斬っても消えぬ悩みごと
刃が黒い影を斬りさく。
真二つに割れたそれは、ザラザラと風に吹かれて、消えていく。
馬の腹を蹴って走らせる先では、また別の影が一太刀のもとに斬りふせられたところだった。
その後ろからも影がせまる。
「
視線の先で、馬が高くいなないて、
返事もそこそこに向きを変えて、別の男に声をかけた。
「
その後ろにいる男の名も叫ぶ。
「
「はいはい」
笑い声とともに、ひょう、と矢が軽やかに鳴って、
それらもまた
カポ、カポ、と後ろに騎馬がついた。
馬から降りることなく振りかえると、同じく騎乗している少年が笑いかけてきた。
「終わったよ」
「そうだな」
「
「おまえにはいつも一番いい肉を食わせてやっているだろ、
「えー、ないのー?」
ぶう、と頬をふくらませた少年から目をそらして、
鎧のしたの着物もびっしょり濡れている。
長すぎる夏が去ったあととはいえ、通りをぬける風はいやな臭いを含んでいて、鼻に
「今日は数多くなくて、助かったね」
女武者がいう。巴、と名を呼ぶと兜のうちから艶やかに笑いかけられる。
「戻るかい?」
「待て。その前に……」
と、義高は馬から飛び降りた。
先ほど矢が刺さった築地塀に背中を預けて、うずくまる影がいる。
「止めとけよ」
別の馬の、弓を担いだ男が首を振る。
「もう死んでおります」
薙刀を携えた、僧兵も言葉を継ぐ。
「ああ」
うなずきながら、義高は影の前に膝をついた。
きちんと服を身に付けていただろうに、意図的に引きはがされたあとのようで、腰をおおう下着しかつけていない。
ウジ虫に食いちらかされた顔からは、年のころは分からない。
ただ、ポッコリと浮きでた下腹が、この人が飢えて亡くなったのだと主張していた。
「魔物に飢饉、
と、その前で両手を合わせる。
「人間は目の前のことにしか対処できぬらしい」
それは、と言いかけた僧兵の言葉を、片手を振ってさえぎる。
「俺も同じさ、公暁」
「振りまわされているって認めちゃうのかい?」
くくく、と弓遣いが笑うので、頬をゆるめる。
「真澄だって分かっているだろうに」
「ご落胤は大変だねえ。いきなり次の将軍候補になっちゃいそうになってさ。まあ、頑張って」
笑い声の中、ひらり、馬上の人に戻ると。
「戻るぞ」
言うとまた、応との声が続いてくれる。五騎は都の大路を走りだした。
都の北東。
五騎が裏の門に着くと、中から人が飛び出してきた。
「
呼ばれ、騎乗のまま、うなずく。
「ただ今戻りました」
「
「……さすがに武装のまま、奥へと伺うのはしのびない。着がえてから参るゆえ今しばらくお待ちを、と伝えてくれ」
うなずいた男は、勢いよく走っていく。その背中を見おくってから、五人は顔を見あわせた。
「御台所――将軍様の奥方からお呼び出しだってさ」
「殿、また何かしでかされたのか」
「何もしていない」
「……君の『何もしてない』は信用ならないんだよ!」
「まったくだね! また目上の武将に道を譲らなかったとか、娘っ子に話しかけられたのに無視したとかそんなんだろ!? さっさと怒られてこい!」
馬は
片付けを公暁と真澄に押しつけ、義高は有王をともなって、御所の南の一角へと歩きだした。
義高は松葉色の直垂に折烏帽子。有王は角髪結いに空色の水干姿だ。
「直垂は武家の服だっていうけどさ。
君が着るのも
ニコニコと有王は笑う。
背が低い彼の頭のてっぺんは、義高の目のあたりにある。だから、しゃべる時は自然、顎を引くかたち――見おろすようになる。
柔らかい線を持った瞳が、見つめかえしてくる。
