落第
「北園 碧 様
この手紙はファックスで送られるかもしれないということで、丁寧語で書いています。あなたのもとに届いて、できれば返事をもらえればうれしいです。
私は今、北海道の帯広市で戦闘機の操縦訓練を受けています。新しくできたばかりの滑走路があって、空港のために作られた施設を使わせてもらっています。住んでいるのは、もともと航空大学校というパイロットの学校の生徒さんのために作られた学校の寮で、四人部屋を二人で使っています。食事は毎日とても豪華でおいしくて、移動教室みたいな感じです。私達は自衛隊でいうと幹部候補生に準ずる待遇を受けているのだそうで、訓練が終わって任地にゆけば、幹部とおなじように一人部屋に住めると言われました。ただ、私達が自衛隊に入ったのかというと、そういうわけでもなく、偉い人達は、今後の組織のあり方について、いろいろとまだ考えているのだそうです。私達が訓練を終える来年の四月までには決まるだろう、と言っています。もっとも、それまでに訓練が終わるとは思えないのですが。
訓練を受けているのは全部で八人、全員が中学二年生で、男女はぴったり半々です。
村井弥生ちゃんは大人びた秀才という感じです。いつもは冷静沈着でおとなしいのですが、私達の人権が守られていないんじゃないかと気にしていて、ときどき大人のひとたちと議論をしています。
もう一人の女子は弓張明子ちゃんで、みどりちゃんとは全然違う意味の天才です。わたしよりも小柄で可愛らしく、それでいて運動神経が抜群で、男子も含めて誰よりも飛行機の操縦が上手です。みんなの人気者ですが、ちょっと変わった感じの子です。
森永正くんは、頭も運動神経もよくて、さわやかタイプの優等生です。でも金村さんには弱いようで、ちょっと心配です。
末松孝治くんはワル。顔がかっこよくて運動神経もよくて背も高くてそのうえ頭もよくて、以前にはいろいろ女の子を泣かしてきたらしいですが、ちょっとでもトキメキがありそうなのは弥生ちゃんぐらいで、あとの子は警戒しています。
三沢省吾くんは、二組でいうと豊田くんに似ています。いつもふざけて冗談ばかり言っています。でも、三沢くんのおかげでわたしたちはいろいろな辛いことや不安を忘れられるのだと思っています。
葛原武一くんは、そんな強者ぞろいの中では地味です。色々なことを知っているけど、ネクラな感じで操縦もそんなに上手くない。でも、誰も葛原くんをのけものにすることはありません。そういう人達が選ばれたのかな、と思ったりします。
自分のことばかり書いてしまいました。そっちはどうですか? 親戚には会えましたか? 種田くんは元気ですか? お父さんとは連絡がつきましたか? 返事がもらえればうれしいです。
かしこ
「ばかやろうふざけるな。スティックが重いだと? 腕立て百回でも二百回でもやって鍛えればいいだろ。甘ったれるな。手を離すな離すなって言ってんだろ死にたいのか。飛行機はなんで飛ぶのか。エンジンで飛ぶんじゃねえぞ。飛行機は気合いで飛ぶんだ。ぎりぎりの気合いでかろうじて飛行機は空に浮いてるんだ。ちょっとでも気を抜いたらその瞬間に墜ちる。巧い下手の話をしてるんじゃないって、ことくらいはわかるだろう。気持ちと態度のことをいってるんだおれは。お前が飛ばそうとしているのはな、単発レシプロの軽飛行機なんかじゃないんだ。攻撃機にもなる高等練習機だぞ。わかりませんとか、だめですとか、そんなセリフが口から出るうちは、ここに来なくていいんだよわかってんのか」
わたしは泣いていた。怒られたり脅されたりで泣くなんて小学校一年生以来だ。いいわけも口答えもすべきではないとわかっていた。それで草薙教官の言葉は全部身体ごとうけとめなくてはならなくなった。一一月の寒風の吹きすさぶ
