作戦会議
夕食はジンギスカンだった。夕方にまた八人で集まって、予約した個室でラムの混じった豚肉鍋をいただいた。羊はこのへんではほとんど飼われておらず、輸入が滞っているのだという。今日一日の経験をお互いにしゃべくりまくって、しゃべり尽くして、話題がいつもの夕食時と大して変わらなくなった頃、弥生ちゃんが突然立ち上がった。
「ごめんね、みんな。ちょっとだけ、一五分だけ相談したいことがあるの」
弥生ちゃんはテーブルを周りながら、手に持っていた紙を配りはじめる。みんなキツネにつままれたような表情をしている。みず稀と目があう。何コレ? と訴えている。紙を配られるときに弥生ちゃんとは目が合わなかった。
何コレ?
それは戦闘飛行訓練で使う方案にそっくりだった。想定されるジマーの規模、会敵予測地点、防空隊の陣容、二個小隊、おかしなことはそれだけじゃなかった。描かれた日本の地図はすごく小さかった。いつもの訓練での会敵地点は太平洋沖合か旭川や留萌のあたり。それが、ずっと沖合、たぶん200キロは離れた太平洋上にある。そしていつもの方案なら書いてるはずの方案番号が、ない。作成者の教官のサインもない。これは弥生ちゃんが作ったのだろうか。
「私の提案は、ジマーの海上基地を先制攻撃で殲滅することです」
弥生ちゃんの宣言のあとに沈黙は五秒くらいも続き、それを打ち破ったのが森永くんであったとしても、どれほど安心したことか。
「それはちょっと、突拍子もなさすぎるんじゃないか、村井さん。ジマーの海上基地が、この位置にあるっていうのは」
「一月以降、すでに三回、ジマーは帯広を空襲しようとして撃退された。どの方角から来たかの記録は残っている。三回とも同じ。真方位で一五三度。そうだったでしょ、アカネちゃん」
わたしはとまどいながらも頷く。あのときの記憶は鮮明だ。弥生ちゃんは続けた。
「アメリカでは、海上にも陸上にもジマーの基地が見つかって、おかげでフロッグは五時間くらいしか飛べないことがわかった。帯広を襲おうとしたフロッグはいずれも二〇分くらいで引き揚げている。ジマーの水上基地の場所は計算できるわ」
「仮に場所がわかったとして同じことじゃないかな。スワロウだってせいぜい飛べるのは五時間ってところだ。とても戦闘なんてできない」
省吾が冷静な口調で指摘した。弥生ちゃんの答はシンプルだった。
「空中給油すればいい」
「自衛隊機に空中給油装置なんてついてないよ、村井さん」
「スワロウは自衛隊機じゃないでしょ」
省吾は、しまった、というように息を呑んだ。
空中給油というは、戦闘機が遠くまで飛ぶために空中で別の空中空輸機に燃料を補給してもらうことだ。一度だけだけど、
「空中給油の訓練なんてやってねえよ。だいたい、今のおれたちがそんなだだっ広い海の真ん中まで行って帰ってこられるわけねえだろ」
「訓練はすればいいし、大人のパイロットに先導してもらえばいい」
「大人を混ぜたらヤバイって! それはアメリカの戦争で散々わかったじゃないか」
「手伝ってもらうのは途中まででいいの。水上基地を見つけたら、あとは私達でやる」
「地上目標の攻撃なんて、最近訓練はじめたばっかりだぜ。しかも、今やっているのはフロッグと同じでパルスカノンによる攻撃だろ? 水上基地って、ようはアレだろ、でっかいタンカーみたいのを沈めるんだろ? 本物の爆弾でも持ってこないとだめなんじゃねえの?」
「ミサイルを使えばいい」
「レーザーで墜とされるよ」
「そうじゃなくて、水中ミサイル? 遠くから撃ってもらって、私達はそれを誘導するだけ」
「それって魚雷のこと?」
「そう。朝香教官の大学のお友達が潜水艦の艦長なんだって」
弥生ちゃんの作戦に意見を言うのはもっぱら男子達だった。わたしもみず稀も呆然と見守るだけ。ただ、ゆーみんは大きな目をきらきらさせて、議論に聞き入っている。それがわたしには意外だった。
わたしにはわからなかった。弥生ちゃんはものすごく色々なことを調べて、聞いて、計画している。それでも、いくつも問題があるように思えた。空中給油機なんて日本のどこにあるのだろうか。ジマーの水上基地がみつかったときに、アメリカは核ミサイルだって使ったのだ。潜水艦による攻撃を考えなかったわけがない。でも、弥生ちゃんはそれすら調べたかもしれない。それにもし、ジマーの基地を破壊できれば、それは世界で最初の偉業になる。まだ訓練中のわたし達がそれを成し遂げる、というのは甘い誘いに思えた。いや、ひょっとしたら、これがきっかけでジマーを殲滅して、ジマーとの戦いが終わるかもしれない。そうすれば、世界はもとに戻る。完全に元通りにはならなくても、わたし達はまた学校に行けるようになる。
本当に?
