第四章 一九八〇年一二月(フリメール)
合格!
帯広の町は正面に広がっている。真横、左側に二〇〇〇メートルの滑走路。見慣れない深緑色の輸送機が一機、ちょうど着陸したところで、その子のおかげで今まで着陸を待た《ホールド》されていた。視線を正面に戻す。方位は三四〇。さっきはこれで良かった。南に流されるようなら、流される量を読んで方位を微修正しなさいと言われるけど、三四〇で飛んでいるつもりが三三〇になってしまうような
「速度」
滑走路の真横に来たら、管制官の許可をもらって、脚を下げ、フラップを下げる。このへんは流れでできるようになった。身体が覚えてきたっていう感じ。楽器にたとえるならようやく音階が弾けるようになったというレベル。いや、ボーイングかな。
「帯広レイディオ、こちらブラボー2、現在、レフトダウンウィンド、着陸許可願います」
「ブラボー2、滑走路上、着陸に支障なし。風、二七〇から一五ノット、二八キロ」
「速度」
「ギア、ダウン」
スロットルレバーから左手を伸ばしての丸いノブを引き下げる。がーっという風切り音につづいて、どどん、という軽い衝撃が伝わってくる。ノブの上の緑色のランプが点灯する。「スリーグリーン」と、わたしは叫ぶ。
「伝刀訓練生、速度を確認しなさい」
え? 速度? え、二四〇キロ? 速すぎる。これじゃ着陸できない。それでもわたしは反射的にスロットルを一番手前まで絞った。テレビ画面の左端の数字がどんどん小さくなってゆくけど、わたしの飛行機もどんどん進んでゆく。もう左に曲がらないといけない。
「レフト、クリア!」
操縦桿を左に倒す。でも、全然曲がらない。速度が大きいからだ。姿勢計に目をやって、四五度まで機体を傾ける。厚い布団を被ったみたいに、腕や身体が重くなる。なんとか滑走路の延長線上にはもってきた。でも高度が高すぎる。教官の声が耳元でゆっくりときこえる。
「伝刀訓練生、着陸続行しますか?」
わたしは一瞬だけ迷った。滑走路の手前のこの距離でこの速度は、安全に降りられる状態じゃない。でも、判断は自分でしなさい、そう教えられている。
「降ります」
左手の親指を操作して、スピードブレーキを広げた。がくんとつんのめるようにして高度と速度が下がる。スロットルレバーを少しだけ前に進め、正しい進入角度に乗ったことを滑走路脇の白と赤のランプで確認して、スピードブレーキを閉じた。速度、高度、方位、それから、脚とフラップ。大丈夫、なはずだ。
「二〇メートル」
コンピュータの女性の声が高度を告げる。
「一〇メートル」
わたしはスロットルを一杯まで絞りながら、操縦桿を引いて機首を支える。
「三メートル」
どどん、と衝撃がおしりから伝わってくる。機首を下げて前輪をつけ、スロットルレバーを逆噴射にセット。滑走路の真ん中を走るようにペダルを踏みながら、速度計に目を走らせる。一〇〇キロを切った。逆噴射をオフにして、つま先でブレーキを踏む。足が、足がつりそうだ。でもなんとかその前に飛行機はスピードを落としてくれた。ここで気を抜いたらいけない。三本目の曲がり角までに滑走路から離脱しないと、一番向こうまで行って戻るから、後から来ている人に迷惑をかけてしまう。わかっていながら、いままで何回それをやっただろうか。
「ブラボー2,六番スポットへ駐機せよ」
スポットに飛行機を停止させる。エンジンを止めるやいなや、タラップのかけられるガチャン、という音がして、外からキャノピーが開かれる。酸素マスクを外すと、冷たい、でも気持ちのよい外気が口の周りの肌をなでた。
「お疲れ様!」
整備士の広瀬さんが、大きな声で迎えてくれる。日焼けした優しそうな笑顔で。草薙教官は、整備の人にヘルメットを持ってもらったり、コックピットから引っ張り出してもらったりすると、ものすごく怒ったけど、曽根教官はどうだろう。でも、たぶん、良い顔はしないだろう。わたしも、ありがとうございます、と笑顔を返して、なんとかコックピットから這い出した。たたらを踏みながら地面に降り立つと、オレンジ色の航空服に長身を包んだ曽根教官が落ち着いた足取りで近づいてきた。半白の頭髪は少し長め。日焼けした顔には深い皺がきざまれているが、お父さんより若いようにも見える。笑顔はない。他の大人達や沢山の子供達の前では、くさいギャグを言いまくっているけど、少なくともわたしとの訓練のときには、ずっと難しい顔をしている。もちろん教官は後に座っているから顔は見えないけど、わかるのだ。
「最後の着陸以外は、及第点だね」
「はい」
「何がよくなかったか、わかるかい?」
「速度をちゃんと……見ていませんでした」
草薙教官に、何度も何度も言われた。後から丸めた地図で頭をはたかれた。(ヘルメットを被っているので全然痛くないのに、叩かれるとなんであんなにショックなんだろう)。姿勢と高度と速度、そんなに全部いっぺんに見ていられない。
「それから?」
それから? それからは、とにかく着陸しなければならなかった。やりなおしという手もあったけど、燃料ももったいないし、後の訓練生に迷惑をかけるのも嫌だった。そして、ここでわたしが黙り込んでいたら、曽根教官も時間を無駄にしてしまう。
「ダウンウィンドを伸ばして、距離をかせいで高度を下げればよかった……かもしれません」
「君たちがふつうのパイロットを目指すなら、それが最善だ。だけど、今のやり方でも悪くはないと思う」
そう言って、曽根教官は右手を差し出した。わたしは慌ててポーチから飛行日誌を取り出して手渡した。曽根教官は、サインをして、返してくれた。
「明日からは君は一人で飛ぶことになる。本当ならお祝いをするんだが、そういう風習はここにはないそうだね」
「ありがとうございます」
わたしは日誌を受け取り、サインを確認しないで、そのままポーチにいれた。全く嬉しくなかった、わけじゃない。単独飛行の許可をもらえたのは、八人中みごとに八番目だった。チームを組む相手をこれ以上待たせておくのは申し訳ない。
「大丈夫だ。きみは生き残れる」
曽根教官は笑みを浮かべたように見えたが、こんなところで得意のつまらない冗談を言われても、どうしていいかわからない。
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