嘘にかくした愛しさを

 ばしゃん、と顔に水がかけられた。

 目を開ける。


「起きろ!」


 呼び声と木桶が転がっていく音を聞いて、溜め息を吐こうとして、むせた。


「いい様だ」


 視線だけ上げる。

 そして、自分を見おろしてくる男たちがいることを知った。それも複数。


「どこだ、ここは」

「ボクの屋敷だ!」

 真正面に立った男が――頼信が胸を張る。

 だからそこは何処どこなんだ、と問う代わりに、見回した。


 木の壁の建物だ。さして広くないが柱と梁が太い。床にあたる部分にはわらが敷きつめられている。壁には馬具や農具。空気は獣の臭いをふくんでいた。

 薄い壁を風が叩く。

 動かせるのは頭だけだ。 両腕は、横に伸ばされて、普段は馬の柵として機能するのだろう梁に括られている。足にも重しが付けられている。ついでにいうと、着物は脱がされているらしい。

 頭から滴る水と乾いた空気が直接、肌を刺す。


「寒いな」

「当たり前だろう。なにも着ていないんだから」

「何故」

「ボクが脱がせたから!」


 頼信の、自信たっぷりの顔に、義高は溜め息を吐きだした。

 御所の渡り廊下でやり合っていたはずの相手と何故こんなところにいるのか。改めて考えるのもバカバカしい。


「数に頼まねば、戦いに出られない臆病者どもが」


 頭を無理やり巡らせば、衣裳はもとより、太刀も無いと見てとれた。

 一方で、頼信はちゃんと、烏帽子も被っているし、狩衣の上に、女のような打掛を何枚も重ねて着こんでいる。


「形勢逆転だ」

「どういうことだ、この変態め」

「おまえに言われたくないぞ。先にボクを辱めたのはおまえなんだ! 忘れてないだろうな、宴の席で、このボクを生まれたままの姿にしたことを」

「今の今まで忘れていた――いや、語弊があるぞ。おまえは自分で脱いでいたんだろう?」

「違う! 最後の一枚を奪いとったじゃないか、このえっち!」


 首を振ると、髪が揺れた。

 触って確かめることはできないが、烏帽子は奪い取られ、髪は結い目から切られているようだった。とことんまで辱めるつもりらしい。

 同時に、腰が地面についているだけ楽だなと思って、笑った。


「余裕じゃないか、田舎者。どうして笑ったんだ?」

「俺が重くて天井につりあげられなかったんだろうな、と想像した」

「……なんだよ、つりあげられたかったの?」

「そのほうがより相手を痛めつけられるぞ」

「自分でそれ言っちゃう?」


 頼信がよろめいて、横にいた男がそれを支える。


「べ、ベつにボクは、おまえにも同じくらい恥ずかしいにあってくれればいいだけで、痛めつけたいわけじゃないんだからね!」

「どうだか」

「ほら! その証拠に、おまえの服も太刀もちゃんととってある!」


 ビシッと指差す先には確かに、くるくると丸められた松葉色の布がある。

 破れてないといいきれるのか、とまた溜め息をついた。


「それならば、俺を裸にしたところで充分だろう? さっさと縄を解け」

「い、いやだよー…… だって、解放したら、殴ってくるんだろ?」

「当たり前だ」

「一発だけで済む?」

「二、三発は殴らせろ」

「じゃあ、ダメだ!」


 甲高い声。

 耳を塞ぎたいとまた手首を動かしたら、梁が揺れて、頼信がもっと叫ぶ。


「ボ、ボボボ、ボクは怪我させたいわけじゃないんだよ! 血は見たくないんだよ!」


 両手で自らを抱き込んで身をよじらせる頼信は、ひょえっと叫んで、藁の中へと倒れこんで行った。

 若様、と周りの男たちがかけよる。

 助け起こされながら、彼は指先を向けてきた。


「いいな、宇治義高! 自分で帰れよ!」

「……この状況でよくそれを言えるな」

「お、おまえらもいいな! ボ、ボクが部屋に戻ってから縄を解くんだぞ!」

「無理ですよ、若様。そんなことしたらオレたちが殴られるじゃないですか」

「えええええ…… じゃあ、誰が縄を解くんだよ。早くしないと父上が帰ってきちゃうじゃないか! その前になんとかするんだよ!」


 ブルブル震え、頭を抱える姿に、まだまだ溜め息が湧いてきた。耳の奥では、昨夜の会話が蘇る。


――みんな自分のことしか考えていないんだもの。

「まったく、そのとおりだな」


 苦笑いでもって答えて、義高は宙を仰いだ。


「ああ、もう! 早くボクを部屋に帰せ! 腰が抜けて歩けない!」

 きーっと、また頼信が叫ぶ。

 その袖を別の男が引いた。

「若様、若様。その……」

 と、後ろを、建物の外を指さす。


 つられて視線を送れば、夕暮れを背負い、肩をいからせて歩いてくる影に気が付いた。

 ヒイィと頼信の喉が鳴る。

