晒せるだけをさらけだせ

 部屋の外、空のたかいところに太陽。

 床には、こまかい傷とちいさな汚れのついた武具が転がっている。


 それらを見おろして。

「こき使われてるよねえ、僕たち」

 小袖一枚の姿で、有王ありおうが言った。


 帯を締めていないから、さらしを巻いたうすい腹が丸見えだ。短い袖からはほそい腕も見えている。

 もっとも、うすいほそいといっても、あちらこちらが筋張っていて、力こぶもできている。

 手に持っているのも、重たげな、大振りの太刀だ。


「ほら見てよ、これ。このつばの欠けたところ! 宇治を出た時には、ちゃんとした形だったはずだよ。

 こんななるまで、魔物退治やらされてるんだってさー」


 ねえ、と言われたので、うなずいてやった。

 そんな義高よしたか自身も小袖一枚の姿だ。大事なところはかくしているから良かろう、と胡坐あぐらをかいて、刃を磨きつづけている。


「有難く使っていただいていると考えろ」

「えー、やだよう」

 有王が頬をふくらませれば。

「全く同感。働きたくないねえ」

 その足元に寝ころがった男がひらひらと手を振る。


 この男もまた、肌着一枚の姿。

 袖口からはたくましい腕が、合わせからは年とともに膨らんだ腹が見える。


「俺に勤労精神を求めてくれるなよ」

真澄ますみにそんなものは期待していない」

「そうだろ、そうだろ? さすが殿はわかってるねえ」


 腹をなでながら男が笑っていると、その横にぬっと別の男が立った。


「殿に片付けをやらせるつもりか」


 大男だ。天井につかえそうなほどの。

 肩も大きくて、胴が太くて、体全体が嵩張かさばっている。着物では、隆々としたにくが隠せていない。

 そして、肌寒くなってきた季節だというのに、その禿頭はうっすらと汗をかいていた。


公暁くぎょう

 寝ころがったままの真澄がゲッとうめく。

「自分でやれ」

 公暁は、腰に両手をあてて、しずかな顔のまま言いきる。


「おまえさん、俺に対してつめたくない?」

「いやー。普通でしょ」

「いやいやいや、絶対つめたいって。殿に対しては『肩をお揉みしましょうか』『茶を入れてきましょうか』と世話やいてばかりなのに、俺には働け働けと鞭いれるばかりじゃねえか」

