたのね」


 帰蝶が笑うと、有王は首を振った。


「競はともかく、僕はずっとビクビクしてたけどね。いつまた襲われるだろうかって。今度の話の時もね――うかつに行ったら殺されるんじゃないかと思ってた。僕がじゃなくて、競がね」


 実際にそうなりかけたのだから、笑えない。顔を見合わせて息を吐く。


「ちなみに、義平公が亡くなられた頃には、君も御所にいたんでしょ?」

「ええ……」


 十一年前など。まだ幼く、自分のいる建物の外の世界など、大人たちの騒動など、覚えがない。

 だというのに、その頃に彼らはもう、苦労してたのだ。


とおになるかならないかで、そんな大事なこと考えられたかしら」


 帰蝶が笑うと、有王が肩を竦める。


「ねえ。僕もびっくりだよ。競は八歳やっつだったんだよ?」

「そうよね…… って」


 ふと、疑問がわいた。

「義高殿は今何歳いくつなの?」

 きょとんとした有王が応じる。

「競はまだ十九だよ。来年二十歳」

「嘘でしょう!?」

 つい、叫び。有王に指を向ける。

「そ、それで、あなたは二十二……?」

 相手は眉を跳ねさせた。

「参考に聞こう。君、僕らが何歳だと思ってた?」

「あ、有王は、同い年かと」

「……十六?」

「ええ…… それで、義高殿は本当に二十二だと思っていたわ」

「どうせ、僕は童顔で、あっちは老け顔だよ……!」


 ぎいっと有王が叫ぶと同時に、奥からうめき声が聞こえた。

 二人で見向く。

「義高殿?」

 呼ぶと顔が向けられてきた。左目がゆっくりと開いて、帰蝶を映す。


「何処だ、ここは」


 掠れながらも、しっかりと。言葉がつむがれる。


「宇治に帰ってきちゃった。安心して」

 帰蝶の肩越しに顔を出した有王も映すと、義高はしぶい顔をした。


「何故、宇治に帰蝶がいる」

「僕が誠心誠意込めて連れてきたけど?」

「ぬかせ。どうせ、巴や真澄も一枚かんでいるんだろう」

「公暁も頑張ったんだよ? ついでに、千坂のおっさんが御所に残って後始末中だよ」


 義高は大きく息を吐いて、目を伏せた。

 くっくっくっと有王が喉を鳴らす。


「ま、それだけ喋れれば結構だよ。起きたついでに、傷の様子を見てもらおうか。

 慈海を呼んでくるから。帰蝶はそこにいて」


 目を丸くして見せれば、満面の笑みを向けられた。


「もう、逃がさないよ。君は、競の大事な家族だから」

「……勝手に出てきてしまって、彰子様、怒っているかしら」

「さあ、ねえ?」


 足音が遠ざかる。

 義高は溜め息をまた吐いた。


「能天気め。俺はどうしたらいいんだ」

「まずは、ゆっくり休めばいいんじゃないかしら?」


 袖の中から指先を出して、夫の額に触れる。


「まだ、熱があるわ」

「体中が痛いのはそのせいか」

「そのせいばかりではないと思うけれど」


 早く痛みがひけばいい、と唇を噛む。

 帰蝶が顔にかかる髪をよけている間に、義高は目を閉じて、また眠ったらしい。


 ざんばらに切られた髪に眉を寄せていると、外から声をかけられた。

 濡れ縁の外に、十にならぬくらいの子ども達が並んでいる。

「ねえ、義高様起きた?」

「……一度起きたけど、寝直したわ」

「なーんだ、つまんないの!」

 口々に叫びながら、子達は散っていく。また雪の中ではしゃぎはじめるのを見て、すこし、笑った。




 傷を負った主を連れて、一党が逃げる先に選んだのは、御所ではなく所領にある屋敷。

 その宇治の冬は、都よりも白く、そして賑やかだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る