第一次大樹沖

 フロッグを想定した戦闘の基本は、一機に対して二機一組であたること。この二機一組を分隊と呼ぶ。分隊が二つで小隊になる。一つの小隊があれば、小規模な空襲を防ぐことができる、という理屈だ。じゃあ、首都圏空襲なんかのときみたいに何十機というフロッグが襲ってきたらどうするのか。近隣の都市コミューンから部隊を集めて連合防衛隊を作るのだ。そんな体制ができる三年後まで、大規模な空襲がないように、みんなでお祈りするのだろう。

 戦闘訓練は分隊単位の戦闘訓練が中心で、小隊単位はあまりやっていなかった。少し前には計画より遅れている、と大人達はいらいらしていたけど、最近はあまり言わない。


「訓練、訓練、南東より未確認飛行物体が帯広市に向けて接近中。B小隊第一分隊はただちに迎撃せよ」

 真柴教官は、緊張感のない口調で手元の紙を読み上げると、「おちついて。安全にね」と付け加えた。わたしとみず稀はフライトバッグとヘルメットを抱え、ブリーフィングルームから飛び出した。雲一つ無い青空。弱々しい冬の太陽。冷たい空気が剥き出しの顔をつつみ、口と鼻から身体の中に入ってくる。でも航空服の下には雪山に不時着しても凍死しなくてすむだけの服を着込んでいるからぽかぽかで、むしろ冷気が気持ちいいくらいだ。いつもと違って駐機場エプロンの一番手前のスポットにわたし達の二機のスワロウが停めてある。今日は機体の点検はしなくていい。そのまま操縦席に滑り込む。

「エンジン始動より前の手順は省略していい。チェックリストは太文字以外はいらないから」

 整備士の広瀬さんが教えてくれる。それはわかっていることだけど、わたしは、はい、はい、といちいち返事をしながら、ベルト(ハーネス)と酸素マスクをつけ、左箱のパネルからケーブルを引き出して胸のところの小さな箱に繋げた。箱からはヘルメットまで短いケーブルが繋がっている。機体の電源は全て入っているので、すぐにヘルメットの透明なバイザに緑色の線で高度や速度が表示された。これはつい先週から使えるようになった装備で、HMDという。これだとどこを向いていても高度や速度がわかるし、雲の中にはいってしまっても上下がわからなくならなくてすむ。

「じゃあ、がんばって」

 広瀬さんが、肩をぽん、と叩いて機体の外側の梯子を下りていった。準備ができたのを確認してくれたのだろうけど、わたしは自分で最後までチェックリストをやった。「時間をかけられるときには時間をかけて」という曽根教官の教えを守れるだけ守ろうと思った。本当の出撃では難しくても、今は訓練なのだからできる。

 梯子が外れて、広瀬さんが機体から離れたのを確認してから、エンジンを始動する。

〝準備できた、アカネ?〟

 みず稀の声にはもう苛々成分が含まれている。わたしは平気になってるわけじゃないけど、後でなんと言われようともここであわてちゃだめだってことは分かっている。

「あと一分待って」

〝りょーっかい〟

 みず稀のわざと間延びしたような返事には、彼女なりにわたしにあわせてくれようとしていることがうかがえて、抑えていた「ごめんなさい」が思わず出そうになる。

「準備完了」

 わたしはもう一度だけ計器版とHMDの計器の数字がちゃんと動いていることを確認した。

〝B小隊出撃準備完了〟

 みず稀の早口が無線に飛ぶ。言うまでもないがみず稀が隊長機の役。訓練エリアまでの行き帰り、わたしはみず稀についてゆくだけでいい。戦闘訓練に入ったら地上にいる教官からの指示の通りに飛ぶ。

〝B小隊、速やかに出発せよ。風二七〇度から五キロ毎時、任意の方法での離陸を許可する〟

〝滑走路17で離陸します〟

 わずかに背風になるけど、訓練エリアに出るまでの時間は短縮できる。みず稀の判断にわたしは口を挟むつもりはない。

 右横に駐機していたみず稀のスワロウが、がくん、と前にのめってから、いつもよりは速い速度で誘導路に向けて走りはじめた。ブレーキをふみ、パーキングブレーキを外すと、わたしの機体も弾かれたように前に進み出す。ペダルを踏んで機首を滑走路に向ける。その時、一瞬だけ管制塔のほうを振り向くと、沢山の人影が窓に並んでいるが見えた。いつものように六人全員がわたし達の飛行を見ているはずだ。離陸したらすぐに階下の戦術管制室に移動し、教官達の怒鳴り声とわたし達の不様な悲鳴を聞くことになるだろう。

