血汐燃ゆるは現世のみ

秋保千代子

月も凍てつく夜ゆえに

 初めての夜をすごす夫婦のためにとしつらえられた寝床は、御簾ごしの月の光に照らされていた。


 その月影を背にうけながら、夫となった男は婚礼の衣裳を脱いだ。

 筋ばった首が、鍛えぬかれた肩が、 無駄なものなど一切ない胸と腹が、あらわになる。


 これからおのれの身を自由にするのだろうその体から、帰蝶きちょうは一度目をそらした。

 彼女もまた、角隠つのかくしも打掛うちかけも取りはらい、しろい小袖こそでだけの姿だ。

 両腕で自分を抱きしめて、唇を噛む。

 すると、口の中にびた味がひろがった。


 本当に、にがい。

 お互いに想いあって結ばれるわけではないと思うと、苦しさしかない。

 先代将軍の落胤である義高よしたかと、今代の養女である帰蝶。二人の婚礼にあるのは、義高を味方につけておきたいという周りの思惑だけだ。


 花嫁は誰でもよかったのだ。


――たまたま、わたしだっただけ。


 帰蝶の心に巣くうのは、諦めといきどおりがないまぜになった感情だ。

 一方で、彼はどうなのだろう。押しつけられた花嫁を、どうするつもりなのだろう。

 溜め息をはいて、向きなおる。

 けわしい視線を真正面から受けとめる。


 にらみあうこと、しばし。


 やがて、義高が先に動いた。

 指先にあごをすくわれて、上を向く。

「怖いか?」

 低い声で問われ。

「いいえ」

 帰蝶はうっすらと笑って、答えた。



 唇が重ねられて、汗ばんだ胸と胸がぶつかって、体がつながる。

 その痛みは覚悟していたことなのに、涙が止まらない。



 だから。

 事が成されたあとにも触れてきた掌に、おもいきり歯を立てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る