呪いばかりを口にした

 しろい月の光の中で、ガシャガシャと具足を鳴らしながら騎馬で行き来する一団がいた。兜の陰の顔はよく見えなかったが、知らない大人おとなたちだった。それは確かだ。

 彼らが太刀を振るったあとでは、血が吹きあがる。蹄が踏み荒らしたところでは、炎がおどる。

 里中に悲鳴と怒号が響く。


 二人は、大きなシイの木の幹の後ろでそれらを見ているだけだ。身じろぎひとつでもしようものなら、見つけられる。そう思って、有王もきおうも、ただ抱きあうだけで、じっとしていた。


「子供はいたか!?」

「分からん――少なくとも、こちらで一人斬ったぞ」

「それが本当に落としだねなんだろうな」

「ううむ…… 男子おのこのようだが」

「まあ、いい。この炎なら、屋敷の中の者は確実に死ぬだろう」


 やがて話が終わり、乗馬の一団が北へと去っていった後も、まだしばらく動けなかった。

 真夏の夜風は、それなりに冷たい。星明かりをあびながら、ヒョウヒョウと吹く音を聞くだけ聞いた後。

「母さん」

 ポツンと競が呟いたのが、もう一度動けるようになる最初だった。

「行ってみようか」

 次は有王が言い、右手で競の左手を引いた。それは温かくて、湿っていて、つい、きつく握りあう。

 二人が近寄ると、柱だったものが音をたてて倒れた。

 黒い炭と化したものが辺りを埋めつくしていて、その中で炎がチリチリと鳴いている。

「母さん」

 競が言う。

「父さんは? 兄さんは?」

 有王は首を振った。

「分からないよ」



 屋敷には誰が居ただろう。

 主である有王の母と、その姉である競の母とその一家もいたはずだ。泣き虫だけど大らかな兄や、物知りで無口な父。厳格にも程がある祖母も。

 昔、戦いで悪くした脚を引きずって歩く下男もいた。力自慢の男もいた。身売りされているところを有王の母が買いうけてきた、料理が下手な娘もいた。



 順に名前を叫ぶ。

 応じるのは木霊だ。

「嘘だよ」

 土に尻をついて、競は甲高い声を上げた。

「ぜったい嘘だ。みんな死んだなんて」

「止めろよ!」

 有王も叫んで、競の両肩を掴んだ。


 小柄でまろやかな顔立ちの有王と、骨太で凛々しい顔立ちの競は、三つの年の差を感じさせない。

 普段ならば。

 今だけは、まだ十にならぬ競は、その年らしい怯えと哀しみを面に浮かべていた。


 ボロボロと涙が落ちていく。

「だって有王」

 声が小刻みに震えている。

「肝試しに出てたの、俺と有王だけじゃないか」

「そうだけど」

「みんな屋敷で寝てたはずだよ」

「そうだけど!」

「返事がないんだよ」

「まだ、探してみないと分からないだろう!?」

 叫ぶ。肩で大きく息をしてから、唇を噛んだ。



 信じたくなかった。

 辺り一面に転がる炭の中に、見知った顔の遺骸があるかもしれない、とは。

「数えで十一、もう元服を迎えてもよい年なのですね」

 昼間にそう笑っていた母が死んだのだとは。



 東の空がほのしろく輝く頃になってようやく、炎はおとなしくなった。

 炭たちの形もはっきり見えてくる。嗚呼、と呟く。

 入り口らしき枠の前に倒れた一つ。その奥に、二つ。

 奥に蹲っている三つ。あれが有王の母と競の母、そして祖母だろう。

 外には、比較的マシな塊があり、残された着物の欠片から、競の兄だと知れた。

 うえっ、うえっ、とその横で競がえずく。


「嘘じゃなかった」


 涙も鼻水も隠さない競の隣で。有王は顔を伏せた。



 焼け落ちた屋敷は、都に居るのだという将軍の妾が住まっていたところだ。

 母は自分に子がいることを必死に隠そうとしていたのに。将軍は、有王の父は楽しそうに通ってきた。


――ここに書を用意した。


 つい最近に見せられたのは、源義高と大きく書かれた書と、漢字だらけの巻物。


――元服の後は義高を名乗れ。


 巻物はその義高の所領についての証文だという。母は苦笑いと共に受け取っていた。


――斯様かようなことをなされば、ここに息子がいると知れてしまうでしょうに。

 いずれ殺されてしまう、と怯えていた。



「俺が、あんなやつの子供だったから」

 ポツンと呟く。

「俺を殺すために来たのかな、あいつら」

 もしかしたら、競の兄は、有王の身代わりとして斬られたのかもしれない。浮いた考えに、ゾクリ、と体が芯から震えた。



