ふみつけるものあおぐもの

 南側の格子は全部あげられていて、秋の終わりの風がしずかに、建物の中へと流れこんでくる。

 その奥で、彰子が琴を弾いている。


 四十路間近だというのに、皺ひとつない顔。日の下に出ることを知らぬ、白い肌。豪奢な打掛を肩にかけた、御所の女主人。

 今日のものは紅葉の刺繍だ。わずかに届く日の光をうけて輝くのは、金糸も用いられているからだろう。

 音に合わせて、チラリ、キラリ、光る。


 音に合わされた揺らめきは、彰子の衣裳だけではない。


 濡れ縁につづくひろい空間の真ん中で。その場にいる全員の視線をあびながら、帰蝶は扇を広げた。

 腕をひろげ、足をすすめ、視線を流して、舞う。

 濃いめの緑の着物が、風を受けて膨らんで、ひらひら踊る。

 ピン、と音が止まるのに合わせて、動きを止めた。


「よい姿勢だこと」


 コロコロと彰子は笑った。


「お褒めいただき光栄です、御台所様」

「先般の宴の席の舞も。非常に良い出来でした。公方様もたいへんお喜びで」

「恐縮です」


 頬だけ緩ませて、頭を下げる。

 するとまた笑って、彰子は、お下がり、と言った。

 それから彼女の視線は、ひろい部屋のすみに一列に並んだ娘たちへと移る。


「次は? 茶々ですか」

「……わたくしです」


 おずおずと立ちあがった茶々が、握っていた扇を落とした。

 あ、と小さな声が響く。板張りの床の上を、カツンカツンと音をたてて、帰蝶の足元へと弾んできた。

 それをすばやく拾いあげて、差しだす。


「頑張って」


 帰蝶が言うと、彼女は潤んだ眸を向けてきた。

 ちいさな体がさらに縮こまる。藍色の地に、薄紅で刺された花の柄に皺がよる。

 歩幅もせまくして、先ほど帰蝶が待っていた場所へと茶々は進んでいった。

 それを見とどけてから、列の端に腰を下ろす。隣になった娘はジトっと睨んできたが、素知らぬふりをする。


 彰子が琴を鳴らしはじめると、ひそひそ話も聞こえてきたが、それにも知らんぷりをきめこむ。

 区切り区切りで立ち止まりながら、茶々が舞を進めるにつれて、握った掌が汗で湿っていく。


 彰子は振り返らずに琴を弾いている。今舞っている茶々しか見ていない。

 だからよけいに、娘たちのお喋りの口は動く。



 全部で二十人いる。

 年のころは十から十七。

 皆、幼い頃から彰子の手元で育ってきた娘たちだ。

 舞も琴も、歌を詠むことも、一通り教えられた。全ては、公家でも武家でも嫁いでいけるようになるために。

 清姫は、義長の妹の子。

 茶々は朝廷に役職を持った父を亡くして、途方にくれていたところを引きとってきたらしい。

 帰蝶だけは、父も母も知れないが。



 まだ順番が回っていないのは何人いたか。その間ずっと皆の嫌味を聞くのか、と帰蝶は肩を落とす。


 不意に。茶々が叫んだ。


「なんですか?」

 彰子が顔を上げる。

 茶々は左手で右手を握りながら、その場にしゃがみこんだ。

 カタン、と扇が落ちる。

 竹の骨が根元から折れた扇が。


「い、いたい……」

 シクシクと茶々が泣き出す。

 並んだ列の中から、清姫が飛びでて、かけよる。


「どうしたの? なんで扇が折れるのよ」

「わからない…… 」

「手を見せて! トゲが刺さったりとかしてない!?」


 握りしめられた掌を無理やり広げさせて、清姫は叫んだ。


「たいへん! 血が出てるわ!」

「誰か、医師くすしを呼んできなさい!」


 彰子の声に、入り口に控えていた侍女が走っていく。

 並んだ娘たちは、互いに顔を見合わせる。


「……ねえ、今日の稽古はこれでおしまい?」

「あら、やだ。そうかもね」


 ざわつく中、帰蝶は