「ねえ、弥生、あたしにはちょっと無理なんじゃないかなって思える」
そう、みず稀が発言したことで、わたしの意識は急に現実に引き戻されたようになった。
「そう思う理由を教えて、みず稀」
「あたし理屈っぽいの苦手だからさ、理由とかないんだけど、言ってみれば、今までのあたし達は大人のいうとおりに訓練して、言う通りにジマーと戦った。大人の言ったことっていうのは、ようするにヨーロッパやアメリカでうまくいった方法を持ってきたんでしょ。教科書から一歩も外れてない。だから上手くいったんだよ。ここでそんな、綱渡りみたいな作戦を立てて、それが上手くいくなんて思えない」
「それをみず稀がいうの? 大人の指示に逆らって、自分達の判断で最初にジマーを撃退したのはあなたたちじゃない? あれも大人の指示にしたがった訓練の一部だった、って言うつもり?」
一瞬、呼吸が止まった。自分の視線が泳ぐのがわかる。誰もわたしの方なんか見ていない。みず稀はこともなげに反論していた。
「いやいや、訓練されたとおり指示されたとおりでしょ? あたし達は、同数の相手を見つけて引き分けに持ち込もうとしたんだから。それよりさ、弥生、どうすんのコレ。
「うん。多数決で賛成が多かったら窪田司令に提案する」
「窪田司令がいいっていうかなぁ」
男子の中では、一番腰が引けているのが森永くんだ。
「武一も全然しゃべっていないよね」
と、みず稀が耳打ちする。「賛成多数にはならないんじゃない?」
「わたしは逆だと思う。弥生ちゃんは葛原くんに相談している」
弥生ちゃんは勉強家で理数が得意だけど、それでも兵器とかに詳しいわけじゃない。葛原くんが、たぶん大人の誰に相談したらいいかってことを教えてる。そして相談された大人達は、やる気になっている。久保田司令は、弥生ちゃんの提案を却下できるだろうか。
「その前に、アカネちゃんの意見をきかせてほしい」
身構えていたわたしは、それでも呼吸が止まった。なぜわたしなの? それを口にするには勇気も準備もなかった。でも、弥生ちゃんの質問に対する答えはあった。
「わたしは、その作戦はやるべきじゃない、と思う」
意外なことに、弥生ちゃんは得心したように大きく頷いた。
「わかった。理由をきかせてくれる?」
「みず稀は、ああ言ったけど、弥生ちゃんの作戦は今までのジマーとの戦いのルールや協定書に書いてあることとかからはずれていない。でも、今まで誰もやったことがない作戦だよね。だから怖いの。ジマーも、仕返しみたいにして、今までとは全然違う戦法をとったら? 例えば、わたし達ジュネスを直接攻撃してきたら?」
わたしに反論したのは弥生ちゃんではなかった。葛原くんは、これまで見たこともないような毅然とした態度で、こう言った。
「伝刀さんは間違っている。失敗するかもしれないからって、やってもみないというなら、ぼくらは永遠にジマーに勝てない」
わたしはそれに対する答えはなかった。でも、ひょっとしたら葛原くんならわかってくれるんじゃないか、そう考えてもいた。わたしが言いたかったことはこうだ。わたし達はジマーに勝たなくてもいいんじゃないか。
弥生ちゃんが、ふうっ、と大きな息をついて、「作戦書」を持っていた両手をおろした。
