休日
「この場所に一九三〇に集合。今日は寮の夕食はないので、各自済ませておくこと。気をつけていってらっしゃい」
わたし達八人は、篠ねえの見送りを受けて、マイクロバスから帯広駅前の広場へと降り立った。ところが、久々の「しゃば」を前にただでさえ緊張気味のわたし達は、広場で繰り広げられる情景と割れ鐘のような音声に圧倒されて、その場に立ち尽くした。救いを求めて乗ってきたバスの方を振り向いたけど、バスは一目山に逃げ去っていった。それは、正しいやりかただ。
「独裁政府の再軍備を許すなー」
「危険な自衛隊は帯広から出て行けー」
百人、いや二百人以上いるかもしれない。マスクやヘルメットをつけた人達もいる。子供も、高校生くらいの男女も交じっている。手に手に赤い大きな字の書かれたプラカードやのぼりを持ち、先頭の人がスピーカーでがなり立てる声にあわせて叫ぶ。
「自衛隊は少年兵を即時解放しろー」
わたし達は思わず顔を見合わせた。わたし達の格好といえば、四ヶ月ぶりに着る私服やばらばらの中学校の制服だったりの上に、おそろいの黒色のダウンジャケットというもので、そんな子供達が自衛隊のナンバーをつけた車からぞろぞろ降りてくればさぞかし目立っただろう。
と思ったが、それは思い過ごしだった。
広場にいるのはデモ隊だけではなかった。というか、それ以外の人に埋め尽くされていた。がちゃがちゃとスノーチェーンの音をたてながらバスがロータリーに入ってくると、一杯のお客さんが吐き出され、わたしたちの目の前を急ぎ足で歩きさってゆく。その半分はそのまま駅の中に吸い込まれてゆき、そして同じくらいの沢山の人達が駅から出てくる。背広の上にコートを羽織った男の人や、学校帰りなのだろうか、チェックのマフラーを巻いた女子高生の二人組もいる。誰もわたし達なんかに気づいてもいない。
「大都会ってかんじだね」
ゆーみんが、ちょっと大げさに感動的な調子で言っても、誰も冷やかしたりしなかった。
基地にも人は一杯いる。でも、半年ぶりに見る「普通の町」は、制服だらけの基地とは全然違う。なによりわたし達は、テレビで白い砂漠のようになった東京や大阪の映像を何度も何度も見せられていた。食べ物をもとめて長い行列に並ぶ人達、小さな子供達を両手に抱えて廃墟になった町を歩くお母さん。空襲で犠牲になった人の名前を張り出した掲示板に群がる子供達。ひとたび基地の外に出れば、そんな風景が広がっている、そう思っていたのだ。
ここはまるっきり昔のままの賑やかで華やかな都会だった。新宿や銀座の賑わいには遠く及ばなかったかもしれないけど、そんな記憶はだいぶ薄れていた。
でも、わたし達の油断を見透かしたように、一組の親子が駅舎から姿を現す。まだ若いお母さんと、小学校低学年くらいの男の子と幼稚園くらいの女の子だ。お母さんの両手は大きなスーツケースでふさがっていて、着ぶくれした子供達もそれぞれに大きすぎるリュックサックを背負っている。男の子の右手はお母さんのコートの裾を、左手は女の子の手をしっかり握っている。女の子はきょろきょろをあたりをうかがっているけど、男の子とお母さんは、ただ前だけを見据えて歩く。一家は間もなく雑踏の中に消えた。
「ねぇ、行こうよぉ」
みず稀が地団駄を踏みながら拗ねたような声を出した。みず稀は女子陣では唯一、私服のスカート姿で、いかにも寒そうだ。
「前に家族と京都にいったんだけど」
弥生ちゃんが豚丼の上に載った直径四センチのお肉を、お箸でさらに半分に切りながら。
「お昼ご飯に入ったお店で、大学の学生さんだと思うんだけど、六人くらいでビール飲んで顔が真っ赤で、あたりがタバコの煙でもうもうとしていて」
「大声で騒いでいたの? うわー、迷惑」
みず稀は男子も頼まなかった大盛りを豪快にかっこんでいる。
「ううん、全然騒いでない。でもみんな身体が大きくて、坊主頭で」
「それはむしろ坊主差別じゃんか。ひでえ」
「省吾には言ってないし、そういうことじゃない」
弥生ちゃんはぴしゃりとにらみつけた。
「大丈夫、わかってるよ」
葛原くんがひそひそ声で言うと、末松が蒸し返した。「そうだよ弥生が黙れよ」
弥生ちゃんのたとえ話は良かったと思うけど、末松の言う通り、わたし達には必要なかった。お昼時の混雑した時間帯に八つ分の席を固めて用意してもらっただけでも申し訳なく、とにかくお行儀だけは良かったはず。そこは帯広でも有名な豚丼のお店で、有名だっていう雰囲気のプラス要素と、緊張のマイナス要素が差し引きしていた。豚丼自体は基地の食堂で何度も頂いていて、それはそれでおいしかったのだけど、このお店はお肉に焦げ目がついていて香ばしい。
自意識過剰であったかもしれないけど、お客さん達の視線は気になった。非難がましいものではなかったけど、どこか遠巻きにしている感じ。お店は混んでいて、外にも待っている人がいる感じだったので、わたしがテーブルでみんなの代金を集めて、他のみんなには先にお店を出ていてもらい、勘定場で払おうとした。
