再会
やっとのことで曽根教官から単独飛行の許可をもらったわたしは、お昼ご飯のときにみんなの前でそれを報告した。
「これまでみなさまには多大なご心配とご苦労をおかけしましたが、心機一転、これからはエースを目指してがんばりますので、みなさん安心してついてきてくださいっ」
「いよっ、日本一」といいながらすごい勢いで手を叩いているのは省吾とみず稀で、あっけに取られているのは葛原くんと弥生ちゃんだ。末松は、いいからさっさと飯食おうぜ、といいながらも、「特配」の炭酸ジュースのコップを手に待っていてくれる。森永くんは、笑顔で拍手しながらもどこか上の空という感じだけど、生まれつきらしいのでもう慣れた。ゆーみんはいつものように可愛らしい笑顔を見せながら、デザートのゼリーを一口スプーンですくって口に入れてた。
「じゃ、かんぱーい」みず稀が音頭を取って、ようやく食事が始まった。隣に座った弥生ちゃんが「なにちょっと大丈夫?」と心配そうに顔を寄せてくる。
「あのチビバカに影響されすぎたんじゃないの?」
チビバカというのは省吾のことだ。明るくて頭の回転も速い省吾はムードメーカーとしてわたしたちには欠かせぬ存在で、影響されていないといえばウソになるだろう。だが、そういう弥生ちゃん自身がいつのまにかみんなを下の名前で呼ぶようになっていた。
「弥生ちゃん、背が低いことをバカにしちゃだめだよ」
ゆーみんはゼリーを全部食べてしまってから、黙々と白いご飯を食べていた。ゆーみんの気持ちはわかる。わたしやゆーみんみたいにどっちかというと前に出るのが苦手なタイプは省吾みたいな底抜けの明るさに惹かれる。弥生ちゃんは優しい声で、
「心配しないで、ちっちゃくてもゆーみんは可愛いからいいの。省吾はうるさい上に小回りが効くから厄介なのよね」
「うるさいくらいの方が暗い顔で黙っているよりいいでしょ。大丈夫、わたしは省吾みたいにはなれないから。あ、葛原くん」
テーブルの一番端で、静かに食べていた、痩せた眼鏡の少年が驚いた顔をこちらに向けた。
「あれ、使えた。最後だめかと思ったけど、葛原くんの話、思い出してなんとかなった。曽根教官もわかってるじゃないかって褒めてくれた。ありがとう」
葛原くんは、あぁっ、とひっくり返ったような声を出して、小刻みに頷いたけど、周りが放っておかなかった。
「お、あやしいじゃねえか、おい」
うるさいと言えば末松の方が、しっかり声変わりしてどすが効いているぶん、うるさいと思う。弥生ちゃんも、末松の少なくとも言葉遣いとか態度を攻撃するのはあきらめたみたい。
「葛原君、そんなすごいテクニックなら、僕等にも教えてよ」
森永くんも尻馬に乗る。
「こないだ話したろ。トータルエネルギーだよ。教官のいうことと違うって、みんなバカにしてたじゃないか」
「アカネが信者になったなら、話が別だろ。あ、俺は遠慮するから。聞いてもわかんないし」
「だったら黙ってなよ省吾。タケよかったねぇ、アカネに喜んでもらえて」
「みず稀、余計なこと言わないで」
葛原くんはさすがにいちいちみず稀のちょっかいを気にしたりしないが、周りの男の子達にとっては火に注がれた油のようなものだ。でも、そのけたたましい男子達の騒ぎに混じって、わたしの耳は小さなつぶやきを捉えた。
「何がトータルエネルギーよ。スポイラー引いただけでしょ」
わたしはぎくりとして、弥生ちゃんをみやった。笑っていた。ゆーみんもみず稀も気づいていない。わたしは声がかすれないようにするのが精いっぱいだ。
「そうだけど、ほんと葛原くんにもいろいろ助けてもらったし、その象徴みたいな意味で」
「わかる。でも、あんまり甘やかすと男子って調子にのるしね」
「ね」
弥生ちゃんは小さく頷いてくれ、その後、お昼ご飯を再開した。
みず稀がちらっとこっちを見たけど、何も言わなかった。
大丈夫だよ弥生ちゃん。わたしは自分の「役」くらいは、わかっている。どうにかここに残れたのは弥生ちゃんやみず稀やみんなのおかげだし、そのことは絶対に忘れない。弥生ちゃんを差し置いてリーダーになるとか、「自分より弱い人に手をさしのべる」とか、もう考えない。それは弥生ちゃんだってわかっているはずだ。だからそんな「台本」にないようなセリフを言わないで欲しい。