 みず稀の隊長機は、滑走路に並行している誘導路をつきぬけ、そのまま滑走路に入って機首を右に振った。二五〇〇メートルの滑走路の三分の二しか使えないが、どんな条件でどんな離陸をするかは昨晩のうちに打ち合わせしてあったので、わたしも迷いはない。わたしとみず稀は滑走路の左右に並んで機体を停止させた。風防越しのみず稀の表情はわからないが、大きく右手を挙げている。わたしは大げさに頷きながら、親指を上にして大きく右手を振った。

〝ちゃんと無線で合図しなさい。並行離陸なんて無理するんじゃないぞ〟

 さっそく小言を言われた。でも、訓練エリアまでどうするかは自分達で決めていいと言ったのは教官達の方だ。わたしは上空で飛行機の後流にはいるのが苦手だったけど、まっすぐに滑走するコツは掴んでいたので、並行離陸の方がやりやすいと思っていた。もともと、みず稀だって大人の言うことは何でも聞くというタイプじゃない。

〝アカネ、予定通りで〟

「わかった」

〝いくよ。レッツゴー〟

 燃料を気にしない全力での離陸は爽快だ。五〇〇メートルも走らないうちにわたし達は同時に空中に飛び上がる。HMDに表示された高度計の数字は面白いように増えてゆく。

 右手のスロットルレバーのスイッチをかんかんと叩いてスピードブレーキを少しだけ開き、みず稀の左後ろにつく。あとは太平洋上の訓練エリアまでみず稀についてゆけばいい。といっても五分とかからないだろうけど。

〝高度一〇〇〇メートルを維持せよ〟

(おっとっと)

 みず稀がつんのめるように機首を下げたので、わたしはひとりで空中にほうりだされたみたいになった。慌ててスロットルを絞って機首を下げる。レーダスクリーンの画面のはしっこでこっちに向かって向きを変える輝点ブリップがあった。敵役アグレッサーは朝香教官で、教官訓練のために曽根教官も同乗しているはずだ。みず稀の左後に戻る操作は我ながらきれいにできた。みず稀との距離は少し遠かったが、距離は少しずつ縮んでいたので無理に合わせなかった。

〝帯広戦術管制、ブラヴォリーダ、レーダで不明機を見つけました。距離……〟

 距離二〇キロ、減速中。つまり帯広市の上空を通過するのではなく、爆撃しようとしているという設定。本物のジマーは海上のすれすれを飛ぶらしいけど、訓練ではあぶないのでやらないことになっている。ヘルメットのバイザ越しに目を凝らす。青い海と青い空が交わる水平線は白いもやでぼかされていた。その薄く白い帯を背景に、何かがかすかに光ったように見えた。

「目標、見えたよ《ビジュアルインサイト》」

 わたしの報告に、帯広戦術からの指示が重なる。

〝ブラヴォ各機、不明機はフロッグ、目標は帯広市と認める。撃退せよ〟

〝了解、ブラヴォリーダ〟

 レーダ画面上の輝点ブリップを赤い四角が囲った。地上からの信号が届いたのだ。

 ここまでの手順は、お芝居の台本を読み合わせるみたいに、一人でも他の子と一緒でも何度も練習している。今のところイメージと違うところはない。

 —本当の戦争ならとっくにミサイルの撃ち合いが始まってるんだがね

 そういう朝香教官を、柴田教官が諫める。

 —そんな戦争は結局はじまらなかったんですよ。訓練生を混乱させるのはやめましょう。

 —大丈夫、この子らは分かっとるよ。

 うん。わかってないのは大部分の大人達の方だ。

 タタッタタッという特徴的な警報音が聞こえた。(うそっこの)フロッグからのメーザ照射が(もちろんうそっこで)始まったのだ。これはフロッグがわたし達を敵と認めて、空襲より先にわたしたちの撃墜を目的としたということになる。もし、これが実戦だったら、この時点でわたし達は任務を達成したようなもの。フロッグを引きつけて逃げ回っていれば、やがて引き返すからだ。

