駐屯地

 校舎の前に白いライトバンが停まっていた。道路工事の人が使うような普通の車だったけど、見た瞬間に何か違和感があって、でもその理由はわからなかった。車の前にはスーツ姿の若い女の人が立っていた。きっちりお化粧したキャリアウーマンという外見だけど、背はそれほど高くなくて、かわいらしい感じだ。わたしたち三人の名前を確認してから、笑顔で頷いた。

「どうぞ、こちらにお乗りください」

 後のドアから乗ると、工事用っぽく見えたのは外見だけで、内装はタクシーみたいに立派だ。

「みんな、ごめんなさいね。がんばって」

 先生が小さく手を振り、ドアが外から閉められた。

「え」

 てっきり先生も一緒についてきてくれるものだと思っていたので、わたしはとまどった。女の人が前の席に乗り込み、車が走り出す。運転手さんは男の人で深緑色の制服を着ていた。

「川村先生からは何か聞いてる?」

 前の席から女の人が振り向いた。わたし達は三人並んで真ん中列の席に座っている。

「市役所にいくのだと思っていました」

 真ん中にいたみどりちゃんが冷たい口調で言った。わたしは金村さんと思わず目を見合わせた。女の人はすぐには答えなかった。みどりちゃんが続けた。

「本当は自衛隊の基地にいくんですね」

「そのとおりよ」

 自衛隊? わたしはあやうく叫びそうになった。先生は自衛隊なんて言わなかった。騙されたんだろうか。女だから徴兵されるなんてことはないだろうけど。いや、冗談じゃない。戦争中、沖縄では看護婦として女子学生が動員されて、集団自殺までしたのだ。

 でも、なんでわたしたちだけ? 

 みどりちゃんは黙って女の人をにらみつけている。金村さんは、不安そうにも、どこか面白がっているようにも見えた。わたしはがまんできなかった。

「わたし達は徴兵されるんですか?」

「いいえ。自衛隊は軍隊じゃないし、あなた達は自衛隊に入るために呼ばれたんじゃないわ」

「ここで降ろしてもらうことはできませんか」

 みどりちゃんが早口に言ったので、やっぱりみどりちゃんも嫌だと思っていると知ってほっとする。

「できれば一緒に来て、話だけでも聞いてもらえないかしら。私達もいろいろ大変でね。一時間もかからないから、来てもらえると本当に助かるわ」

「おねえさん、自衛隊の人?」

 金村さんの質問に、女の人は目を細めた。頭を振って少し低い声で、

「いいえ、私は自衛隊員じゃなくて防衛庁の技官です。篠原美佐です。自衛隊は入庁したときに二泊三日で訓練を受けたけど、本当にもう絶対二度とあんな経験はごめんだわ」

 運転手の制服の人が小さく笑った。

「なんでわたし達だけ三人が呼ばれたんですか。他の生徒も呼ばれているんですか」

「私からは詳しいことは答えられないの。でもすぐに……すぐってことはないか、じきにわかるわ。とにかく急がなくちゃいけなくて。ねえ、あなたが伝刀茜さんね?」

 篠原さんはわたしの顔をじっと見つめた。なんでわたしが? と思ったけど、素直に、はい、と頷く。篠原さんは、よし、と小さく呟いて、笑顔をうかべた。

「それで、こっちが北園さんと金村さんか。あ、ひょっとしてだけど、みんな九月に脳波の検診受けたでしょ? その時の結果って持ってる?」

「なんですか、それ?」

 金村さんが不機嫌な声を出した。みどりちゃんと私は生徒手帳に挟んでいたカードを出して篠原さんに渡した。それを見ていた金村さんは、「ああ、それ結局、受けなかったんだよね」とうそぶいたけど、少し不安そうに見えた。

 いやどうせカードをなくしたんだ、心の中で思ったけど、そういえば、確かに全員は受けなかったかもしれない。なし崩し的になくなったような気がする。

「だいじょうぶよ。どうせまた何度も測ることになるから」

 篠原さんはカードに書いてある数字の意味がわかるのだろうか。わたし達のカードを見て、何度か頷いていたが、「よかったよ、あなたたちが無事で」と言ってうれしそうな笑顔を見せた。