食堂にはもちろん自衛隊の人達をはじめ、自衛隊の制服や作業服を着た大人達が沢山いる。その人達は騒々しい「中学生達」には慣れっこになっていて、いつもならこの程度のうるささには見向きもされないけど、今日はちょっと雰囲気が違う。少し離れたテーブルの一つを、航空服を着たガイジンっぽい五、六人の人達が占めていて、さっきからわたし達のテーブルの方にちらちらと視線を送ってきている。
外人さんというか、ヨーロッパの人達が帯広に来ることはよくある。スワロウは今のところ全部ヨーロッパ製で、一週間に二機くらいのペースで運ばれてくる。スワロウを運んでくるのはジュネスじゃなくて大人の軍人で、二機のスワロウと一機の連絡機でやってきて、スワロウを置いて、一泊して帰ってゆく。みんな気さくな人達で、食堂でもよく話かけてくれて、わたしたちの〝ニュー・ホライズン・イングリッシュ〟にも根気よくつきあってくれる。
ところが今日の人達は違った。わたしの席からだとよく分からないけど、明るい藁色の髪の男の人は明らかに他の人達よりも若く、もう一人の黒髪の人は東洋人だろうか、うちの男子達と背格好がかわらない少年だ。そっちの方をずっと見ていると、みず稀に脇をこづかれる。
「どうしたのアカネ」
「あの人、ジュネスかな」
「どうだろ。なんか重要人物らしいよ。今日は夜中までガイジンさんたちと会議だって朝香教官が言ってた」
「あの子日本人っぽいよね」弥生ちゃんまでもが横目でそっちのテーブルを窺いながらひそひそ声を出す。やがて女子だけではなく男子達も無遠慮な視線を向けるようになってしまった。輸送機の機長らしい、年かさの太った赤毛の人がこっちを見て、にっこり笑う。わたしたちは鳩みたいに首から上だけの会釈をして視線を戻す。ところが、
「やっべ、来たよっ」
省吾が眼をまん丸にして、肩をすくめた。
日本人っぽい少年が、席を立ってこちらに歩いてくる。きりっとした目が印象的な細面の整った顔立ち。ちらりと横目で見るだけのはずだったのに、わたしは目を彼の顔から離せなくなった。美男子だったからじゃない。知っている。どこかで会っている。でもまさか。
少年はわたしの席の傍らで止まり、わたしもお箸を置いて立ち上がった。口の中のものを詰まらせずに飲み込めたのは幸いだった。四年前、わたしより小さかったはずの背は、頭半分も超されていた。
「ひさしぶりだね伝刀さん。また会えてうれしいな」
「ええと、こんにちは。風祭くん……ですか?」
「覚えていてくれたんだね」
風祭くんは、嬉しそうな笑みをうかべた。わたしは安堵のあまり大きく息をつきそうになり、あわてて少しずつ吐き出した。
「伝刀さんがジュネスの候補生になったときいて嬉しかった。もう一度会えるなんて想像もしていなかったからね。訓練はうまくいっている?」
「ええと、まあ、なんとか」
小学校四年生のときの思い出は、忘れられないものとはいえ、風祭くんの容姿の記憶は鮮明ではなかった。だけど、こうして現在の彼の姿を見ると、当時、風祭くんがあんな事件でもなければ目立たない少年だったなんて信じられられない。四人の男子の中で顔がいいというそれだけでいうなら末松だろうけど、風祭くんは末松よりもかっこよく、誰よりも大人びていた。その一方で、妙にりくつっぽいというか翻訳調なしゃべりかたが、あのころの風祭くんをほうふつとさせた。
風祭くんの視線がわたしから外れた。わたしたちのやりとりを息を潜めて窺っていたはずのテーブルの七人が、がたがたと椅子をならして立ち上がった。機先を制したのは風祭くんの方だった。
「こんにちは、訓練生のみなさん。風祭賢治といいます。日本で生まれましたが、今はLBISのTechnical Advisorです」
「えるびす」という単語だか略語がみんなの頭の上に?マークをつけたのはすぐにわかった。
「連絡協議会のことだよ。授業でならっただろ」
と葛原くんが短く言うと、みんなは、ああ、と一様に納得したようすだったけど、テクニカルアドバイザというのはどういう役職かを正確に理解できた人はいなかったろう。風祭くんは、口の中で、連絡協議会、とつぶやくと、
「ここには明後日まで滞在して、日本のみなさんとジュネスの運用に関する議論をします。どうぞよろしくお願いします」