「わかった。作戦案は撤回するわ。窪田司令にも話さない」
「え、でも」
「多数決もとらないの? せっかくジマーをやっつけられるチャンスなのに?」
ゆーみんの声が、他のみんなの言葉を飲み込ませてしまったよう。弥生ちゃんがゆーみんのところに歩いていって、肩に手を置いた。
「ありがとうゆーみん。ジマーを倒したいのはみんな同じだよ。でも、今は準備が十分じゃなかった。アカネちゃんはそれを指摘してくれたの」
そして弥生ちゃんはわたしの視線を掴まえた。穏やかな表情で、優しい声だった。
「ありがとう」
わたしは何も答えられなかった。わたしは、その場限りのテキトーを言ったわけじゃない。でも、絶対の自信があったわけでもなく、ジマーを殲滅できるかもしれないというみんなの夢を打ち砕いたことだけが確かだった。
そろそろ帰ろうか。男子達が、鍋の端にわずかに残っていた野菜をかき集めてかきこんでいた。ほんの数分前の高揚が嘘のように、楽しかった休日の締めくくりという本来の段階に戻りつつあった。
「伝刀さん、ごめん」
帯広駅前のロータリーに向かって、みんなで歩く道すがら、葛原くんに謝られた。身体がぶつかったとか、そういう感じではなかったので、わたしは正直、戸惑った。
「え、何が?」
「武一、だめだめ、全然通じてないから。ちゃんと背景説明しないと」
みず稀が横から口を出すと、葛原くんは小さくため息をついて黙りこんでしまう。
わたしは弥生ちゃんだけじゃなく、葛原くんの努力も無にしてしまった。謝るのはわたしの方なのに。
落ち着いて考えてみれば、多数決をとるといいながら、わたしの意見だけで決めてしまうのはおかしなことだ。でも、それに異議をとなえたのはゆーみんだけだった。わたし自身ですら、それがおかしいと思えなくなっていた。ランデュレ博士が、目黒さんが、そしてどこにいるのかもわからないみどりちゃんが発してくれた警報に、このときのわたしはまだ気づいていないのだった。
伝刀茜さま
この手紙は目黒さんという人に託します。でも、目黒さんが本当に茜ちゃんのお父さんの友達なのか分からないので、あまり個人的なことを書かないようにします。
茜ちゃんからの手紙は、ずいぶんあちこちに回ってから私のところに届きました。この手紙を転送してくれたのは北村先生でした。聞いているかもしれませんが、六中のみんなは本当にばらばらになってしまいました。長野市の空襲で亡くなったクラスメイトの名前は、茜も知っているでしょうから、ここには書きません。
私も種田くんも元気です。でも、親戚の家からは出て行くことになりました。防壁の中に移り住むことになったのです。新しい住所が決まったら連絡します。でも、そのころには茜ちゃんはどこか別の都市にいるのでしょうね。
茜ちゃんと別れてから、私もいろいろなことを知りました。茜ちゃんと語り合いたいことは沢山あります。茜ちゃんは、選択を迫られるでしょう。そのときは、選択せずに逃げて欲しい。たぶん私もアカネちゃんもまだ準備ができていない。でも、茜ちゃんがどちらを選択するにせよ、私達はいつかまた必ず会えるはずです。
それまでお元気で。
碧
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