 スロットルレバーのスイッチを操作して(うそっこの)防護スクリーンを上げる。これで警報は消える、はずだった。

〝スクリーン上げても警報消えませーん〟

 みず稀の気の抜けたような声が聞こえて、わたしも安心する。いや、安心してる場合じゃない。なんで二機とも同時に故障するの。

 帯広戦術からの答は無かった。

 水平線上にきらりと光ったのは朝香教官のファントムだ。このまま交戦していいのだろうか。

〝模擬戦一時中止。訓練機は39番のCBを抜きなさい〟

 えー。

 まず、みず稀のスワロウから距離をおく。それからオートパイロットを入れて、スロットルから左手を離し、脇の下あたりにならぶ沢山の丸いボタンの中から39番を探し出す。大丈夫かな。あとから怒られるのもいやなので、一応、「抜きます」と無線で言ってから、抜いた。が。

 何も変わらない。メーザ警報はなりっぱなしだ。

 〝アカネっ、一〇時方向、高度ずっと下〟

 なに? 慌てて窓外に目をこらす。なにもいない。いや、じっくりと目をこらすと、本当にかすかな黒い点が一つ、いや二つ? そして次の瞬間、その黒い点が四角で大きく縁取られた。その上に点滅するFROGの文字。距離はまだ二〇キロ以上あるけど、どんどん近づいてくる。

「見えたよ。フロッグって描いてある」

〝「看板」でしょ? こっちも出た。あ、消えた?〟

 みず稀の言葉と同時に警報がなりやみ、緑の縁取りも消えた。フロッグからのメーザ照射がとまったのだろう。なんで停まったのかわからないけど、フロッグはよほど近づかないとレーダには映らないそうなので、早すぎたってことなのか。自分、けっこう落ち着いている。ゆっくりと深呼吸。これからどうしたらいいんだろう。まあ、訓練は中止だろう、そんなことを考えはじめる。

 いや、もう遅いかもしれない。

〝ブラヴォリーダ、状況を報告せよ〟

〝フロッグっぽい飛行機が近づいています。たぶん海面すれすれを飛んでいます。さっきまでレーダに映ってました〟

〝訓練中止。帰投せよ〟

 わたし達の会話は聞こえていたのだから、何が起きたのか、下でもようやくわかったようだ。

〝了解、ブラヴォリーダ〟

「みず稀、フロッグと戦おう」

 わたしはオートパイロットを切って、みず稀の方に近づく。「わたしが囮役。いいよね」

〝何言ってんの? アカネ、戻れって言われたでしょ〟

「ねえ、聞いて。メーザ照射が停まったってことは、わたしたちがジュネスとしてフロッグに認められたってこと。だったらわたし達は墜とされない」

〝信じられない! アタシたちのスワロウ、武器積んでないんだよ〟

「ひきつけておくだけでいいんだから」

〝ブラヴォ2、フロッグは偵察だ。迎撃の必要はない。203飛行隊カイザーが上がる。気をつけておりてきなさい〟

 めちゃくちゃだ。迎撃の必要がないなら、どうして空自の戦闘機を出すのだろう。一機で高高度で来るのが偵察、二機以上が低高度でくるなら空襲だって、さんざん授業で教えたくせに。大人の戦闘機なんて撃墜されるだけだ。

