かき乱されて震えても

 三人の男たちは互いに手を握りあいながら、帰蝶を塀の中へ案内してくれた。


「夫は今、どうしているのかしら?」

「さ、さあ……  若様が何をしているか、知りたくないし!」

「苦手なんですよ、イジメって」

「だから外に出ていたんじゃないですか~」


 御所に引けを取らぬ広い庭をよこぎる。その途上で、向こうの厩舎ですよ、と指差された。

 夕焼けの影が伸びる。

 その中で叫び声が聞こえた。血の匂いをふくんだ、絶叫が。


「ああ、もう無理ぃ……」

 男たちはそろって白目をむいて、土へ倒れ伏していった。

 その体を助けおこすなど思いつかず、走りだす。


 今の声は、義高だ。聞き間違えようがない。


――どうしてどうしてどうして!


 走って、庭の端の、厩舎と思しき建物に飛びこんだ。


 中は得も言われぬ匂いで充ちていた。

 奥には、蹄を鳴らす馬たち。手前にはいくつも、干し草の山があって、その中の一つには、人が何人も、顔を突っこんで倒れ込んでいた。


 中ほどには、屋敷の主人――金馬重信が立っている。手には馬にあてる鞭。

 前には、肌の上に、自らが流す血しか纏っていない人。


「どこから入ってきた」

 重信が目を細め、ぼそりと問いかけてくる。


 構わず、その前にすべりこむ。

 両腕を広げたまま手首を縛られて、へたり込んでいる人の顔を覗きこむ。

「義高殿……?」

 呼びかけると、彼はゆっくりと肩を揺らした。

「帰蝶?」

 驚きと、疲れをふくんだ声が返ってくる。帰蝶はその体に腕を伸ばした。


 腕には幾つもの切り傷。肩も腹も、でこぼこに腫れている。もとどりは切られ、不揃いな髪が顔にかかる。

 それを指先で掬い上げて、さらに息を呑んだ。

 右のこめかみから頬にかけて血が流れる。瞼がひしゃげ、落ちくぼんでいる。


「目が……」

「左は見えるな」

 ぼそりと呟いて、義高はまた顔を伏せた。


 だから、膝をついて抱きしめた。

 息が荒い。体が、冷たい。肩口に寄せられてきた額だけは、熱い。

 何があったと、顔をあげる。

 目が合えば、重信は鼻を鳴らした。


「離縁されるがよかろう。御台様にもつたえてやるぞ」

「何故」


 睨む。見下される。


「とんだわせ者だ。義平公の御落胤などではない――その腹に、義平公が自ら刻んだはずの字がないのだからな」


 眉を寄せてみせると、笑われた。


「おまえも、何も知らずに抱かれていたのか。いや、ただの養い子、政略の駒としかならぬ娘が大事なことを知らされているはずがないか」


 はっ、はっ、はっ、と大きな声を立てて、重信は唇をゆがめた。


「せっかくだ、教えてやろう。先代将軍・義平公は、御手ずから、自らの赤子の腹に義の字を刻んだのだ。血筋の証としてな。だが、この男にはない。その意味は分かるだろう?」