「宇治の田舎から出てきたばっかりの時は、これぞ馬子にも衣裳って感じだったけれど。うん、慣れれば本当かっこいいねえ」
「黙れ、童顔」
「うっさい、老け顔」
その有王の早口も、目的の建物にたどりつくころには、動かなくなった。
唾を飲みこむ。眉のあいだに力がこもる。
陽のあたる、ひろい部屋。その奥、一段高いところにゆったりと腰をおろした女が、笑いかけてくる。
「ごきげんよう、義高殿」
「お呼びとあり参上致しました」
濡れ縁から部屋に踏みいることなく、その場に座って、頭を下げる。
「洛中は何事もなかったですか?」
「魔物がおりましたが、斬りすててまいりました」
「それはそれは」
ほほ、と女はまた笑った。
左
扇を持つ手にはシミひとつない。頬にも首元にも皺はない。
その髪は真っすぐに
後ろに、やはり刺繍の鮮やかな小袖を纏った娘を三人、従えていた。
花の御所の女主人。今代の公方の妻、
「今日もそちらの童は一緒なのですね」
ちらりと有王に視線を向けてから。
「どうですか、
彼女はするりと、自身の養女であり、義高の妻である娘の名を口にした。
二度、息を吸ってから。
「おかげさまで」
と言ったのに。
「嘘おっしゃい」
ぴしゃりと返されて、義高は頰を引きつらせた。
彰子は口元こそ穏やかだが、目は鋭い。
「夫婦となって
「それは」
口の中が乾く。
「妾もね、鬼ではない。
育てた娘たちみな、それぞれに幸せになってほしいと願っているのですよ」
彰子の口元にあわい笑みがうかぶ。
「そなたが帰蝶を
「もちろん」
そう答えるしかない。
ななめうしろで有王が肩をすくめる気配がした。
それにかまわずに、彰子の赤い唇がまた動く。
「あの子の舞を見たら、また気持ちが変わるでしょう」
「……舞、ですか?」
首を傾げると、苦笑された。
「あの子は、妾の育てた子たちの中でも頭一つ抜きんでて
「はあ」
瞬く。彰子は笑顔のままだ。
「今度、公方様が名月の宴を開かれます。その場でね。帰蝶が舞を披露することになっているのですよ」
「左様でございますか」
「公方様が舞を所望されたと聞いた途端、皆が声をそろえて彼女を
ゆったりとした笑みに、逆に背筋が伸びていく。
「もちろん、義高殿もお出でになるでしょう?」
「喜んで」
そのあとは、他愛無くもない世間話を、ひととおり交わして。
二人で元の道を戻る最中。
「言われちゃった」
「仕方ないだろう」
有王がにゅっと唇の端をあげ、義高は目を細めた。
初めての夜、確かに抱いた。女にした証を見た。
だが、それっきりだ。
「俺は思いっきり噛みつかれたんだぞ?」
「はいはい、ご愁傷様」
有王は腹を抱えて笑っている。
「痛かった? ねえ、痛かった?」
「当たり前だろう」
「だよねえ。でも、噛みつかれるようなことしたんでしょ。ちゃんと愛の言葉はささやいてあげた? ぎゅって抱きしめてあげた?」
「そんなもの知らん」
「だからだよー! いくらなんでも、ねえ?」
笑い声が急におさまったので、ふりかえると、大きな目がすこし潤んでいた。
「義高様はいつも、家族を世情にふりまわされる」
それは、と首を振った。
「おまえもだろう」
真紅に抱かれて死んでいった家族の顔が思い出される。
「……だって、せつないじゃん。やっぱり」
「そこまで言うなら、仲良くなる努力をしよう」
笑みを浮かべて頭を
「子どもあつかいするな、老け顔」
「そう言う童顔は可愛がりたくなるんだ」
「うそつけ!」
ベーっと舌をのぞかせて、有王は走っていく。
首の後ろをかいてから、義高はその後を追った。
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