「言いたいことはわかってる。誰も好きこのんでパイロットなんかなりたいわけじゃないんだろ。変な脳波があるからってつれてこれらただけですってわけだ。できないものはできません。お前はそうやって涼しい顔で無理ですとか言ってりゃいいだろうよ。だがこっちの身にもなってみろ。戦闘機のパイロットだぞ。本当に選ばれた一握りの者だけがなることを許されるんだ。それがなんで女子中学生なんぞを教えなきゃならないんだ。ああ、わかってる。その変な脳波のせいだ。ミサイルがダメならガンでやればいいんだ。まったく、こんなところでおまえらの相手をしている場合じゃないってわかってるんだよ」
その辺から記憶がとんで、気がつくとわたしは更衣室のベンチに座っていた。わたしより先に訓練を終えて隣のスポットにいた金村さん、いや、みず稀は、わたしの様子に気づき、見かねて強引に連れて来てくれたのだ。
「お昼行こうよ。アカネ」
「行かない」
「行こうよ。決めるのは、ご飯食べて、午後の授業受けて、夕ご飯たべてからでもいいじゃん」
「何を決めるって」
みず稀はわたしの腕を掴んで強引に引っ張り上げた。「ちゃんと歩きなよ。とりあえず今は」
寮に併設された食堂は、わたしたちジュネス候補生以外にも、整備士の人達や、空港の中で建設作業をしている人達も使っている。教官達も最初のころはこっちで食事をしていたのに、旅客ターミナルビルになるはずだった司令部建屋に幹部用食堂ができて、そっちにいくことが多くなった。今、お昼の時間には少し遅めだが、八割がた席は埋まっている。ジュネス候補生のテーブルは常に「予約席」になっていて、わたしたちが不自由をすることはない。
そのテーブルの半分に、頭の地肌が透けて見える坊主頭が四つならび、もう半分についていた二人の女子も剥き出しの首筋が寒々しい。わたしは思わず自分の髪の生え際に手をやる。
配膳口でトレイとカレーとサラダを受け取り、女子二人の前にみず稀と向かい合わせに座る。
「アカネちゃん、大丈夫?」
わたし達の姿を見て、心配そうに声をかけてくれたのは村井弥生ちゃん。
「大丈夫大丈夫。ね、アカネ」
みず稀がかわりに返事してくれたので、わたしは頷いただけで、いただきますと言って機械的にカレーを口に運んだ。おいしい。実際、ちぎれたぼろ切れみたいだったわたしの心は、乾いた雑巾くらいまでには形を取り戻してきていた。
もう一人の女子、ゆーみんこと弓張朋子は、小さな卵形の頭を傾げただけで何も言わず、おいしそうにスプーンと口を動かしている。ここにいる八人のうちで唯一わたしより背の低いゆーみんだけど、操縦にかけては男子を含めてダントツのうまさ。陸上の短距離で県大会で表彰台に立ったこともあるそうで、細い手足はカモシカのようだ。それに、こんな髪型をしていても、本当にかわいい。弥生ちゃんなんかは天パ気味で、髪を短くした直後には省吾に「寝癖オンナ」とかって言われてたけど、今はフランス映画のヒロインみたいに一番短髪が似合ってる。さえないのはわたしだけだ。
男子達四人も、午前中の訓練での「事件」は知っていたようで、ちらちらとこちらを見てくるのがわかるが、声をかけてくる子はいない。そのかわり、フロッグの運動性能は実は大したことないとか、AF1Jの次はAF2Bだとかそんなことを、じゃれ合う子犬みたいにわめきあっている。
「こないだの授業で言ってたよね。私達、いつでもジュネスを辞める権利があるって」
弥生ちゃんの口調には屈託がない。わたしは一瞬、呼吸が苦しくなる。みず稀は「ちょっとぉ」と、スプーンを持った右手でテーブルを叩いた。
「何てこと言うの。アカネがいなくなったらアタシの相棒はどうなるわけ!」
「アカネちゃんのこと言ってるんじゃないって」
弥生ちゃんの声は少しくぐもった。
「ここにいる私達みんな、いずれ食べ物が無くなるとか、帰る家がないとか、選ばれた者だとか言われて連れてこられたでしょ。でもジマーの空襲はもう一ヶ月以上なくて、復興も始まって、葛原くんのお母さんも生きてたっていうし。それに」
