窪田先生

 検査というのは健康診断と身体測定のあいのこみたいなもので、例の脳波の検査はなかった。二人とは途中まで一緒だったけど、部屋をいったり来たりしているうちにばらばらになった。検査が終わって通されたのは、最初に入った建物の二階の部屋だった。開けっ放しのドアにはなんとか隊長と書かれていて、自衛隊の偉い人の部屋なのだろうということはわかった。篠原さんについて部屋に入ると、恰幅のいい、五〇歳を過ぎた感じの男の人が、応接セットのソファから立ち上がった。制服ではなく、白いワイシャツの上に黒っぽいカーディガンを着ている。福々しい感じの顔で、目が細く、七福神の神様みたいな印象だった。みどりちゃんとみず稀の姿はなかった。

「やあ、お待ちしていました。伝刀茜さんですね。窪田です」

 そういって、名刺をくれた。もちろん、わたしは名刺なんてもらったのは初めてだった。「航空自衛隊 航空医学実験隊司令 空将補 窪田勇」と書いてある。ここまでの間にわたしは篠原さんから少し話をきいていたので、空将補というのは会社で言えば社長とか専務くらいには偉いこと、ここは陸上自衛隊の基地だけど、今は航空自衛隊や海上自衛隊の人までいて、この部屋はもともと陸上自衛隊の部隊の隊長の部屋なのだけど、今は臨時で窪田さんが使っていること、などは知っていた。

 窪田さんは、何千人もの兵隊を指揮する人のようには見えなかった。ここに来てからというもの、いかめしい勲章のようなものが沢山ついた制服の人を沢山みてきたせいか、窪田さんも篠原さんも普通の服装をしているので、少し安心したのかもしれなかった。

「まあ座ってください」

 そう言って、わたしにソファを勧めてくれた。

「検査の報告は聞きました。伝刀さんはジュネスの要件を全て満たしています。すばらしい」

「ジュネスって何ですか?」

 篠原さんはちゃんと説明してくれていなかったのだ。

「もともとはフランス語ですね。ジュネ・ソルダー・アトン・デギマール。日本では若年防衛隊員と訳しています」

「じゃくねん?」

「若者、という意味です。当初は少年少女防衛隊とか学徒防衛隊なんて呼び方が提案されたようですが、どうも私たち戦中派にとってはろくなイメージがない。それで直訳調になりました」

「じゃあ、やっぱりわたしたちは徴兵されるんですか? 女子なのに? 中学生なのに?」

「少なくとも現時点では、伝刀さんに関しては徴兵ではない。ええと、篠原技官、ジュネスについて説明してますか?」

「いいえ。それは司令官からということになっています」

「いいでしょう。伝刀さん、世界で初めてジマーによる空襲があったのがいつか、知っていますか」

 歴史の問題と違って、暗記する必要はなかったが、わたしは忘れていなかった。

「今年の五月二三日です」

「すばらしい。でも本当は違うんです。うーん、どうしようかな、言っちゃってもいいですか」

 窪田さんは助けを求めるように篠原さんをみやったが、篠原さんも困った顔をしている。

「それは司令のご判断かと思いますけど」

「じゃあ、まだ内緒にしておいてくださいね、伝刀さん。去年の十二月、ソ連がアフガニスタンに侵攻した直後に、ソ連国内の発電所でテロがありました」

「あ、知ってます。それがきっかけでソ連はアフガニスタンから撤退したんですよね」

「ええ。ですが、それはイスラム教過激派によるテロではなかった」

 そうだったんだ。あまりおどろきはない。たぶん、もっともっと多くのことが、わたしの知らないところで起きていたのだ。

「今ではおそらく最初のジマーの空襲だったと考えられています。ソビエト政府はごく最近になって、当時の記録を諸外国に対して提供しました。中学二年生でそこまで知っているとは意外です。よく勉強していますね」

