となりにすわったはずなのに

 柔らかい脚だ。

 野山を走りまわって育った自分の脚とは違う。武の道で鍛えられてきた公暁とも、暮していく中で逞しくなったのだろう真澄とも異なるし、同じ女である巴のものとも、同じではない。

 しろくて、ふわふわで、ずっと触っていたくなるような。



義高よしたか殿?」

 いぶかしげな声がふってきた。

 顔をあげる。

 わずかに頬をあからめた帰蝶きちょうがいる。


「......何か」

 声がひっくりかえりそうになるのを、すんでのところで押しとどめた。

 努めて、平静に。視線を送る。


「放していただけますか?」


 そう言われて、自分が握っているものをもう一度見る。

 帰蝶の右足だ。もう、傷口は布を巻くことでかばっている。自分がそうしたはずなのだ。

 ゆっくりと手を引くと、脚はおろされていって、 着物の裾でかくされる。


「もう大丈夫です。ありがとうございます」

「ならば良かった」


 ちいさく息をはいて、 立ちあがる。

 膝についた土を軽く払いながら、顔を上げる。

 帰蝶の部屋が見える。御簾は巻きあげられたままだから、中まで見とおせる。

 その床には、キラ、 と光を弾くものがあった。


「すまない、上がるぞ」


 帰蝶を濡れ縁に座らせたまま。

 返事を待たずに、義高は部屋に踏みこんだ。

 膝をついて、床に指をはわす。ちくり、と針が刺さってくる。つみみあげた横にもまだ、細長いものが落ちている。


「一つではないのか」


 先ほど帰蝶が踏んだ分だけではないらしい。

 ゆっくりと 掌で床を探る。

 進んだすぐに一本。少し奥まったところに三本。次から次へと拾う。


 すっと、隣に気配を感じて、顔を向ける。険しい顔をした妻がいる。


「自分で拾います」

「なぜ」

「わたしの部屋ですから」

「別に、俺がやってもよいだろう」

「いいから! 自分でやりますってば!」


 唇をとがらせた横顔に、むっとなる。


「二人でやったほうが早い」


 結局、二人で床によつんばいだ。


「トカゲのようだな」

「そうですね」


 せっせと床を探る。そうして集めた針、 二十本はゆうにあった。

 両手にのせて、帰蝶は息を吐いた。


「ほんとうに、 誰が......」


 呟きに、眉をよせた。


「自分でいた――」

「――わけがないでしょう」


 部屋の中に座って。背筋をまっすぐに伸ばしたまま、それでも帰蝶は泣いているようだった。

 肩が細かく震えている。

 その体に触れようと伸ばした手は、寸前で動きを止めた。


 じくり、右手がうずく。噛みつかれた痛みを思い出す。

――さっきは触れられたくせに。


 頭を振って。

 義高は濡れ縁との境目に立ち、外を見やる。

 ワレモコウの赤と苔の緑が眩しい庭。その向こうで影が動いた。


 魔物ではない。人間だ。

 視線が、こちらに向いている。



 途端、浴びせられた水の冷たさを思い出した。



「そうか。あの水桶も、この針も、悪戯いたずらか」


 ぼそりと声にのせる。

 腹の底が熱くなる。


 一度、振り返る。帰蝶は床にへたりこんだまま、動きそうにない。


「すまない」


 なにがだ、と思いつつ。庭に飛び出した。

 裸足のまま、砂利をけあげ、ツツジの木を飛びこして、影に迫る。


 相手はヒッと叫んで、シイの木の幹に隠れようとした。

 その袖の端をつかんで、引く。

 ゴロンと影は、土の上に転がり出た。


「な、なななななな、なんだ、おまえは!」


 金切り声。

 片目を細めて、転がった男を見下ろす。


 細身の、くねくねした線の男だ。見た目の年頃は義高と変わらない。

 身に付けた衣裳は上等な生地のもの。よく見れば、化粧もしている。