 篠原さんは気さくな感じの人だった。六月までは赤坂の防衛庁に勤める「花のOL」だったけど、その後は日本中の自衛隊の駐屯地や基地を飛び回っているという。自衛隊も大変なことになっているらしい。みどりちゃんは、篠原さんに話かけられても最小限の受け答えしかしなかったが、金村さんはずいぶん気安く話していた。わたしは二人の中間くらい。金村さんが、わたしだったら気兼ねするようなことを平気で訊く。

「でも、自衛隊はジマーに全然歯が立たないじゃない」

「そうなのよねえ。なにしろミサイル撃っても当たらないし、当たってもほとんど効果がないんだもん。もっとも自衛隊だけじゃなくて、アメリカ軍もソ連軍も現有の索敵能力じゃ太刀打ちできないってことは、七月頃にはもう判っていたから」

「核ミサイル撃っちゃえば?」

「……あんまり気安くそういうこと言わない方がいいと思うな。もっともジマーの基地とかがわかれば、アメリカもソ連もとっくに核でも何でも使ってるでしょうけど」

「どこからジマーが来るのかわからないないんですか?」

「東京のときと、名古屋のときじゃ、来た方向が違っていたみたい。日本海に空母みたいなのが浮いているって話もあるけど……」

 篠原さんは、はっとした表情をして口を閉ざした。たぶん話しちゃいけないことだったのだろう。

 それまで黙っていたみどりちゃんが冷たい口調で訊いた。

「ヨーロッパの方では、同じ都市(コミューン)が何度も空襲を受けて、周囲に人が住めなくなってるそうですね。ジマーから人間の住む場所を守る方法はないってことですか」

「いいえ。八月からドイツでは何度も都市(コミューン)の防衛に成功しているわ」

 篠原さんははっきりと答えた。そういえば、七月にはジマーの空襲を防ぐ手立てが見つかったというニュースがあった。ところが、そのあとは何も聞こえてこなかったので、デマだったのかなと思っていた。

「それは情報統制がうまくいっていた証拠ね。ヨーロッパの方でもジュネスのことを公にしたのは今月に入ってから。ちゃんと準備もできていない、実績もない制度をいきなり導入するって言ったら、国民は猛反発するか、逆に大きすぎる期待をしちゃうでしょ」

 なるほど、お父さんが似たようなことを言っていたような気がする。

「『ジュネス』ってなんですか」

 みどりちゃんがまた質問した。わたしは、なんとなく違和感がないまま聞き逃していた。

「ジマーから人間を守るための仕組み。あなたたちは、その仕組みを作るのに協力してもらいたいの」

 自動車のスピードが急に遅くなった。理由はすぐにわかった。路肩に何台も車が並んでいる。スピーカーを通した割れ鐘みたいな声も聞こえるけど、何を言っているのか全くわからない。運転席の間から前を見ると、片側車線を塞ぐようにしてデモ隊の人達が並んでいるのが見えた。プラカードには、「自衛隊は出て行け」とか「軍閥化を許すな」などと書いてある。「徴兵制を許すな」と赤く書かれたプラカードは何枚もあった。その向こうに自衛隊の基地の門が見えた。

「あ、見えないように頭下げてくれるかな。面倒なことになると困るから」

 わたし達はおとなしく篠原さんに従った。もし、ここで車の窓を開けて、「助けてください」って叫んだら、あのデモ隊の人達はきっと車を取り囲んでわたしたちを守ってくれるだろう。でも、みどりちゃんはわたしと目を合わせて小さく頷いた。やがて篠原さんが振り向いた。

「もう大丈夫」

 車はまた速度を落とした。デモ隊のいた門とは別の門から、自衛隊の駐屯地に入ってゆくところだった。窓から見える駐屯地の様子は、きちっと整頓されているのに、なにもかもが古臭い感じがした。

 わたし達は古そうな白い立派な建物の前で車をおりた。紺色の制服の三十才くらいの男の人と、緑色の制服の二十才くらいの女の人が並んで立っていて、わたしたちが車からおりると、隙のない挙措で敬礼してくれた。わたしはどうしていいかわからず、こくり、と頭をさげた。金村さんは、はーい、とでもいうように手を挙げて敬礼のまねごとをし、みどりちゃんはなにもしなかった。