 正直に言って褒められたことはうれしかった。だけど、それ以上に、五ヶ月前の北村先生の授業が今の壊れかけた日本の状況に繋がっていたことに気づいて、ぞくりとした。

「どうやら、この十二月の段階で、NATOやアメリカ政府は調査をはじめていたようです。なので五月に初めてフランスの都市に被害が出たとき、NATOはソ連からの攻撃の可能性をあまり考えなかった。それからアメリカ本土から大量の対空ミサイルを持ち込みました。もちろん戦闘機や偵察機もです。ごめんなさい……ミサイルとか、戦闘機とか、そういうのは女の子だから知らないですよね」

「なんとなくわかります。いずれにせよ役に立たなかったんですね」

「そうです。フロッグは熱をほとんど出さないし、レーダにも映らない。とても頑丈で、戦闘機の機銃程度では傷もつかない。搭載された武器の方も、これまで知られていた技術をはるかに超えている。世間では弾性爆弾……いや新型爆弾のことばかり注目しますが、私達にとってはメーザ兵器の方が深刻でした。電子レンジはわかりますか?」

「ええと、お友達のおうちで見たことはあります。牛乳とかを温めるんですよね」

「あれはマイクロ波という電波で水の分子を振動させているんです。非常に強力なマイクロ波を、ジマーの攻撃機であるフロッグは、ミサイルや戦闘機に対して放ってきます。電子機器と人間がダメージを受けます。電子レンジの窓のところには網のようなものが貼ってありますよね。あれを使ってあるていど防ぐことができるんですが、パイロットを完全に守ることは今でもできません。……あれは酷い」

 窪田さんは、真剣な話をしながらも、声や表情は柔らかかった。でも、マイクロ波の話をしているときには、時々うつむいたり、口元が震えたりしているのがわかった。

「でも、東京空襲の時には自衛隊はなにもしていなかったんですよね」

「手厳しい。ミサイルや戦闘機による迎撃という意味では、無駄だということがヨーロッパでの戦闘からわかっていましたからね。でも、命令を無視した浜松の部隊が迎撃に出ました。隊員達の気持ちを考えると、大変心苦しいですが、予想通りになんの戦果もなかった。一人だけ生還した隊員は、メーザ波による大やけどを負っていました。彼は今でも治療中で、回復は望めないでしょう」

 わたしたちが疎開のバスから見たあの戦闘機は、やっぱり自衛隊だったのか。包帯まみれになってベッドに横たわるパイロットの人のことを想像するのは勇気のいることだったけど、空襲を防げなかったばかりか、墜落による火災で何軒もの家を焼いたことを考えると、同情する気にはなれなかった。

 そして、あの風景を思い出したことで、わたしの心に警報がなった。窪田さんはいい人かもしれないけど、だまされちゃいけない。みどりちゃんの涼しい眼差しが、はっきりと思い浮かばれる。ああ、一緒にいてくれれば、どんなにか心強かったろうに。

 わたしが自衛隊のパイロットに同情しているように見えたのだろう、窪田さんはさらに声と表情を柔らかくした。

「六月二十日から翌日にかけて、西ドイツのラムシュタイン空軍基地が空襲を受けました。ラムシュタイン基地はジマーからヨーロッパを防衛するための最大の拠点とされていたのですが、その頃はジマー相手には、それまでの兵器がほとんど役に立たないということがわかりかけていました。なので、基地に集められた人間や飛行機を少しでも多く逃がすために全力が尽くされました。空襲を受け、混乱する中で、西ドイツ空軍に所属する軍人の家族の十八才の少年が、ドイツ軍の戦闘機を操縦して離陸しました。ただし、オーストリアの基地に逃げる代わりに、彼はそこで空襲してきたフロッグと戦闘し、一機を撃墜しました。これがジマーに対する世界で最初の戦果と言われています」

「すごいですね、その人」

 正直に言って窪田さんの話はよく分からなかった。天才的なパイロットとか撃墜王とかそういう人がいるのは知っている。十八才で飛行機の操縦ができるのか知らないけど、アメリカの十六才の女の子が飛行機を操縦していますっていうテレビは前に見たことがある。