「ち、ちちちちち、父上ええええええ!」


 墨色に近い直垂、そして硬そうな烏帽子を身につけた男は、つかつかと寄ってきて。両手を頬に当てた息子を殴った。


「この大馬鹿者が!」


 アーッと叫んで、頼信がまた藁の中に沈んだ。その場の男たちがわっと駆け寄って、一塊になって震えてだす。


 それを冷ややかな目で見おろして。

「御所で騒ぎを起こすなど」

 金馬重信は呻き、それから義高へ向いてきた。


 眉を寄せて、見上げる。だからまず、目があった。


「とんだ迷惑をかけた、か……」

 言った彼の視線は、義高の体へと動いていく。くるりと一周して、ぐいっと見開いた。

 そこからピタリと動かなくなる。


「ど、どどどどどど、どうしましたか、父上ぇ…… え?」


 じっと踏み止まる男に、隅で固まっていた頼信が声をかける。だが、それでもピクリともしない。

 やがて、ポツリと。

「何故」

 と呟かれた。


「頼信の呆れた所業のせいというのがしゃくさわるが、思わぬことを知った」


 重信は壁によると、そこにあった鞭の一つを手にとった。すぐに踵をかえして、つかつかと歩み寄ってくる。


 義高は、目を細めた相手を、じっと見上げた。

 ギリギリと、心臓が、胃が締め上げられていく感触。

 なんだ、と唇を噛む。


「何故だ。何故、『義』の字が無い」


 唸った重信は、鞭の先で、グイと義高の右わき腹を指してきた。

 青あざも切り傷もない、寒さに縮こまっただけのそこを、力任せに押し込まれる。つい、呻いた。


「本当に御落胤なら、ここに『義』の字があるのではないのか?」


 ぐりぐりと抉られる。痛みのままに顔を歪めて、睨む。視線が噛みあう。


「義平公は、生まれた赤子の腹に義の字を刻んだ。御手ずから」

「……有名な話だったのか、それは」


 ニイと口の端を無理やり上げた。


「三寅殿は、皆に刻まれていると思っておらぬようだった。公方様はさすがに皆にあった、とおっしゃっていたが」

「そうだ。私は、義長様に伺った。乳兄弟であり、近習である私を信用なさってな」


 ふん、と鼻をならし、重信は胸を張る。冷やかに見下ろしてくる。


「もう一度言おう。義平公は、ご自分の子すべて、腹に義の字を刻んでいった。逆に言えば、それがないおまえは、本当に義平公の息子なのか?」


「じゃ、じゃじゃじゃじゃじゃ、じゃあ、もしかして」

 頼信が、周囲の男がひいっと声を上げる。

 重信は口の端をあげた。


「御落胤を騙る、不届き者か」


 ひゅっと鞭が飛んできて、頬をうたれた。口の中に血の味がひろがる。


「本物のご落胤はどうしている」

「さて?」


 首をかしげると、間髪入れず、腿を踏まれた。膝を蹴られる。背へも脇腹へも、鞭が飛んでくる。

 呻きながら、それでも笑みを浮かべてみせた。


「落胤だと名乗った覚えはない。だが、名は確かに宇治義高だ。義平公はそうお認めくださった――十一年前、元服の時に。

 それを知らぬとは、義平公まったく信用されていなかったと見える」


 重信のこめかみが引きつる。あおるよう、さらに笑う。

「そのような者に、義平公の血をひいた子のことを、告げられるはずがないだろう?」

 案の定、また鞭が飛んできた。


「そもそも気に入らなかったのだ」

 ギイイ、と重信の奥が妙な音を立てる。

「急に召し上げられたと思ったら、あっという間に義長様に取り入って――近習に、傍仕えに迎えたいなどとおっしゃられる始末。

 愚かしいとはいえ、実の息子を後釜にと思っていたのに、目論見もくろみが外れた。だが、偽物とあっては、義長様も考えを改められるだろう」


 そう言って、彼はさらに鞭を振った。

 口の中が血でいっぱいになって、それを吐き出す。

 建物の隅では頼信が、コテン、と倒れ動かなくなった。他の男たちも次々に引っ繰り返る。


 他の動く気配がいなくなってようやく、肩で息をした重信は手を止めた。義高も息を吐きだす。

「俺を殺す気か」

 頭の芯まで痛い。それでも顔をあげて、睨む。

 ふう、と重信も息を吐きだす。


「そうだな。おまえは、詫びの一つに首を差し出せばいい。だが、死ぬ前に本物のことは話してもらわねば困るな」


 ビシ、ビシ、と鞭を自らの手で打ち鳴らして、重信は首を振った。


「何か失えば、喋る気になるか? 例えば、目など――」

「――ああ。さすがに耐えられそうにないな」


 零すと、重信は静かに頷いた。

 鞭が振り下ろされる。

 ぐしゃ、と自分の体が厭な音を立てる。叫んだ。

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