「これから三人には簡単な検査を受けてもらいます」

 玄関を入ったすぐ隣の応接間のような部屋で、わたしたちは篠原さんの説明を聞いた。制服の二人よりは、篠原さんのほうが立場が上のような感じだった。

「その後で、みなさんにご協力していただく内容をひとりずつ説明します」 

「その前にわたしたち三人だけでちょっと相談させてください」

 篠原さんを遮るようにみどりちゃんが言うと、篠原さんは軽く目を見張って、それからとなりの二人の方を見た。男の人が小さく頷き、篠原さんがぎこちない笑みをうかべた。

「いいわよ。私達は外で待っているから終わったら出て来てちょうだい」

 三人の大人が出て行くとみどりちゃんはソファを立って窓際に移動した。

「え、ここから逃げるの?」

 わたしが追いすがりながら訊くと、みどりちゃんは、少し早口で話した。

「まさか。ねえ聞いて。わたしたちは、たぶんジマーと戦う兵隊のようなものとしてここに呼ばれたんだと思う。ふたりとも、どう思う?」

「そんなの馬鹿みたい。戦闘機や戦車に乗った大の大人が勝てない相手に、女子中学生が敵うわけないじゃん」

 と、金村さんは鼻で笑った。「それとも何? わたしたちが超能力者とか? そういうの? あたしスプーンはずいぶん頑張ったけど、一ミリも曲がらなかったんだけど」

「論理的な考え方だと思う。じゃあ、もっと高い可能性を言うと、ジマーと戦う兵隊相手に売春させられる可能性の方が高い」

 金村さんの表情が、さすがに凍り付いた。わたしは身体全体から血の気がひいてゆくように感じた。みどりちゃんは続けた。「なんで私達三人かって考えたら簡単で、親が死んだが死んだ可能性が高くて、引き取り手がいないから。今、日本中で毎日何千人という規模で親を亡くした子供達が増えてる。それで大人達は日本が浮浪児だらけになることをすごく怖れてる。引き取り手がないと東京に戻るなっていうのも、そういう理由」

「そんな想像、どうかしてる」

「そうね、売春は極端かもしれない。でも、工場で軍服や戦闘機の部品作るのに、わざわざ、こんな風に呼びつけるかしら。『検査』なんて必要? それとも金村さんのいうようにわたしたちは選ばれし戦士達で、これから英雄として食べるものにも寝る場所にも困らない生活を保証してもらえるの?」

「だから、そんなのありえないって言ってんのに」

「金村さん、お祖母様はどこにいらっしゃるの」

 え。金村さんの口が声にならない叫びを。形のいい眉毛がぎゅっと怒りの形につり上がる。「なんで、あんた」

「答えなくてもいい。でも聞いて。私の長野の親戚が、二、三人かそれくらいだったらしばらく面倒を見るって言ってくれてる」

 今度はわたしが驚いた。そんなこと、一言も話してくれなかった。みどりちゃんは、一瞬だけ私にすまなさそうな視線を向けたけど、すぐに続けた。「だから、もし、『行くあてがないだろう』とか、そういうこと言われたら、私の親戚のところで預かってもらえるからって答えて。大丈夫だから。絶対」

「あんたの世話にはなりたくないっ」

「私も金村さんに恩をきせるつもりはない。私はあなたが、東京で浮浪児になったり、自衛隊で兵隊みたいな仕事をさせられたりするくらいないなら、しばらく身を寄せる場所があるってこと、知ってもらいたいだけ」

 みどりちゃんは、すごいな。わたしは、みどりちゃんの親友であるわたしは、金村さんに嫉妬しても良かったはずだ。でも、そういう気持ちにはなれなかった。首都圏空襲の日からずっと、みどりちゃんは頑張ってきた。お父さんとの連絡もつかないのに、わたしにさえ泣き言ひとつ言わず、みんなを励まし、ときには川村先生を問い詰めたりして、わたしたちの生活を守ってくれた。

 でも、わたしは、何もできなかった。富士吉田に残った生徒の半分が合奏部員で、わたしはその部長だったのに。

 そして、今度もまたみどりちゃんのお世話になるのだろう。

「ありがとう。みどりちゃん」

 わたしはそれだけ言って、頭を下げた。金村さんは、そんなおせっかい、とか言っていたような気がする。

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