と頭を下げた。わたしたちも、口々によろしくお願いしますと言いながら礼をする。風祭くんがわたしに向いて、少しだけ小さめの声で言った。
「夕ご飯、一緒に食べよう。紹介したい人がいるんだ」
「え、でも、わたしたち、寮で食事することに決まっているし」
「問題ないはずだよ。一七時一五分に司令部の一階で待っていているね。じゃあ、話はそのときに」
「え、ちょっとま」
みず稀に航空服の袖を引っ張られていなければ、追いすがって、事情を説明したところだろう。しかし、みず稀は袖を抱え込むようにしてわたしを席に座らせた。まわりの子達も押し合いへし合いで頭を寄せてくる。
「間違っても嫉妬と思われたくないけど、すげえ気になるんだけど、誰だあの男」
「これだから隅におけないのよぉアカネは」
「待ってよ、みず稀、覚えてない? 四年生のとき、突然転校しちゃって、ちょっと話題になったじゃない?」
「あたしアカネと小学校別だってば。でも何それ。そんなことあったの?」
「テクニカルアドバイザって偉いの?」
弥生ちゃんが首を傾げるが、そんなことわたしに訊かれても。葛原くんが、不機嫌そうな声を喧噪にまけじと少し大きくしてくれた。
「航空服の階級章は大佐だった。協議会とジュネスとは別の組織だけど」
「大佐って……窪田さんくらい?」
「窪田司令は自衛隊の階級では将補だけど、防衛隊には大佐より上の階級がないから、同じくらいってことでいいと思う。大事なのは連絡協議会での立場だよ」
「偉いかどうかなんてこの際どうでもいいじゃん。なんであんないかした男子がアカネの幼なじみで、はるばるヨーロッパからやってきてアカネをデートに誘うのかってことっ」
「幼なじみじゃないって。何回かおうちに遊びに行っただけだって」
「えー、小四で男子の家に遊びにいくかぁ?」
「小四なら十分アリだろ」
「いやもうそれは不純異性交遊でしょ!」
省吾の絶叫を遮って、弥生ちゃんが早口でまくし立てた。
「省吾んとこなんて三顧の礼をつくされても遊びにいかないし、みず稀もデートかどうでもいいの。アカネ、ねえ聞いて」
くっと小さな顎を突き出して、薄い眼鏡を光らせた。
「忘れたわけじゃないでしょうね。あなたは、精神論ばっかり振りかざすおかしな教官に虐められて、あやうく辞めさせられそうになった。そりゃ、草薙教官が亡くなったのは可哀想だけど、それとこれとは別。私達は自衛隊にはいるんじゃないって、学校にいるとの同じくらいに自由だって言われてきたのに、ここはまるで軍隊か刑務所じゃない。ここに来て二ヶ月以上たつのに、一度も外出が許されてないのよ」
「そうだそうだ。もっともおれは軍隊も刑務所もどんなところか知らんけどな」
「省吾は黙って。篠原さんは口ばっかりで全然あてにならないし、でも評議会の言うことなら、窪田さんだってしたがうと思う。がんばって」
え、がんばるって何を?
弥生ちゃんはいらだたしげにため息をつく。
「今言ったようなことをあなたの幼なじみの風祭大佐に直訴するの。上官に会ったらいちいち敬礼とか、バカ学校の野球部じゃあるまいし、ほんとやめてほしい」
「でも、風祭くんとは四年も会ってなかったし、今日会うまではすっかり忘れてたし」
「向こうが覚えていてくれたんだから問題ない。色仕掛けでもなんでも使っていい。許す」
色仕掛けと聞いてか、ゆーみんが、ふふふっと無邪気そうに笑った。まったく失礼な。ゆーみんはみかけによらずおませで、ときどきみず稀と妙に生々しい話をしていることがある。
「わあ、楽しみじゃない。こっそりついてこうかな」
そのみず稀が両手を胸の前にあわせる可愛いこぶったポーズで高い声を出した。
男子のほうは、まあ、省吾が多少はしゃいでいるものの、あとの三人はそうじてうさんくさそうな表情だ。わざとらしく口をひん曲げて、末松が憎まれ口をたたく。
「おミズならともかく、おまえは色仕掛けはやめとけよな」
「それは御忠告どーもありがとうざいますっ」
ひとこと多いっつうの。でも、それが様になるのが末松なのだ。みず稀が笑いをかみ殺すように俯いたのを見て、わたしはまた失敗したのだと知った。
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