卓球場(臨時)にて

 土曜日は飛行訓練がない。だからか金曜日の夜はお風呂の後で一時間くらいロビーでだらだらする。最近、はやっているのは卓球で、わたしとみず稀がロビーにはいってくると、ゆーみんと末松の熱闘が繰り広げられていた。大人みたいな体格で眼光と同じくらいに身体の動きも鋭い末松と、人間離れした機動性のゆーみんとの組み合わせは、まさに頂上決戦。ゆーみんは小柄で手足も細いのに、フィギュアスケートの選手みたいな色っぽさがあって、男子達がそのきびきびとした動きに見とれているがわかる。ふだんは、ほわっとして口も半開きっぽい表情の彼女が、固く結んだ唇の端にわずかに笑みを浮かべ、獲物を狙う猛禽みたいな凜とした視線でボールを追っている。あ、見とれているのは男子だけじゃないか。今も卓球台の右端から左端まで跳躍しながら右腕を鋭く振りかぶり、まるで彼女の手元におびき寄せられるみたいにして飛んできたボールをネットすれすれにはじき返した。

「くそったれ、サル女が……」

 天をあおいで悪態をつく末松だったが、次には深々と頭を下げた。「参りました」

 満面の笑みで応じるゆーみんは息の乱れもない。

「ちょっとゆーみん、そんな動きして靱帯切るよ」

「ありがとう、弥生ちゃん」

 弥生ちゃんのとなりのソファにちょこんと腰を下ろしたゆーみんに、わたしはコーヒー牛乳を差し出した。ありがとう、と言ってくれるけど、どことなく警戒感が伝わってくる。わたしはゆーみんとは、まだちょっと波長があわない。

「アカネ、ついさっき窪田司令と篠原さんが来てね」

 わたしに気づいた弥生ちゃんが、話かけてきた。「アカネに話があったみたい」

「え? ここに?」

 わたしは思わずみず稀と顔を見合わせた。みず稀が眉にしわを寄せた。

「ちょっとなにそれ、まさか」

「私もそれかって思ったから、アカネを辞めさせるとかそういう話じゃないですよね、って訊いたの。そしたら違うって。むしろそうじゃないって言いに来たって。明日またアカネに話すって言ってたから、まあいいかと思ったんだけど」

 みず稀がわたしの肩を後からぎゅっと抱いてくれた。「いいんじゃない。ね、アカネ」

「わたしは大丈夫だって」

 それは本心だ。お風呂でみず稀と話したことで、自分で辞めるというのも子供っぽいみっともないことだという気がしてきたし、辞めろといわれたらはいそうですか、と毅然と受けようかという気がしてきたところだった。みず稀と弥生ちゃんが頷いてくれて、わたしも自分の考えに少しだけ自信を深めた。

「じゃ、次あたし!」

 勢いよくジャージを脱ぎ捨てて短パン姿になったみず稀に、じゃあ、お相手しようかな、と森永くんが立ち上がった。みず稀の御脚を見たいなら、対戦より観戦すればいいのに、と思うけど、森永くんはこういうところではあんまり頭が回らないみたい。みず稀が座っていた隣の椅子に、末松が勢いよく腰を下ろす。ちょっとびっくりしたけど、牛乳ケースの扉に手をかけた。

「おれ、いらねえから」

わたしは手をひっこめかけた。

末松は、ゆーみんとは別の意味でちょっと苦手。でも、わたしだって総勢五〇人を誇る合奏部の元副部長だ。同学年の男子相手にびびるようではつとまらない。コーヒー牛乳を取り出して、自分で開けて飲む。やっぱりお風呂上がりのコーヒー牛乳は最高。

