夢をうたうもこの世のみ

「帰蝶様ー!」


 庭から呼びかけられて、縫い物の手を止める。


「帰ってきた! 帰ってきたよ!」


 庭で遊んでいた里の子ども達が、キラキラした瞳で叫ぶ。指さす先は、南からの道。そこを駆けてくる騎馬。

 立ち上がる。


――五騎! みんないる!


 子ども達に続いて、帰蝶も庭からかけだした。



 宇治の里。おかえりなさい、とあちらこちらの戸口から、人が顔を出す。



 屋敷の前へも、千坂が立った。

 そして、先頭を駆けてきた一頭から、小柄な武者が飛び下りる。巴だ。

 彼女は、吹返が小さめな兜をぞんざいに脱いで、それを千坂に押しつけた。

 ズカズカと屋敷に上がり。

「慈海! いる!?」

 大声で呼ぶ。


「また殿が怪我をしたよ!」


 遅れてきた四頭。

 見上げれば、有王がしかめっ面で、首を振る。


 帰蝶はきっと目をつり上げた。

 視線の先では、義高が、右手で手綱を繰り、左手では右肩を押さえている。


「何故、怪我をしているの?」

 つい、その言葉が先に出た。

「……奥方。まずは手当からでどうだろうか」

 そろりと公暁が口を挟んでくる。


 だから、ぎゅっと両手を握りしめて、頷いた。

 中から出てきた僧形の男に連れられて、奥へと向かっていく背中を見つめて。

「どうして」

 呟くと。


「競はなんでも助けようとするんだもん」


 有王の溜め息が聞こえた。

 彼もまた、鞍から下りて、兜を脱ぐ。


「本来の目的はすぐに済んだんだよ。何もなく、むしろ巧く行き過ぎて気持ち悪いくらいにね。

 帰りに魔物が出る村が、なんて話を聞いちゃってさぁ……」

「その先は言わんでいい、想像ついた。だが、止めるべきだったな」

「話して止められるなら、は今ここにいないけど?」

「……そうね」


 みなで顔を見合わせて、溜め息を吐く。

 ちらり、と門の中を見ると、柱の影で猫背で細身の男が、ひいっと声をあげた。


「なんでアレまで拾っちゃうんだ」

「都に帰るに帰れないのを見かねたと言っていたが…… ただのお人好しだな」


 千坂が乾いた笑いをたて、有王が肩を怒らせる横で、真澄が宙をあおぐ。


「まあ、俺の失態でもあるんで、殿を怒ってくれるなよ。

 アレは一発で射殺しときゃ良かったし。今回も、右側が見えないんだから、俺でかばってやらなきゃならなかったんだしな……」


 そうか、と頷くと、やっと千坂と真澄は笑みを浮かべた。

 有王もにこやかな顔になる。


「おかえりを言ってあげてくれる?」



 慈海が大事ないと教えてくれた。泥水と血で汚れた着物は、登喜が抱えて行く。

 部屋をのぞけば、薬草の香りが鼻をつく。

 義高は手当のために小袖を脱いだのだろう。そのまま、床にドカリと座り込んでいた。


「……おかえりなさい」

「ただいま」


 残された左目が、帰蝶を映して、柔らかく細められる。


「無事、吉野から帰った」


 頷く。良かった、と呟く。


「義長様と彰子様はお元気だった?」

「変わりない。おまえへの文も預かってきた」


 ガシャガシャに積まれていた鎧兜の隙間から、薄色の巻物が取り出され、渡される。

 夫のすぐ隣に腰を下ろして、それを広げた。


 まず連ねられたのは、近況を訊ね、伝える文言。

 二人は結局、夫婦として、吉野に隠遁するつもりらしい。


――おまえは、夫である人と一つのいさかいもなく過ごせているのでしょうか?


 そこまで読んで、ふっと笑い、夫を向く。

 目が丸くなる。


「なんで裸なの!?」

「寒くない」

「そういうことじゃない!」


 帰蝶を抱いて、温めてくれる体は、まだ晒されていた。

 肩や腕には、包帯が巻かれ、その隙間からは傷痕が見える。無駄を削ぎ落として、引き締められた胸と腹の形も。


「服を着て、お願いだから!」

「だから、俺は寒くない」

「あなたの問題じゃないのよ!」


 体中がほてる。何も言えないと、顔を背けたのだけど。義高は鼻を鳴らして、帰蝶の肩に手をかけてきた。


 叫ぶ間もなく、倒される。

 すかさず覆いかぶさってきた夫は、ほんのり笑っていた。

 何も言えない。ただ、頰が熱くなる。


 唇が近づいてきて、そして。


「義高様ー!」


 庭から子ども達の声が飛んできた。


「こっち来てー!」

「はやく、はやくー!」


 もう少しだったのに、と帰蝶は目を閉じて、溜め息を吐いた。義高の溜め息も聞こえる。

 衣擦れの音。

 上下の衣裳を着こんでから、彼は外へ出て行った。

 頭をふって、後を追う。


 庭の端、イロハモミジの林へと続くあたり。

 子ども達が固まって、地面を覗きこんでいる。

 義高が傍に寄るのを待ちきれない彼らは、口々に叫んで手を振ってくる。


「雪の下に何かある!」

「何かってなんだ。人か? 獣か?」

「違う違う! 多分、野菜!」

「ほら、見てみて!」


 義高が雪の上に膝をつく。その後ろから帰蝶ものぞく。

 湿り気の多い雪を掻いてけた後に、瑞々しい芽が見えた。

 ああ、と義高は顎をすった。


「ふきのとうだな」

「食べれる?」

「食べられるとも。俺は揚げ物が好きだ」

「一個じゃ足りないよ!?」

「みんなで食べられない!」

「……じゃあ、足りるだけ探してくるんだな」


 わっと声をあげて、子ども達が庭から散っていく。


「遠くに行きすぎるなよ!」


 義高が叫ぶ。

 それが聞こえたらしく、屋敷から出てきた大人たちが、有王や巴が、笑いながら追っていく。

 雪の上に足跡がおどる。

 また一つ息を吐いて、義高は振り向いてきた。


「俺も行くが、帰蝶はどうする」

「どうしよう」


 こんなこと、したことがない。その迷いは、義高に隠せないらしい。

 ふっと口元が綻ぶ。


「教えてやろう」


 手をとられ、引かれた。

 その掌も。日の光も。

 あたたかい。


 つい、笑い声をたてた。すると、振りむかれ、笑いかえされる。

 だから、もっと笑った。




(了)

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血汐燃ゆるは現世のみ 秋保千代子 @chiyoko_aki

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