「サボり根性が身についているから、道をふみはずすのだ。殿に救っていただいたことに感謝して、仕事に勤しめ」

「おまえさんが道をふみはずしたどうこう言うのかい」

「一緒にするな。吾輩は励んでいるぞ」

「どうだかねぇ」


 真澄がもう一度呻いたところに。

 濡れ縁から、女が顔をだした。


「さっさと洗う物をおよこし」

 ともえだ。彼女まで、晒を巻いて袴をつけただけという姿。

 腕はふとく、肩もがっしりとしている。だが、腹は細く胸は丸く、柔らかそうだ。


「巴殿。目のやり場に困るでござる」

 公暁の頬がそまる。

「いまさら巴ねえさんに欲情なんかしないよ!」

 有王が笑って、ねえ、と義高の肩を叩いてくる。


「……そう、だな」

「そうでなきゃ困るよ! あんたはもう、一端の男なんだ。妻以外の女に軽々しく突っこむんじゃないよ!」

「巴殿、巴殿。女性がそのようなことを口にするのは、いかがなものかと……」

「いまさら!? いまさら無理、無理!」


 ゲラゲラと有王が腹を抱えて笑いだす。

 真澄も肩を震わせる。

 公暁だけが、頭のてっぺんまであかくなって、顔をふせた。ポタリ、汗が床に落ちる。


「まあ、巴姐さんのいうとおりにしていた結果、二ヵ月以上枯れてるみたいだけど」

「有王」

「だって夜にお嫁さんのところに行ってること、全然ないじゃん! 僕は許せない!」

「何を許さないんだ」

「こんなにいい体を放っておくんじゃないよってことだよ」

「巴。おまえまで言うのか」

「殿の腹がいい塩梅あんばいなのは、私が保証する」

「あー、わかるわぁ」

「真澄」

「こう、べしべし叩きたくなる腹筋してるよなぁ」

「おい」

「殿の引き締まったお体が、おこたらず鍛錬にはげまれた成果だというのは異論ないが」

「公暁!?」

「だが昼間からそのような話は……」

「そうだよな」


 義高は首を振る。


「巴。そこにある着物、洗っておいてくれ」

「はいはい」


 指さした衣裳の山を抱えて、巴は庭先に戻っていく。

 桶が転がる音につづいて、水音が聞こえてきてから、義高は部屋を振り向いて、わずかに眉をよせた。


「真澄。本当に動かない気か、おまえは」

「掃除や片付けって嫌いなんですわ……」

「仕方のない奴だな」


 溜め息をはいて、義高は前を向きなおる。

 だが、放り出されていた篭手かけを手にしてから、笑った。


「なんだ――ちゃんと手入れしているじゃないか」

 使うたびにきちんと干していたのだろう。彼の大きな手に馴染んでいるそれは、カビ一つない。

「弓の持ち手の皮は替えるぞ」

 返事はないが、胡坐をかいた膝の上に大振りの弓を乗せた。


 弓を扱っている義高の隣にドッカリと腰を下ろして、公暁も薙刀を磨きはじめた。

 反対隣では、有王がブツブツいいながら鎧の札を一つ一つ拭いている。


「あっちもこっちも傷だらけだよ、もう」

「使えば傷がつくだろうよ」

「そうだけどさー」


 あとは黙々と手を動かす。

 手入れのための油の匂いが部屋を充たしていく。


「あー、疲れた! しばらくこの部屋に居たくない!」

「出かけるなら服を着ろ、有王。巴もだ」

「全くだ。ここは洛中、田舎とはちがう振舞いが必要ですぞ」


 かたや縹色の水干。かたや、薄紅色の小袖に銀杏いちょうの葉の色の被衣かずき。そんな姿で二人は出ていく。

 背中を見送ってから見れば、話し声にも匂いにも惑わされずに、真澄の転寝うたたねは続いているらしい。


「いい根性をしていますな」

「こうでもなきゃ、盗人なんかにならないさ」

「……そうとも言いますが」


 公暁は、コホン、と咳払いをした。

 まっすぐに視線を向けられて、義高は首を傾げる。


「どうした?」

「いえ…… 訊くのは野暮なことですが」

「気になるなら、言え」

「……では。殿は何故なぜ、宇治から都に出仕する供に、私、真澄、そして巴と有王を選ばれた」


 ぎゅっと眉間に皺をきざんだ顔に、ふっと笑って答える。


「有王は付いてくると言ってきかなかった」

「左様でございますか」

「後は全員、頼りにしているからだよ」

「なんと」

「公暁もだ」

「……有難いですな」


 頬をかいて、公暁が横を向く。また、頭のてっぺんまであかい。

 もう一度笑ってから、義高は腰を上げた。


「俺も出かけてくる」

「どちらまで」

「嫁御殿に挨拶を」

「いってらっしゃいませ」



 松葉色の直垂を着込み、折烏帽子をかぶり直して。

 御所の庭へと踏みだす。



 ワレモコウが咲き始めた庭。気の早い紅葉も風に乗っていく。


 そんな視界の隅を黒い影が横ぎっていった。

 魔物だ。

 太刀の柄に左手をかけながら、義高は一歩踏み出した。拳を振って、塊を叩きおとす。重たくて冷たい感触を残して、塊は崩れ、粉々になって、吹きとばされていく。


「都は魔物が多い」

 自らの所領がある宇治やその周りと比べて、と息をはいた。



 魔物がはびこるようになってどれだけ経つのか。その中で、人は暮らしを守るために、武に頼らざるをえなくなったのだ。


 まれに、魔物をはらう力を持つ者もいる。

 だが、そんな珍しい存在に頼るよりも、自らを守るためには、刀を持つのが手っとりばやい。

 それが人間同士にも向けられるようになった時、規律も求められるようになった。


 宴の席で彰子が言っていたことは正しい。

 武士は御所に、将軍の下に集うものなのだ。


 そして時には、将軍の見えるところの外で力をふるう者もいる。武士とは呼ばれぬ存在が。

 義高とその一党もそんな無頼漢ぶらいかんだったはずだ。



 家同士の争いで夫を失った巴。

 薙刀を修めたばかりに、寺を追われた修行僧の公暁。

 都で盗みを働いていた真澄。

 そして宇治の山の中を裸足でかけまわるような子供だった、有王と自分。

 みな、腕っぷしは超一流だが、武士と呼ばれる身の上かと訊かれると、違うとしか言えない。



 考えながら歩いていたら、角を曲がればもう目的の部屋というところまで来ていた。

 宇治から出てきてすぐにめあわせられた妻の部屋だ。


 一度足を止めて、目を閉じる。

 瞼の裏には、松明の灯りを受けて翻る袖と扇がよみがえる。


――舞は、どういって褒めたものか。


 唾を呑みこんで、目を開いて。ゆっくりしっかりと土を踏みしめ、近づいていく。

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