 尻餅をついたまま、後ろに這いずっていこうとするのを、袴の裾を踏んで、抑える。ついでに右腕を掴む。

 細い腕だ。皮と骨しかない。このまましおってしまいそうだ、と考えながら、しげしげと顔を見た。


「どこかで会ったな」

「あ、ああああ、あたりまえ、だだだろう? ボボボボボ、ボクを、知らない奴なんて、御所に、いる、るるる、はずがないんだ」


 こめかみに指先をあてて、目をつむる。うん、と唸って。


「金馬殿」


 名をひねりだす。


金馬きんば頼信よりのぶ殿だ。宴の席で会った」

「は?」


 今度は相手――頼信が目を丸くする。


「う、宴? い、いい、いつの?」

「名月の時だ。御父君ごふくんが新しい鎧を披露されていただろう?」

「あー! お、おまえは! おまえは、義長よしなが様のお、弟とかいう奴か!」

「そういうことになっている。宇治うじ義高よしたかだ」


 名乗ると、急に頼信は鼻の穴をふくらませて、どすんと座り直した。

 右腕をぶんぶん振って、義高の手を振りはらおうとしてくる。敢えて、力をこめてやる。


「はなせ、田舎者。ボクに触るな」

「先に話を伺ってからだ。なぜ、こちらを見ていた。逃げようとなされた」

「逃げるのは当然だろう。おまえが襲ってきたんじゃないか」

「……そちらがのぞき見のような真似をされていたからだろう」


 さらに右手に力を込める。頼信の右手首がきしんで、彼は女々しい声を上げた。


「いたい、いたい! ボクを傷物にして許されるとおもってるの、田舎者!」

「俺が田舎者であることには異論ないが、不愉快な思いをさせられたのはこちらが先なのだ。話を聞くことは許されよう」

「うるさい、離せ!」


 頼信は空いていた左手をふってきた。薄い爪の先が義高の頬を掠る。ピリ、と痛みが走る。


「ぎゃー! 血、血が出たー!」

「……自分のではないのだから、静かにされたら如何いかがか」

「あ、そうか!」


 左手の先を見つめて、頼信が笑う。

「ひっかかれた方が血を出すんだよね! 今は、ボクはひっかいた方!」

 その姿に溜め息しかでてこない。

 手を放す。足はまだ、どけない。


「して。何故、俺たちを覗き見るなどという真似をされていた?」

「そ、それは……」


 うへへ、と頼信は頬を掻いた。

 曲がった烏帽子をよいしょ、と直して、後ろにさがっていこうとする。


「まあ、あれだ。恋だな。ボクは男女を問わず綺麗な人が好きなんだ」


 思わず呻いた。つい身を退く。足を動かしてしまう。

 するりと袴の裾をひいて、頼信は、今日一番の素早さを見せた。

 跳ね起きて、背を向けて、駆け出す。


「待て!」


 叫んだものの、追う気は起きない。


「まさか、金馬殿が悪戯を……?」

 あの調子で部屋に針を撒いている姿を想像したら、背中がゾワゾワと震えた。

「……ないな」


 肩を落とし、きびすを返した。


――金馬殿ではないとしても。誰かが、部屋に針を撒いたのには違いない。

 誰が、何のために。首をひねっても、答えはない。


 帰蝶の部屋の前に戻ると、今は御簾が下ろされていた。


「嫁御殿」


 声をかけても返事はない。

 だが、向こう側に気配はある。

 だから、くりかえして、呼ぶ。


「嫁御殿。中に入れてもらえないか」

 五度目で。

「嫌です」

 小さいながらもはっきりした答えが、やっと返ってきた。


 慰めることは許されないらしいと、義高は苦笑した。

 だけど、と自分の右手を見下ろす。

 噛みつかれた掌。そして、傷の手当てを許された手だ。


――これ以上の悪戯は、俺がめなければ。


「……また来る」

 それだけ言って、背を向けた。


 泣き声が聞こえた気がした。

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