 草薙教官のように。

〝戻るよ、アカネ〟

「まって、あのフロッグは弾性爆弾エラストを積んでる」

〝わかってるよ。でも、二対二だよ。優位にならないなら出撃しないって、言ったのあんたじゃないの、アカネ!〟

「引き分けでいいんだから」

 みず稀からの答えをもらうのに、三秒かかった。

〝わかったやろう。ブレイクブレイク、帯広戦術、B小隊フロッグと交戦します〟

 わたしは今一度計器に目を走らせ、ふたたびレーダにフロッグが映っていることを確認した。それからお尻を浮かせて、座席の高さを一番上まで上げた。

〝B小隊、30番のCBを押し込め。パルスカノンが使用可能になる。フロッグへの攻撃を許可する〟

 30番? CBパネルに目をやる。無理。赤いカバーがついていて、今それをはずしてる場合じゃない。

〝アカネ、はじめよう〟

「了解」

 わたしはみず稀から少し左に離れると、スロットルレバーを最前方まで推した。背中が軽く椅子に押しつけられ、あっという間にみず稀を追い越してゆく。

「なう」

 操縦桿を手前に引く。うぐっという感じの、あまりかっこよくない声が口からもれた。体重の三倍上の重さが頭や肩からのしかかり、機体は急上昇に入る。ここで緩やかに右に旋回、ついで左に旋回する。二機のフロッグはわたしの後につこうとして点対称の動きをする。フロッグはスワロウの何倍もパワーがあって、最大速度も速いけど、小回りが効かない。

〝ブラヴォ2,高度見てるか高度!〟

「五〇〇!」

 わたしは間髪を入れずに答える。ヘルメットのバイザに映し出される数字は役に立った。迫り来る海面から目を離さずに計器を読むことができるから。さあ、みず稀はどこだろう。今のところわたしは打ち合わせ通りに飛んでいる。だったらこのままの旋回を続けてゆけば、みず稀は左前方に現れる。いた。レーダ画面で、みず稀のスワロウ、そして自分の位置と予測針路を確認する。間にあるゴミみたいなもしゃもしゃしたエコーがフロッグだろうか。うーん、このコースではみず稀は追いつけないかもしれない。わたしは危険を冒して旋回を緩めた。フロッグとの距離がどんどん詰まってゆく。

〝ループ緩めるなァ!〟

 でも、そうしたら。

 そうか何やってるんだ。墜とす必要ない、引きつけるだけって言ったのはわたしじゃないか。もう一度、ちから一杯に操縦桿を手前に引く。再び大きな荷物が肩の上に降りてきて、眠気が押し寄せる。きばれ、きばれ、きばれ。草薙教官の言葉が思い出される。飛行機は気合いで飛ぶんだ。

〝アカネっ、そのまま後についてっ〟

「了解っ」 

 レーダ画面のフロッグはわたしの後におらず、みず稀を狙って針路を変えていた。しかし、映っているのは一機だけだ。とりあえず、そっちに向かう。たぶん、ものすごく良い位置に持ってゆける。パルスカノンが撃てれば。最大位置になっているスロットルから手を離し、CBパネルに伸ばそうとするが、腕が重くて動かない。

「もう一機はどこ!」

 わたしの叫びは、みず稀には届かなかった。

 カーン、という杭打機の音を久々に聞いた。続いて、どーん、という落雷のような音と振動が右から襲いかかった。機体が煽られ、下向きの重さがすっと抜けて、空中に放り出されたような感じになった。吐きそう。わたしは歯を食いしばって機体の姿勢を立て直そうとした。方向と上下の感覚がない。HMDに映し出された水平線をとにかくまっすぐにする。真上に海。あ、逆だ。

〝状況終了。ブラヴォ2、方位270、高度1000で飛行せよ。速度下げろ〟

わたしは迷わずオートパイロットを入れた。やがて左横にみず稀のスワロウがぴたりと並んだ。キャノピー越しに大きく手を振っている。

「どうなったの?」

〝一機は墜とした。もう一機は逃げたみたい〟

「そうかぁ」

 わたしは、なんとか呼吸を整えながら、ようやく事態がのみこめつつあった。みず稀は30番のCBを入れて、パルスカノンを撃つことができたんだ。さっきのすごい爆発はフロッグの積んでいた弾性爆弾エラストが暴発したんだろうか。だとすれば、やっぱり空襲目的だったのか。

「すごいよ、みず稀」

 わたしはそれだけ言った。何が起きたのか、まだわたしには良くわかっていなかった。

 正面におなじみの滑走路が見え始めると、わたしの手足は、条件反射のように着陸の手順に取りかかっていた。

〝アタシたち、すごいことしたんじゃない?〟

 たしかに、みず稀がそう言うのを聞いたような気がする。そうでないなら、それはわたしの心の言葉だったんだろう。ひねくれ者の末松は、どんな顔してわたし達を迎えるだろうか。想像すると妙に愉快になった。

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