 さらにきつく眉を寄せて、帰蝶は義高の腹を見た。

 あかいきずとあおぐろいあざだらけにさせられたそこに、そのようなものが有るか無いかなど、判じられない。

 だけど、とそこに手を伸ばす。

 気にしたことなどない。つまり、無いということか、と首をひねる。


 その帰蝶の肩に頭をのせたまま、ぜえ、息を吸って。

「義長様は知っているんじゃないのか? 俺にそれがないことを」

 それに、と義高は乱れる吐息の中に言葉を入れこんでくる。

「義平公の実の子でなかろうと、俺が宇治義高だ」

「自身が血をひかぬと認めるのに、その名を口にするか。ふざけるのも大概にせよ」

 重信は、こめかみを震わせて、また鞭を振り上げた。


 両腕で。いつもは帰蝶を温めてくれる体を抱きしめる。

 奥歯が鳴る。

「何をしている。逃げろ」

「いやだ」

 呻き声を漏らす夫を両腕でかかえこんで、ぎゅっと目を閉じたところで。


「ねえ」

 と別の声が聞こえて、振り向いた。

 重信も、明らかに顔が歪ませて、見向いている。


「有王」


 戸口に立っていた彼を呼ぶと、肩を竦められた。


「途中から聞いてたんだけどさぁ…… そんなに血筋が大事?」


 重信が肩を揺らす。


「やだねえ。血筋が大事と言いながら、その血筋の人間を簡単に殺せるのも、おまえみたいな奴だ」


 はあ、と大きな溜め息を吐いて、有王は水干の袖から腕を抜いた。諸肌脱ぎになって、さらに、腹に撒いていた晒を解いていく。

 それを土の上に放りだして、指先で右の腹を示した。


「これでいい?」

「義、義の字だ!」


 重信が叫んだ。よろめいて、一歩、二歩と下がっていく。


「まさか、そんな」

「源義平の血を引いた息子は僕だけど」

「義高は今年で二十二のはずだろう!? おまえでは、若過ぎる!」

「どうせ、童顔だよ!」


 有王が叫ぶ。同時に、駆けだして、拳を繰りだした。

 殴られた重信が、宙を飛ぶ。落っこちて、グエと呻いた。


「でも、血を引いているのが僕ってだけで。源義高を名乗っていいのは、きおうだから」


 ぼそりと言い放った有王が、まっさおな顔で歩み寄ってくる。

 帰蝶が抱きこんだ義高の、髪を掴んで上を向かせ、頬を張った。


「本当、何してるんだよ。このバカ! バカ競!」

「うるさい……」

「死んだらどうしようもないんだからね! 戦う時はいつも全力で戦えっていってるだろう!」

「……悪かった」


 呻いた義高の体が、ぐらりと傾ぐ。

 有王は、ぐいっと目元をぬぐった。


「ごめん。そのまま、体を支えてて」

 もう一度、抱きしめる。有王は懐から短刀を取り出すと、梁に腕をくくった縄を切り始めた。


「なにをしている」

 衣のあちらこちらに枯草をつけた重信が叫ぶ。

 その足元に、ストン、と矢が刺さった。


 なんだ、と叫んで、彼は戸口の向こうへ顔を向けた。

 つられて見る。夕陽がまぶしい。それでも、戸口の正面の塀の上に、人が登っているのが見える。

 二本、三本と続いた矢に、重信が尻餅をついた。


「遅いよ、真澄」

 ぼそりと有王が呟く。縄が土に落ちて、音を立てる。

 力なく寄りかかってきた体を、両腕で抱きとめる。

「……義高殿?」

 返事はない。

「ほら、手当してあげなきゃ。逃げるよ」

 有王が急いた声で、義高の腕を持つ。


 何処に逃げるのかと、もう一度、出口となる戸口を見る。

 今度は、大男が入ってきた。


「もう。公暁も遅い」

「申し訳ない…… 忍び込む、というには、吾輩は大きすぎた……」

「ですよね!」

「勝手をするな! ここは儂の屋敷だぞ!」


 腰を抜かしたまま叫ぶ重信に、つかつかと歩み寄って。有王は、彼の横腹に回し蹴りを入れた。

 また呻いて、重信が仰向けにたおれた。

 それから、有王は落ちていた松明を藁の中へと蹴り込んだ。

 煙が上がる。


「ほら行くよ」

 傷ついた躰を抱え上げた公暁が、有王が走る。追いかける。

 庭を駆けぬけて辿り着いたところで、がつん、がつん、と塀が倒れた。

 その向こう。

 騎馬に乗った武者がいる。巴だ。

 傍には空馬が四頭。有王がひらりと馬上に上がるのにつづいて、真澄が塀からおりてきて、公暁が義高を抱えて上がる。


「あんたも乗って」

 帰蝶の横に、空いた馬は寄せられる。

 鞍を両手でつかんで這い上がると、巴はにっこりと笑ってきた。


「手綱はあたしが持っているから、首にしっかりつかまってな」


 頷くなり、騎馬は走りはじめた。

 背にした館からは「火事だ」という叫びが聞こえた。

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