 日を受けた背は熱くなってくる。今日も蒸し暑くなるのだろう。

 一日は始まってしまったのに、自分たちがどうしたらいいのかはさっぱり思い浮かばない。


「お腹空いたなぁ」

 競は笑った。

「みんな死んじゃったのに、俺たちはお腹が空くんだね」



 屋敷の隅、こだかい場所から見おろせば、焼けたのは有王達の住まう屋敷だけでないと知れた。

 黒く煤けた柱、落ちた屋根が見える。その周りでへたり込んだり、何とか歩いているというの人影も。

「あっちは卯助おっさんの家。亥吉おっさんちも焼けてる」

「辰巳さんちもだ」

「おばさん、怪我してないかなぁ……」

 ふたりでポツポツ喋っていると、北の方から騎馬の一団が駆けてくるのが見えた。


「ねえ、あれ」

 競がぱっと顔を輝かせて、立ち上がる。

「千坂のおっさんだ!」


 いつも、有王の父だという男と一緒に来る武士だ。


「おっさん、おっさん!」

 競が手を振って、坂を駆け下りる。

 やってきたのは五騎。先頭の男は、ずり落ちそうな烏帽子を手で押さえながら、寄ってきた。

「競、無事か! ……有王様もご無事か」

 溜め息が聞こえる。

 二人で並んで見上げると、彼は頷いて、後ろについた男たちに指示を出す。

 積まれてきた荷は、怪我の手当てのための品だったり、簡単な兵糧だったりするらしい。

 焼けた家の者たちが集まってくる。安堵の溜め息が広がる。

「おっさん、里が焼かれたのを知って来たの?」

 問うと、頷かれた。

「昇がな――夜通し駆けて、知らせに来たのだ」

「父さんが!?」


 競の顔が明るくなる。だが、千坂は首を振った。


「斬られたのだろう。腹にあれだけ大きな傷を受けておきながら走りおおせたのは、立派としか言えぬ」

 う、と唸って。それでも競はもう叫ばなかった。

「父を誇れ、競。昇は家族と里を護るために死んでいった」

 千坂が、俯いた頭を撫でる。競は、拳でグイグイと顔を拭っている。

 それから目を逸らす。




 そのまま、二人で都に連れてこられた。

 千坂が都に戻るのと一緒に、だ。


 都の中では小さい方だという、それでも宇治の屋敷よりも立派な造りの建物。

「この子たちが」

 出てきた女の前に、千坂は、有王と競を並べて突き出した。

「義平公の御子だ」

「……御子は一人と聞いたけど」

「ふむ。そのとおりだが、まあ、この二人は兄弟のようなもんだ。面倒を見てやってくれ」

「勿論よ」


 登喜ときと名乗った女はゆったりと笑って、二人を着替えさせて、食事を出してくれた。


「それで? どっちが御子なんだい?」

「どっちか当ててみて」

「おや。大人をからかって、わるい子たちだね」


 ゆっくりとお茶を入れながら、彼女は苦笑いを向ける。


「教えてもらわないとね、困るのよ。衣裳が用意できないじゃないか」

「何の?」

「元服の、だよ」


 え、と瞬いて。有王と競で顔を見合わせた。


「早く元服させて、源義高を名乗れるようにせよ、というのが公方様からのお達しなのよ」

「嫌だよ! 僕は行かない!」


 反射的に叫ぶ。競は身を退き、登喜は顔を向けてくる。二人とも、目を丸くして。


「行かない行かない行かない! もう、あんなやつに会いたくない! 母様が嫌がっていたのに、名前を用意してきた奴になんか!」


 それは、と登喜が眉を寄せる。


「私は人から聞いただけですけどね。公方様は、ただ一人、後ろ盾のない御子を心配しておられた。もう余命いくばくもないご自身の亡き後困らぬよう、血筋を証だて、所領をはっきりとされたのだというわ」

「ああ、だからなんだ。御方様、証文をすっごい大事に隠してたもんね」

「でも、その所領をはっきりされたせいで、御落胤を気にする輩が出て来たというのも事実だけど――」

「やっぱり、俺のせいなんじゃないか! ――俺が、将軍なんかの子供だから!」


 有王、と呼んで、競が手を伸ばしてくる。その手を打つ。


「いやだいやだいやだ! 俺のせいで、母様も、競の家族も死んで、里の大事な家まで焼かれたんだぞ! これ以上、将軍の子供ってだけで、奪われてたまるかよ!」

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