「でも、偶然だったんですよね、きっと」

 窪田さんは、わたしのしらけたような反応にも気分を害したようには見えなかった。

「普通だったそう考えるでしょうね。でも想像してみてください、そのころ、すでにドイツやフランスの大都市のほとんどが空襲を受けて、大量の難民が発生していた。日本がヨーロッパからの難民を受け入れると決めたのもその頃です。関係者は藁をもすがる思いで、いったいなぜ、その少年がジマーと戦うことができたのかを徹底的に調べました。少年はグライダーの免許を持っていて、飛行機の操縦の経験も知識もあったそうですが、もちろん戦闘機に乗るのは初めてだった。初めてにしては奇蹟的にうまく操縦したとは言え、人並み外れた運動神経とか天才的なパイロットとかそういうわけではなかった。ただ、その結果、少年の飛行機が戦った合計四機のフロッグはいずれも少年に対してメーザを撃たなかったことがわかりました」

「フロッグが壊れていたんじゃないんですか」

「彼以外の機体には撃っていたので、その可能性はないとされています。さて伝刀さん、偶然じゃないとしたら、あなただったら何が理由だと考えますか」

 そんなのわかるわけない。でも、今の窪田さんの話からすれば、『周囲の大人達』がどう考えたかは簡単に想像がついた。

「そのひとが、大人じゃなかったから?」

 そして、答えたすぐあとで、繋がった。つまりそれが理由? そんなことで?

「欧米は日本にくらべるとずっと航空先進国なので、十代で飛行機の操縦免許をもっている人はそれほど珍しくないんですね。ドイツは高校にもふつうにグライダー部があります。そこで急遽、一〇代の若者が集められ、突貫で訓練がされ、実戦に投入されました。しかし、結果は悲惨なものだった。単に若さだけが理由ではなかったんです。結局五〇人以上の若者が戦闘で命を落としました」

「……だけ?」

「戦果はなかったものの、メーザを撃たれなかった者はいました。二人とも女性でしたが、作戦では生還したんです。最初の少年との共通点が調べられ、その結果、ある特徴的な脳波が共通に観測されることがわかりました。発見者の名前を取ってランデュレ波と呼ばれるようになりました。急ピッチで調査を進めた結果、ランデュレ波は二十才以下の男女の一〇%で観測されること、男性より女性の方が発現率が高いこと、二〇才を過ぎると急激に発現しなくなることがわかりました」

 ここまで説明してもらえれば、わたしにもわかった。二学期の始業式にあった臨時の健康診断。あれがそうだった。日本にジマーは来ない、って先生も偉い人達も言っておきながら、実はあの頃から準備していたんだ。子供を兵士にするための準備。でも、それっておかしい。

「わたしには、そんな何とか波なんて脳波ありません。運動神経だって鈍い方です」

「いや、伝刀さんにはとてもきれいな波がありますよ。運動神経や平衡感覚は、もちろん大事ですが、要求水準を満たしている。それに大事なことですが、飛行機の操縦は運動神経だけではない。物理学や機械についての最低限の知識が必要ですが、そのための知力は十分だ」

「全部でそのジュネスは何人必要なんですか?」

「八人です」

 え。ちょっと虚をつかれた。たったそれだけ?

「……その脳波は一〇%の子供に見つかるっておっしゃってましたよね。日本中には何千万という子供がいると思うんですけど、そしたら資格のある子供だけでも百万人くらいいるんじゃないですか。脳波の検査も全国的に行ったんですよね」

「八人というのは第一期生の人数です。試算によれば、日本の主要な都市(コミューン)を守るためには四〇〇人のジュネスが必要で、その最初の八人ということになります。なので誰でもいい、というわけではない。いくつか、厳しい条件がありました」

