熱をわけあう二人には

 隣に立つ人の顔を見あげる。


 女子の中では背の高い帰蝶とは、その差は拳ひとつ分くらいしかないが、見あげないと顔が見えない。

 切れ長の瞳にりりしい眉、引き結ばれた口許。考えを知る手掛かりにはならない無表情。

 きちんと整えられた髪の上の折烏帽子と松葉色の直垂に、腰に太刀をいた姿は、いかにも武士といったいでたちで、当人がいうところの風情を介さぬ田舎者という雰囲気はない。

 ただ、衣裳の下には、研ぎすまされた刃のような体と、ときに荒れくるう熱が隠されているだけで。


 冷たい風が吹きぬけたあと、義高は静かに体の向きを変えた。帰蝶から庭が見えにくくなる。


「体調はどうだ」

 問いに、大丈夫と答えようとして、一度首を傾げて。

「倒れたのは誰のせいですか」

 帰蝶はうめいた。

 義高は、小さく息を吐いた。


「有王にも、巴にも怒られた。真澄は笑うだけだったが、公暁も熱をだして寝こんだ」

「何の関係が?」

「俺が嫁御殿を抱いたという話を聞いていたらだな。あいつはその手に疎いから、混乱したらしい」

「そもそもなんでそんな話してるんですか、恥ずかしい! 誰なの、その人たち!?」


 叫ぶと、彼は首を傾ける。


「俺の…… 家来というのは好きでないな。だが何と呼ぶか…… 宇治から共に来た連中なのだが」

「ああ、わかりました。魔物退治などに一緒に出られている人たちでしょう。見かけたことはありますし、お見舞にもきてくれた」

「俺が行くつもりだったのに止められた。俺が行ったら、嫁御殿をまた抱くのだろうと。たしかにたがが外れない自信はなかった」

「そう考えていたことにもびっくりだけど、周りの人が考えたことにもびっくりだわ」

「この件についてはまったく信用がないらしい」

「いったい何を話せばそういうことになるのよ!?」


 ああ、と両手で自分の顔を押さえる。

 今度は内側から火照ほてっている。


「ほんとう、わたしの気持ちも知らずに、あんなに、あんなに……」

いやだったのか」

「当たり前でしょう! いくら夫婦だからって……」


 とはいえ。あの戒めから逃げなかったのは自分だ。

 絶対嫌、と叫んだ清姫とは違って。自分はこの青年を、想いあって結ばれたわけではない夫を、どう思っているのだろう。

 なぜ、一晩のあいだずっと、腕の中に囲われていたのだろう。


「義高殿は厭じゃないの?」

「厭? なにが」

「わたしと過ごすことが」

いとう理由があるのか?」


 そうじゃない、と首を振る。両手を胸の前で握りしめる。


「なぜ、わたしを抱けるの」


 問いかける。

 義高はかすかに目を見開いて。それから、帰蝶の顔を覗き込んできた。


「俺が帰蝶に惚れたから、というのは答えにならぬか」


 ひくい声。思わず、むせた。


「何を驚く」

「いや、だって、そんな、そんな」


 その先は、口がパクパクと動くだけだった。

 義高は、さらに身を寄せてきて、低く続ける。


「婚礼をあげてからずっと、嫁御殿のいろいろなところを見てきた。俺は素直に、おまえが美しいと思う。こうして話す姿も、舞台で舞う姿も、寝所でだけ見れる姿も――」

「おねがい! ちょっと黙って!」


 体中の熱がまだまだ上がる。北風も気にならないほどに。

 そっと顔を見た。

 義高の口元は緩んでいる。


「どうしたの」

「今は、そういう口も利くのかと驚いているだけだが」

「そんなのでニヤニヤするな!」


 ああ、と叫ぶ。

 それからもう一度、顔を見た。

 頬を緩めて、視線にやわらかいものを混ぜた、彼。


「……笑ってる?」

「そうだが」

「どうして」

「惚れなおした」

「勝手にして、もう……」


 本当に熱い。綿入りの襦袢の下は汗びっしょりだ。

 胸の前の両手を組み替えようとしたら、そこですっと取られた。


「この間は」

 右手を左手で、その逆はやはり逆の手で。しっかりと握りしめて、義高は言った。

「ぼろぼろだった」


 それは、一人で棚を動かしたから、その前に床をひっかいていたからだ、と横を向く。

 義高の声は続く。


「おまえを傷つけたいわけじゃない。俺自身が傷つけるなど以ての外だし、他の誰が傷つけるのも許せない。だから」


 視線だけ向ける。彼は真っすぐに帰蝶を見つめてくる。


「先日はすまなかった」

「ほんとうに、そう思っている?」

「今度は嫁御殿の意見を聞いてからにしようと思う」

「なによそれ。ほんとうに、勝手なんだから」


 呟くと、ぽたん、と雫が目の端から落ちた。

 左の袖で顔を拭く。ぐすっと鼻をならす。その間もずっと右手は義高に握られたままだ。


「呆れたりはしないの?」

「しない」

「自信たっぷりね。実はひどい女なのよ」

「嫁御殿は俺にとっては普通だが」

「そうなの?」

「先ほど挙げた連中は曲がった過去を持つ奴しかいない。宇治の里にも、古文書に載っていた農法を試したくて寺を逃げ出した元僧侶なんてのがいる。

 御所で穏やかに暮らしてきた嫁御殿は、至って普通だ」

「どういう普通なの、それ」


 笑う。ふっと息を零される。

 手を握りかえすと、彼は力をこめてきた。

 ただ、握るだけだ。

 伝えたいことはあるはずなのに、言葉がうかばないから、温もりをわけあっているだけ。

 目を閉じて、その熱が体中につたわっていくような感触を、逃すまいと思ったところで。



 悲鳴が聞こえた。



「魔物だ」


 え、と顔をあげる。ぐい、と引きよせられた。

 温かい腕と胸に包まれて、床に転がる。

 金切声をあげて、体のすぐ上を影がとおっていく。


 義高が膝立ちになる、その腕のなかで帰蝶も体を起こす。


「珍しいな」

「魔物が?」

「いや。御所の中ではいくらでも見かける。ただ、あんなに大きくて、人を襲ってくる奴は街中にしかいないと思っていたのだが」


 彼が見むく先を一緒に見て、息を呑んだ。

 庭の向こう。

 人が倒れている。駆け寄っていく人たちがいる。

 つん、と錆びた匂いが風に混ざる。血を流しているのだ、と思いいたったら、体が震えた。


「噛みつかれたのだろう。早く手当てしないと、命取りになりかねない」


 それと、と彼は視線を動かす。


「あの魔物もさっさと斬らなければなるまいな」

「どっちに行った?」


 帰蝶が問うと、義高は唇を曲げた。


「御台所の部屋に向かったな」

「うそ!」


 叫ぶ。


「彰子様は……?」

「分からぬ」


 ゆっくりと体が、温もりが離れていく。腰の太刀が、ガシャン、とその存在を主張する。

 義高は走りだした。

 濡れ縁を抜けて、角を曲がっていく。


 その先が、彰子のいる部屋だ。義長も、万寿もいる。


 帰蝶も、追いかけた。

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