 顔を伏せて肩を震わせる茶々の背中をさすりながら、清姫が顔を向けてきた。


「帰蝶」

「なにかしら?」


 呼ばれ、低い声で応える。

 いつもはまるくあかるい瞳をつり上げて、清姫は言った。


「あなた、さっきあの扇を拾った時に、何をしたの?」

「……拾っただけよ」

「嘘をつかないで。ただ振っていただけで、急に折れるわけないでしょう?」

「何を言いたいの?」


 睨む。

 睨みかえされる。


 清姫は、ふっと息をこぼして、笑った。


「折角の夫に尽くさぬ人ですもの。小細工なんて朝飯前でしょう?」


 カッと顔が熱くなった。

 清姫は余裕の笑みだ。そのまま、茶々の肩を抱えて歩いていく。

 部屋の入り口から消えていく後ろ姿を、見おくるしかなかった。




 モヤモヤ、モヤモヤ。

 何故あんなにいわれなければならないのか、という気持ちを引きずって戻る。


 そして、自室の前に立っていた人物に、さらに気持ちは突き落とされた。


 整えられた髪の上に折烏帽子をかぶり、引き締まった体で松葉色の直垂を着こなした義高だ。


 濡れ縁を、足音を立てずに進んできたのに、庭に立っている彼にすぐに気づかれる。

 声をかけてきたのも、彼からだった。


「出かけていたのか」

「御台所様の稽古へ行っておりました」

「舞の稽古か」

「はい」


 応じながら、珍しいなとふと感じた。

「一応、わたしの行き先は気にしてくださっているんですね」

 すると、息を呑む気配がしたので、振り向く。

 彼は切れ長の瞳を丸くしている。


「なにか?」

「いや…… 確かに、嫁御殿のいうとおりだな」


 するり、首を振られる。


「おまえがこちらを向かないとばかり思っていたが、俺も大概だったな」

「はあ」

「もっと訊ねるべきだったな」

「例えば、何を」

「……好きな菓子など」


 思わず肩を落とす。


「いまさらそれを知ってどうしようというのですか」

「買ってきて、食べればよかろう」

「まさか、一緒に?」

「おかしいか?」


 腹の中では嫌がりながら、仲良しごっこをしてどうする、と思いながら。


「餅菓子が好きですよ」

 つい答えて、部屋と濡れ縁を仕切る御簾を持ち上げようとして。

「……中に入られなかったのですか」

 問いを返す。

 律義に、庭に立っていた夫は首を傾げた。


「嫁御殿の部屋なのだから、嫁御殿の許しを得てからでないと入れないだろう?」

「左様で」


 ふう、と息を吐いて、部屋に入る。

 途端に足の裏に、ちくん、という感触を感じた。


「痛い!」


 叫ぶ。

 よろめくと、後ろから支えられた。


「どうした?」


 何か踏んだ、と答えるより先に、右足を上げた。

 足の裏にすうっと一筋、血の筋。床にぽたんと雫になって落ちていく。一緒に、細長い銀色の光も落ちた。


「なに、これ……」

「針だな」


 後ろから帰蝶を抱きかかえるように腕を回した義高は言い。

 それからひょいっと帰蝶を抱き上げた。


「え、ちょっと、何を」


 ストン、と濡れ縁の端に下ろされる。

 庭に向かって足を揺らす格好にさせられて。

「見せろ」

 と、彼は帰蝶の右足を持った。


 庭に降りて、土の上に膝をついて。懐から白い布を取り出して、足の裏を拭われる。

 くすぐったい。

 だが、笑うのも振りはらうのも躊躇ためらわれる。

 それほどに真っすぐな視線が注がれている。


「あの…… 義高殿?」

「深くはなさそうだな。跡は残るまい」


 もう一枚取り出した布で、ぎゅっと足をくるまれる。

 それを成す、以前噛みついた掌を、帰蝶は呆然とみつめた。

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