「それは、例えば両親が死んでしまったとか、そういうことですか」

 窪田さんの表情がはじめて訝しげに曇った。わたしはおいかぶせた。

「どんな親だって、自分の子供を兵隊になんかさせたくないと思います。絶対に反対するはずです。わたしの両親だって反対します。確かに母は空襲の日に死にましたし、たぶんも父も生きてはいないと思います。でも、わたしには保護者がいて、その人のところに身を寄せることになっているんです。わたしは」

 息が続かなくなって、二回、あえいだ。「自衛隊にははいりません」

 窪田さんは気分を害したようにも、驚いたようにも見えなかった。

「自衛隊が嫌いですか?」

「嫌いです。だって、自衛隊は人殺しじゃないですか」

 びくり、としたのは、わたしの横にいた篠原さんの方だった。それでわたしは言ってはいけないことを言ったのだと知った。この人達は自衛隊に関係した人で、たぶん人殺しではない。人殺しではない人を人殺しと罵るのは間違いだ。わたしはあやまらなくてはならなかった。でもそれができない。ごめんなさいの言葉が出ない。たぶんそれは、まだ自分が正しいと思い込んでいるからだ。

「伝刀さん、あなたは正しいことを言っています」

 窪田さんの言葉に動揺はなかった。「自衛隊は、日本を守るためだったら、日本を害する外国人を殺します。でもそれは誰かがやらなきゃいけないことです」

「戦争なんてしなければいいじゃないですか」

「そうですね。でも考えてみてください。火事が起きなければ消防署はいりません。でも火事は起きる。そして火事を起こすのは消防署じゃない。日本が戦争状態に突入する可能性は火事が起きる可能性よりずっと小さいですが、ゼロじゃない。伝刀さんがどんなに嫌だといっても、いざというときに、外国人を敵として殺す自衛隊は必要です」

「でも、わたしは、なんでわたしがやらなくちゃいけないんですか。自衛隊に入らなくていい人の方がずっと多いんじゃないですか。わたしは人を殺すなんて嫌です」

「人を喜んで殺すような人が自衛隊に入るべきだ、と考えていますか?」

「え……」

「確かに暴力的な気質の人が軍隊のような組織に集まりやすいのは事実です。ですが少数ですよ。ベトナム戦争を経験したアメリカ兵の多くが、今でも戦争の記憶にさいなまれているのはご存じですよね」

「……はい」

「だからむしろ私達、ええ、この場合は、後方支援だけじゃなくて、民間人も含めて実際に戦場に出ない人達という意味ですが、彼らがなるべく楽に、苦しまずに人を殺せるように配慮してあげなくてはいけません」

「それは……何かおかしいと思います」

「ええ、あなたは正しいです。これはおかしい。でもちょっと具体的に考えてみましょう。どうしたら彼らの苦しみを和らげられますか?」

 わたしは考えようとした。でも想像がつかなった。人を殺すくらいなら、たぶん死んだ方がいい。でも、それが自分じゃなかったら? わたしは思いつきを言った。「その、麻薬、とか」

「かなり最悪の方法を思いつきましたね」

 窪田さんは苦笑した。「ただ、現代の戦争は、麻薬で意識が混濁したような状態ではできませんよ。同時に昔から使われてきたものが宗教です。ほとんどの宗教は、その成立時に人を殺してはいけない、と謳っています。ところが、人間は、都合よくそれをアレンジしてしまうことがある。異なる宗教を信じる人なら殺しても構わない、むしろ賞賛されることだ、そう教えるわけです」

 知っている。昔の十字軍がそうだったのだ。キリスト教の名の下に他所の国を侵略して、財産を奪い、人を殺したのだ。そして第二次大戦中の日本もそうだった。わたしは気分が悪くなってきた。

「別の方法もあります。国民に相手の国に対する差別意識を植え付ける、自分達より劣った民族だとか、残酷な国民だとか思い込ませることで、優越感を得られ、かつ相手の国民を殺傷することに対する罪の意識を和らげることができます」