がたがたと椅子を引く音が男子側のテーブルから聞こえてきて、わたし達も反射的に立ち上がる。食堂の入り口から急ぎ足で入ってきたのは航空自衛隊の制服に身を包んだ篠原さん、いや篠原一尉だ。わたし達はなんとか様になってきた敬礼をする。篠原さんは、思いっきり顔をしかめて、それでも答礼し、いいから食事続けてと言いながらわたしの横の空いていた席に座った。
「伝刀さん、大丈夫?」
「大丈夫なわけないでしょ」
みず稀の声が鋭く響く。男子達から、おいおい、という声と小さな笑い。みず稀はかまわず続ける。
「アカネを辞めさせるとか、絶対に認めないから、あたし」
「辞めさせません。なんでそんな話になるの」
「試験に二回落ちたら追放って言ってましたよ柴田教官が」
ようやく声変わりが始まったばかりという感じの省吾が横から口を出す。「篠原一尉も、伝刀さんじゃなくて、伝刀訓練生って言わないと怒られますよぉ」
「三沢くんは黙って!」
篠原さんと、そして弥生ちゃんの声がユニゾンした。おっとこええ、おおげさな身振りで首をすくめる省吾。省吾はムードメーカーでガキっぽくてうるさくて、始末の悪いことに頭がいい。
きっ、という感じで弥生ちゃんが篠原さんの方に向き直る。
「篠原一尉、私達はみんな、自衛隊に入るんじゃないって言われてきました。防衛隊は自衛隊じゃない、軍隊じゃないって。授業でも、自分で判断しなさいとか、自分の考えを持ちなさいとか言われてます。でも、教官達の言ってることは全然違いますね。上官を敬えとか、命令に従えとか。体力作りでしごかれるのはわかります。でも、なんでおもちゃの鉄砲持って行進なんてしなくちゃなんないんですか」
「それはっ」
いらだたしげに篠原さんは言葉を吐き捨てた。「こっちもまだいろいろ調整できてないのよ」
みず稀が弥生ちゃんの方に、よくやったといわんばかりの視線を投げるが、わたしはもういたたまれない気分になっていた。
『一部の』教官達による理不尽(と思える)に厳しい指導と、わたしがいつまでたっても単独飛行の許可をもらえないのとは関係がない。弥生ちゃんあたりはそれが分かっているはずなのに、なんでわたしをだしに使うんだろう。
「とにかくっ」篠原さんは、いらいらした勢いのまま、わたしをにらみつけ、目があったとたんに、しまった、という感じで口調を和らげたけど、遅かった。
「とにかく落ち着いてね、伝刀さん。早まって除隊願いと書かないで。なんとかするから」
「草薙教官にやめてもらうのがいいと思う」
ゆーみんのアイドルみたいな可愛らしい声がして、数秒の沈黙が訪れた。八人分の視線を集めてもゆーみんは平然と言った。「あの先生、アカネちゃんとは合わないと思うの。わたしもちょっと嫌」
「ゆーみんすげっ」省吾はばかみたいに大きな口をあけてさけんだ。
とにかく分かったわね、と篠原さんはわたしに念押しして、来た時と同じくらいの乱暴な足取りで食堂を出て行った。
残されたわたし達は鼻白んで、男子達すら口数少なく昼食の残りを平らげた。航空服を着替える時間を考えると昼休みの残りは少ない。トレイを持って立ち上がりかけたときに、男子の一人が素っ頓狂な声を出した。「おれ、辞めないから」
「え、何?」
聞きとがめたみず稀にではなく、弥生ちゃんに向かって、葛原武一くんがもう一度告げた。
「母親、見つかったけど、おれはここに最後までいるから。みんなと一緒に」
その時、葛原くんはわたしの方をちらりと見ていた。目があって、あわてて背けていたけど。
「へえ、そう」
と、弥生ちゃんの答えは思いっきりそっけない。葛原くんは舌打ちして、今度はもう一度、にらみつけるようにわたしを見た。
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