赦しをもとめさまよいて
「何故、抜いた!」
目が合うなり叫ばれた。
だから義高は、申し訳ございません、と床に手をついた。
魔物に襲われた、御所のなかでも南に位置する、大きな建物。女主人の彰子が居所として使っているそこは今、御所中から人が集まっているような様相で。
部屋の奥では、まっさおな顔の義長が、息子の万寿を抱きしめて、泣いている。四十を超えた男が身をくねらせて、よよ、と顔を袖でぬぐっているのだ。
騒ぎを聞きつけたからやってきたのだろう近習の重信が、隣に座って、ゆっくりと彼の背をさすっていた。
「ご安心ください。とりあえず、今出た魔物は滅されております」
「そうか、そうか」
「次が現れぬよう祈るのみです」
「そう…… 祈りじゃ。祈るんじゃ。赦しが必要じゃ」
義長が宙を見上げる。
「ずっと、酒と舞を捧げてハレの気で充たしてきたから、この御所は無事でいられたのだ。なのに今日は、刃などと無粋なものを見せてしまった。詫びが必要じゃ」
しばらくさまよった視線は、急に力をとりもどし、義高に向けられてくる。
「のう。ここは街中と違うぞ、
「それ以上はおやめください、公方様」
彰子が横から口を挟む。
「義高殿の行動は当然でございましょう…… 魔物がいて、公方様や万寿の身に危険が迫っていたのに、何もしないということのほうがおかしい」
彰子は言外に、壁際で怯えていた侍女たちや部屋から逃げ出した護衛を責めている。
悟ってしまった侍女たちは、一様に顔を伏せて、床に手をついている。
濡れ縁と部屋の境目で、義高も同じように、頭を下げる。だが、理由は侍女たちのそれとは違う。
――魔物を
唇を噛む。打ちつけた背中と殴られた腹が軋む。
「それに…… 済んだことはどうしようもありません」
「そうだな。ならばやはり、詫びを乞うことを考えようか」
そう言って、義長は笑った。
目を閉じ、口元はほころばせて、扇で今様の拍子を刻みはじめる。
そろりそろり、並んでいた侍女たちが動きだした。
義高も、彰子が目配せをしてきたのに頷いて、部屋を出る。
一人で歩いてきたかと思ったのだが。
「やーい、怒られた」
背後からの声に振りかえった。
「こ、これでボクが一歩
金馬頼信だ。
「何の争いで?」
「それはもちろん、次の近習の座だ! 父上が引退なさった跡に誰が入るか――下馬評はおまえ、宇治義高だけどな! 本命はボクなんだぞ、わかったか!」
見た目はおなじ年頃だが、喋る声の調子は正反対だ。ひくく起伏がとぼしい声の義高と、かんだかく弾むような声の頼信とは。
そのなかで猫背をなおすこともなく、頼信は義高の肩に腕をまわしてきた。
「公方様のお考えを知らぬから、御前で太刀を抜くなんてヘマをするのだ」
「魔物がいたのだ」
「ほんとうはそこで、ピシっと舞のひとつでも披露すれば良かったんだよ。鎮めの舞でござる~」
扇を持ったかのような手つきで、頼信は右手でくるりと円を描いた。
冷えた顔で見やる。ひいっと相手は肩を縮めた。
「ま、ままままま、まあね! ひなびた田舎者には無理な要求だね!」
えへん、と胸を反らし。頼信は続けた。
「おしつけはよくない、おしつけは。うん。やっぱり縁談もなかったことにしてもらおう」
「何故その話になるんだ」
自分の視線がどん底まで冷えたような気がする。
だというのに、頼信は上機嫌に笑っている。
「おまえはもう済んでしまったからな、諦めてるんだろう? でも、今からでもいいんだぞ。気に入らないものは手放せばいい。好いてもいない女など捨ててしまえ」
「好いていない、ということはない」
「強がるなよー。そっちの婚礼だって、双方渋々だったって聞いているぞ。姫君のほうは、好かぬ男と過ごす日を嘆いているという噂だな」
「噂は噂だ、おまえは俺の話を聞け」
「そんなにさみしいなら、ボクが可愛がってあげるのに」
足が止まる。腹の奥がかっと燃えた。熱が体中をかけめぐって、顔がこわばり、拳を握りしめる。
頼信はとぼとぼと、義高をおいて、歩いていく。
「縁談の相手って子をさ、ちらっと見たことあるけどさぁ。ボク、ぺったんこのお胸は嫌いなんだよねえ。おっきすぎるのもいやだけど。そういう意味でもほんと、あのコの方がいいんだよねえ」
ブツブツと呟きつづける頼信はもう、こちらを気にしていないらしい。
その背中が見えなくなるまで立ちつくしてもなお、拳が震えている。
またひとつ、くろい影が視界を横ぎっていった。今度は小さい。誰も気にするようなものではない。
むしろ魔物よりも、人間のほうが恐ろしい。自らのことしか認めない人間のほうが。
気を抜くと壁でもなんでも殴りつけそうになる両手を、がん、と打ちつけて。それから襟元を片手でぐしゃと握った。
懐の奥に硬い感触。腰に佩いた太刀とは別に持っている、身を護るための懐剣だ。
「帰蝶にも、刃がいる」
と、義高は溜め息を吐きだした。
頼信の声をふりはらうべく、頭を振って。もう一度息を吐く。背中が軋むのを堪えて、義高も御所の中を歩き始めた。
それから日が経って。
またしても義高を自室に呼びだした義長は、宴を開くのだと告げてきた。
「まもなく師走じゃ。今から用意するならその初めになろう」