「わたしは差別なんかしません」

 思わず叫んだ。そういうことではない、とすぐに気づいて付け加えた。「ナチスがそうやったんですよね。日本も鬼畜米英とかいってた」

「伝刀さんは良い先生に恵まれたんですね。歴史を学んで理解することは重要です。今の日本では、昔に比べて差別を悪いものだと考えるようになっています。でも、人間は、自分達の都合が悪くなったりすると本能的に生け贄を求めてしまう。相手が攻めてきたから守る、そうだったはずなのに、いつのまにか戦って相手を打ちのめすことに意義を感じるようになる。それは、実際に武器を取る者以上に、その人達を戦場に送り出す者がそうなってしまう」

「わたしはどっちになるのも嫌です」

「まったくです。でも、あなたがそう思ってくれて私は嬉しい。もちろん、個人レベルでは、どんな社会であろうとも武器を取らない権利は保証されなくてはいけません。良心的兵役拒否という言い方をしますが、そういう人が社会の統制を乱したとされるようなことは絶対にあってはならない。では、現に戦争をしているときに、武器を取らない者が、前線で武器を取って敵の命を奪う者よりも、人間的に優れているといえるでしょうか? 道徳的に正しいといえるでしょうか?」

「どういうことですか」

「戦争がはじまるのをとめられなかった時点で誰もが戦争に加担しているからです」

 窪田さんの言っていることは間違っていると思った。わたしたち子供に、どうやって戦争をとめることができるというのだろう。大人たちが勝手に戦争をはじめておいて、どうして銃をとらない子供が卑怯者だと言われるのだろう。

「いやいやごめんなさい。ちょっとおどかしちゃいましたか。ジュネスは大丈夫ですよ。フロッグは無人兵器だし、ジュネスが人間を傷つけることはありません。そもそもジュネスは軍隊ではないし、ええ、つまり、伝刀さんがジュネスになるとしても、自衛隊に入るわけじゃないんです」

「自衛隊じゃないんですか?」

「自衛隊は、この一年以内に解体されます。誰一人として敵国の人間を殺すことなく自衛隊がなくなるというのは、すばらしいことだ。ジマーによって世界中が危機にある今、従来の軍隊は意味をなさない。ジュネスは、軍隊や警察というより、消防とかボーイスカウトに近い。ジマーは、そう、自然災害と考えるといいかもしれない」

「わたしに、ジマーと戦うなんて、出来るわけないです」

「中学生に戦闘機を操縦させて謎の無人機と戦わせるんです。そんなの簡単にゆくわけがない。それは我々もよくわかっています。だから、準備をしてきました。あなたは日本にとっての希望です。大切に育てます。あなたが一人前のジュネスになれるかどうか、それはあなたが心配することではありません」

「心配します。わたしは同学年の女子とくらべても運動神経がいいわけじゃないし、百万人から選ばれた八人なんて、そんなのおかしいです」

 わたしは本気でおかしい、と思っていた。六中の運動部で一番スパルタだったのが女子バレー部だったけど、それでも都大会でベスト一六が最高だった。わたしはバレー部の一年チームの補欠より下手だろう。

「パイロットとしての能力は、運動神経だけではありません。視力や計算や空間把握に優れたひとは、そのどれか一つだけが特別に優れているだけでも、優位に立てるんです。ジマーとの戦いでは、それらに加えてランデュレ波が重要です。一致生の高いランデュレ波があるということは、ジマーとの戦いで極めて有利だ」

 窪田さんは、何故かふと不安げな表情を浮かべたように見えたけど、それは一瞬だった。口元に笑みが戻る。

「伝刀さん、あなたには顕著に一致性の高いランデュレ波が観測されている。あなたは最優秀のジュネスになれる」

「脳波がいいとかわるいとか、全然わかりません」

「これまで我々が入手できた信頼のおけるデータは、正直に言って二万件にすぎません。その中で有意に顕著なものが約一二〇〇件、その中でも標準波形と最も同一性が高い上位1%に、伝刀さん、あなたの脳波が含まれている」