「なんだよお前、昼間、あんな死にそうな顔してたのに、結構元気になってんじゃん」

 末松がわたしの心配してくれてたってこと? ひっくり返りそうになった声を必死に抑えて憎まれ口を返す。

「それはどうも。もっとも、あの程度の涙で騙されてるようじゃ、きみもまだまだ若いねえ」

「ざけんなオカすぞ」

 とっさに言い返せないわたしに興味を失ったように、末松は卓球に興じる二人に視線を転じた。

「おミズとお前って、同じ中学だったんだよな」

「そうだけど。あ、気になるんだぁ、みず稀のこと」

「なるねぇ。あいつは他の奴らと違い過ぎる。なんであいつここに来たんだろう」

「末松だってそうとう変わってると思うよ」

「褒め言葉だな。おれはおミズほど自由奔放じゃねえし、なりたくてもなれねえ。中学からお前ら仲良かったの?」

「……うーん。それほどでもなかったかな」

「ますますわかんねえな。おミズはおまえのお付きだと思ってたんだけど違うのか」

「なに……その斬新な発想」

「何千人って有資格者から八人選んだんだぜ。そのうち二人が同じ中学って、しかも一人が胸がでかいってくらいしか取り柄がないって、偶然にしちゃおかしいだろ」

「ちょっとぉ何その言い方」

 わたしは結構本気で腹がたった。とはいえ、すぐ周りに同調してくれる女子がいなければ一人で騒いでもばかみたいになる。わたしは冗談めかせる

「それじゃあ、わたしなんか何にも取り柄がないってことになるじゃないの」

「ちげえねえ」

 末松は、わざとらしく下卑た目つきをして笑った。卓球台の反対側の椅子に座っていた葛原くんが怪訝そうにこっちを見ているのが視界に入った。隣で、省吾が何がうれしいのかわかんない笑顔で手を振ってくれる。

 ここに来て最初の頃に、女子四人でペアリングを考えたことがあった。真面目同士で弥生ちゃんと森永くん、不良っぽくて異性経験豊富そうなみず稀と末松、運動神経がよくてちっこくて面白いゆーみんと省吾、で残ったのが地味な葛原くんとわたし。何一つ異論を挟めないのに、誰一人幸せになれないよね、とみんなで笑った。もっともその中でもみず稀と末松のペアはアリじゃないかってわたしは思ったけど、末松は単なる不良じゃなくて、結構いろいろと考えるヤツだって最近思えてきたところだった。

「でも、ちょっと意外。末松って、『他の連中なんか知ったことか』ってタイプだと思ってた」

「おう、その通り。だけどさ、ここはやべえ。わかんねえんだよな、コツがさ」

「コツって、飛行機の操縦の?」

「そうかもしれねえし、そうじゃないかもしれん。スワロウの操縦を覚えて、ジマーと戦えるようになりさえすれば、その先は本当に退役まで生き残れるのか。オレは違うと思ってる。教官連中も、篠原さんだって、窪田センセイだって、実は全然わかってないと思う。分かってるヤツは、ひょっとしたら、この中にいる」

「なんか意外。末松ってもっとニヒルなイメージだった。どうせみんな死ぬ、みたいな」

「勝手にイメージしてればいいだろ」

 ようやく少年っぽい拗ねたような表情を見せた末松に、つい、うっかりと余計なことを言ってしまう。

「わかった。残してきた彼女を守りたいんでしょ。すっごいかわいい彼女がいるって聞いたもんね」

「おう、かわいいぞ。おめえなんかとは比べものになんねえな。毎日セックスしてたし」

 わたしの強がりも限界かも。末松、にたって笑って、たぶんわたしの顔もあかくなってる。 森永くんの容赦のないスマッシュが決まり、みず稀が、いやぁん、と嬌声をあげてバランスを崩す。末松の手が、わたしの目の前に転がってきたボールに伸びたとき、ロビーの引き戸が勢いよく開いて、葛原くんの声が響いた。

「草薙教官、行方不明だって!」

 葛原くんはそのままロビーに駆け込んできて、立ち尽くすわたし達に告げた。

「さっきの教官訓練じゃなくて、出撃だったってさ。ジマーの偵察機が」

 ラケットを放り出したみず稀が、ゆっくりと近づいてきて左腕を抱きしめるように握ってくれる。立ち上がったわたしは、ぼんやりと開いた扉の向こうを見つめていた。ゆーみんがそっと背後によりそってくれた。女の子達に場所を空けてくれた末松が、卓球のボールをもてあそびながら「ばかじゃねえの、偵察のフロッグに戦闘しかけたのかよ」とつぶやいた。

「よかったね」

 というゆーみんのささやきは、離陸する大型ヘリコプタの爆音にかき消された。

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