補遺(その三)

 一九八〇年九月五日に特別緊急事態法が発令されると同時に、航空自衛隊航空医学実験隊に第5部が新設され、建設途中だった新帯広空港を拠点としてジュネスの教育訓練の準備が始まった。同時に第302飛行隊をはじめとする第2航空団の大半がジマーとの戦闘に対して温存され、道東の各地に移動し、後に帯広に集約された。さらには防衛庁や外務省を初めとする中央省庁から百人以上の職員が帯広市に移り、欧州におかれていた多国間連絡協議会LBISとの調整を担った。しかしながら、都市コミューン体制が確立していない日本列島からは連絡協議会LBISに対して代表団を出すことができず、当初はジマーに関する情報も十分に入手できない状態であった。

 同年九月末、連絡協議会LBISは急に態度を軟化させ、日本における防衛隊組織の準備のために最大限の協力を表明、これをうけて日本国政府は小学生に加えて大都市圏の中学生の集団疎開を決定する。この施策は完全ではなかったが、文字通り間一髪で功を奏し、十年以上にわたって多くのジュネスがこのときの疎開生徒・児童の中から選ばれることになった。

 連絡協議会LBISへの正式加盟資格を満たしていなかった当時の日本国に対して、例外的な温情措置が与えられたことについては、日本にゆかりのある人物が、連絡協議会LBIS内で働きかけをおこなったことによると考えられた。

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