「その中から八人が選ばれるんですか?」

「そうではありません。もちろん、知力や運動能力、他人との協調性、他にも多くの要素を総合して、選びます。その八人の候補者の中でもあなたは特別というわけです」

 わたしは鼓動が高まってゆくのを感じていた。いくら勉強をがんばったところでどうにかクラスで三、四番だったし、バイオリンだって、平均よりは上手いと言われるのがせいぜいだ。それが二万人のうちで一〇番以内なんて、そんなことがあるなんて信じられない。

 でも、わたしにできることがあるなら、それがジュネスとしてジマーと戦うことならば、それがわたしのなすべきことなんじゃないだろうか。

 ひょっとしたら、みどりちゃんよりもうまくできるんじゃないだろうか。

「わたしに、できるでしょうか」

「あなた以上の適任はいない」

「でも、わたしは、責任を果たせる自信はありません」

「あなたたちに責任はありません。ジマーとの戦争を避けられなかったのは大人の責任だからです」

 窪田さんはゆっくりと首を左右に振った。

「責任は、わたしたち大人が取ります。覚えておいてください。あなたは自ら進んでジマーとの戦いにゆくのではない、そのことを大人たちが分かっている、ということ、あなたが、それで悲しんだり苦しんだりしても、それは大人たちが引き受けるということ。でも、伝刀さん、あなたがジュネスになってくれるというなら、日本におけるジマーとの戦いは、まさにそこから始まるんです」


 窪田さんの部屋を出たわたしは、篠原さんに連れられて階段を下っていた。会議室に戻ると、あとの二人はすでに戻っていて、みどりちゃんが椅子から立ち上がった。心配そうな声が早口になる。

「うまくいった?」

 わたしは準備していた通りに返事した。

「わたし、ジュネスになることにした」

 わたしの準備はここまでだった。みどりちゃんの肩が落ち、震え、悲しげに口が開いたけど、すぐにはちゃんとした言葉を紡ぎ出すことはなかった。

「そんな……そんなの」

 わたしの傍らにいた篠原さんに、みどりちゃんの鋭い視線が突き刺さったが、それはすぐにわたしにむけられた。

「いまからでも間に合う。嫌だって言って。ジュネスなんかにならないって」

「わたし決めた。……みどりちゃんこそ、いっしょにジュネスになろうよ」

 みどりちゃんは、分からず屋の子供をあやすみたいに頭を左右に振った。

「ちゃんと説明すればよかったね。ああ、理屈だって説明するのは難しいの。もっとお話すればよかった。なんで? アカネちゃんがジュネスになることなんてない。中学二年生に戦争なんてできるわけないじゃない。あぶないよ、やめてよ」

 みどりちゃんが、あのいつでも冷静で絶対に慌てたりしないみどりちゃんが、顔を赤くして、声を張り上げていた。わたしは、うれしかった。そして、ちょっとだけ、正直を言えば、誇らしかった。

「みどりちゃん。わたしがやらなくても、代わりにだれかがやらなくちゃいけないんだよ。わたしに何かすごいことができるなんて、思ってない。でも、わたしでも世の中の役にたつなら、役にたってみたいと思う」

「ちがう、そうじゃない。うん、アカネちゃんはすごいよ。きっと将来すごい人になる。ジュネスになってもきっと、ああ、でもそうじゃなくて、この戦争はおかしいよ。私達は、まきこまれちゃいけない。ねえ、アカネちゃん、わかってよ」

「みどりちゃんこそわかってよ。みどりちゃんのお父さんもわたしのお父さんもお母さんも死んじゃったんだよ。まだまだこれから沢山の人がジマーに殺される。それを少しでも減らそうと、一つでも多くの町を守ろうってことの何がおかしいの?」

「おかしくないよ、アカネ」

 金村さんが立ち上がっていた。いつもの皮肉めいた笑みも媚びるような口調もなく、くっきりとした瞳がわたしの面を涼しげな風のようになでた。

「全然おかしくない。わたしもジュネスになることにしたんだ。一緒にがんばろう、アカネ」

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