上機嫌に扇を振っている。足元には書きかけの紙がばらばらと散らばっていた。
「朝廷の新嘗祭が終わる頃合いじゃ。実りを寿ぐことで、ハレの気が充ちる。魔物も減る。良いことずくしじゃ」
うん、と笑って、筆を振る義長に。
「宴をひらくことが」
と義高は呻いた。
「魔物を鎮めることにつながるとお考えですか」
「当然じゃ」
この上ない笑顔で、義長はうなずく。
「魔物というもの、とくに生霊死霊の
義高は肩を落とした。
ついぞ見慣れてしまった、都の大路の光景を思いだす。魔物が跋扈し、飢え死んだ骸が並ぶそこを。
「外の有様を、公方様はご存じであられますか?」
「知らぬよ。御所の外は恐ろしいところと聞く故な、出かけぬようにしておる」
うん、と義長は首をひねった。
「それに。知って何になる。知れば、吾も魔物になるかもしれぬでないか」
頭が痛いと、両手でこめかみを押しながら、歩く。
「知るわけないよね」
後ろを歩く有王も口を尖らせる。
「僕らが御所に来て半年。一度も外に出た様子はないでしょ? 外がどんなか。飢饉がどれだけ広がっていて、人がどれだけ魔物に怯えているのか。知るわけない!」
「民が魔物に怯えているのはわかっていらっしゃるんだろう。だから、魔物を祓おうとされている」
「ほんとうに?」
有王が眉をつりあげた。
「御所の中だけしか考えてなさそうじゃん」
「否定できん」
「それにさ。さっきの話、競は聞いたことあった?」
「どれだ」
「魔物を人間が呼ぶって話だよ。それが本当なら、武者が出張らせるまえに、飢饉や盗人なんかをどうにかすれば……」
と、そこで有王は口をつぐんだ。義高も背筋を伸ばす。
渡り廊下の正面から歩いてくる人たちがいたからだ。一人は直垂に折烏帽子の壮年。今一人は淡い緑の水干姿の少年だ。
脇に避けて頭をさげると、手前の男に、よい、と笑われた。
奥側の少年は、ペコリと頭をさげる。
「遠慮はいらぬ。儂とそちは公方様につかえる身であることは同じだ」
手前の男が鷹揚に笑う。
いつも鋭い眼光が、さらに研ぎあげられている。
「宇治殿はもう、公方様に会われてきたかな」
「はい」
「宴を開くという話は?」
「伺ってまいりました」
「何か申し上げられたか?」
「いいえ。特別には」
「さようか。ではやはり、儂が中止を申しあげるほか、なさそうだな」
肩をいからせて、先方へと政時は歩いていく。
三寅はその場に残っていた。
「一緒に行かれるのではないのですか?」
「いいえ。僕も公方様――義長兄上をお止めすることはできませんから」
ふんわりと笑みを浮かべて、三寅は首を振った。たかい位置でひとつに結わえた髪が揺れる。
「僕には分からないのです。魔物を祓うのには、何が大事なのか。
武は、人々を魔物から護るために広がってきました。だから、刃をもって魔物を屠ることは正しいはずだけど、過ぎた力は恐怖を生むんです。兄上はそれを恐れてらっしゃる」
三寅は言って、それから、義高を見あげてきた。
「
瞬いて、首を横に振る。怒るでもなく、三寅は言葉を継いだ。
「不思議な力で魔物を祓うことができる人たちです。でも、なかなか街にはいない。それどころか、その力のために、口には出せぬような扱いを受けていることも多いと聞きます」
だけど、と笑う。
「刃を振るうより、そんな力に頼った方が、世の中が広く安らぐというのなら、その方がいいと思いませんか」
何度も瞬いて、義高は三寅をみつめた。
まだ背が低くて、細い少年だ。だが、視線はしっかりと前を向いていて。
「俺には考えも及ばないことをおっしゃる」
そう口にすると、彼は顔をまっかにした。
「いいえ…… 僕なんか、まだまだですよ。兄上がたに――そう、義高兄上のように、魔物に立ち向かっていくなんて、そんな勇気は持っていない」
ぶんぶんと頭を振るので、髪がさらに弾む。義高は笑った。
「兄上と呼ばれるような男ではございませんよ」
「おなじ血を分けたはずなのに」
「たとえそうでも。俺は学もない田舎者ですので」
「御謙遜を」
くすくすと、口元を袖で隠して三寅は笑う。
「じゃあ、義高殿、と。お呼びしてよろしいですか」
「勿論」
「良かった――僕は義高殿ともっとお話がしてみたかったんです」
ふっと笑う。後ろにいた有王も吹き出す気配がした。
三寅と、有王との笑い声が小さく響く。
それに足音が混じる。
見向けば、政時が渋い顔で戻ってきていた。
「叔父上様」
「話にならぬ」
呻き声に、三人身を固くする。
「悠長なことをしている場合ではない。今も街には魔物が溢れ、誰かが斬ってすてている。ついにこの御所の中にも現れたというのは、人の住む所全てにケガレが広がったからというのに。
義平公が亡くなって十年。どうにか耐えてきましたが、限界だな」
義高は首をひねる。三寅は涙目だ。だが、政時本人は、それを気にする様子もない。
かるく頷くだけだ。
「まいりましょう、三寅様」
「はい」
表情を引き締めた三寅は振りかえった一瞬だけ、笑みを浮かべた。
「義高殿、またお話ししましょう。今度は立ち話でなく、ゆっくりと」
うなずいて、見送る。
政時の肩はかたくとがっていた。
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