「あの、御代は結構です」
白衣を着た中年の女の店員さんは、ぎこちなく、手を左右に振った。
あ、ばれたんだ。
もちろん、わたし達は予想していて、基地の大人たちからもちゃんと言われていた。
「いえ、お支払いします」
「でも、困ります。受け取れないんです。どうかここは」
そういって、腰を深く曲げて頭をさげられる。店内のお客さんの視線が集まってくる。困るのはこっちの方だけど、負けるわけにはいかない。おつりがないように計算したはずなので、半ば強引にお金をお皿において、逃げだそうとした。すると、勘定場の後から少しだけお年寄りの男の人が出てきた。白い調理服を着たやさしそうな人で、女の店員さんに「いただきなさい」と小さな声で言った。そして、レジをあけて五千円札を取り、それを両手で私に差し出してくれた。「どうぞ。電話代にでも使ってください。お役目ご苦労さまです」
年配のかっぷくの良い女の店員さんがニコニコしながら近づいて、五千円札を握ったわたしの手を両手で包んだ。
「ごめんねぇ、うるさくてねぇ、あれみんなよそから来た人達だから。ここの人はみんなあんたたちに感謝してるんだから」
「内地からのもんがみんなああっちゅうわけじゃないだろ」
カウンターにいた背広姿の中年のお客さんがぶっきらぼうに言った。「すぐ仕事が見つから、じきにいなくなるさ」
「そうそう、ちょっと前まではデモ隊もずっと大勢だったんだよ。ほら、先月のどーんの前まではね」
するとお店の中でこっちの様子を見ていたお客さん達が、口々に「ご苦労様」「がんばれよ」「ありがとう」「ジマーをやっつけれくれよ」と声を上げはじめた。わたしはすぐさま逃げ出したいのを必死で堪えながら、とにかくお店の中の方にむいて無言で頭を下げ、顔をちゃんと上げないままお店の外に、逃げ出した。お店の扉を閉めるわたしの後からは盛大な拍手がおいかけてきたので、外で待っていた仲間達は、びっくりした様子でわたしを見つめている。
「おやおやアカネさん、何か隠し芸でもしたの?」
おどける省吾に、弥生ちゃんが冷たい視線をぶつける。
「ばかねえ、これからやらなきゃいけないんじゃない。少なくとも、私はね」
弥生ちゃんの視線がほんの一瞬わたしに向けられる。その瞳にまだ笑みはない。
帯広に来てはじめてもらえた外出許可は『〇一二三大樹沖航空戦』がきっかけと言えばきっかけだった。
わたしにとってのはじめての実戦があんな形になったことはショックだったし、みんなにいろいろと聞かれても思い出したくないというのが正直なところ。わたしもみず稀も基地に戻ったあとは一時間以上も号泣してみんなに心配も迷惑もかけたけど、みず稀はともかくわたしは嘘泣きなんかじゃなくて、本当に頭の中がめちゃくちゃだったのだ。
わたしとみず稀にとっては大事件だったけど、防衛隊や自衛隊の人達にとっては、ちょっとしたできごと、くらいに思っていたのに、そうではなかった。それまでわたしもわかっていなかったのだけど、日本政府のほとんどの権限とか資産は、各都市に分散されていて、自衛隊の部隊さえもそうなろうとしていた。そんな中で『訓練所』だけは、どの都市にも属さず、もうとっくに役目を終えてしまった筑波の中央政府の命令で動いているようなふりをしていた。ジマーの空襲から
そんな中で、小規模とはいえ帯広市を目的とした空爆があり、それをジュネスが阻止して一機を撃墜したってニュースは、日本中に衝撃を与えた、らしい。アメリカが防空に失敗して膨大な被害を出したのも、連絡協議会の言うことをきかなかったからだ、ってことになって、協議会や防衛隊やジュネスが必要で役に立つんだってことに、日本中が納得してしまった。たった一機の撃墜で。
訓練生が実戦に参加するのはいかがなものか、という意見が出るの見越してですね、と、頼みもしないのに那須さんが教えてくれた。書類上、わたし達は「必須訓練課程」を終えて「実地研修期課程」に入っていたのだそうだ。もう弥生ちゃんでさえ、あきれて物が言えないという様子だった。
訓練所には毎日たくさんの記者が来るようになった。金網越しに望遠レンズ付きのカメラが訓練棟建屋から
豚丼屋さんを出たわたし達は、事前に教わっていたスーパーマーケットに向かった。町中を歩く人達の数に比べると、お店の中は空いていた。もちろん目的は衣料品やお菓子だったけど、生鮮食料品売り場でさえ、そのときのわたし達には渋谷のファンシーショップよりもきらびやかに見えた。
「ちょっと牛乳三百円ってどういうこと? うちの近所百五十円だったよ」
みず稀が大声を出したので、わたしは唇に指をあててたしなめた。
「百五十円とか高級品だよ。うちは九十五円くらいで買ってた」
森永くんが、賞味期限を確認しながら、ぼそぼそと呟いた。「なんでだろう。このあたり牧場だらけなのに」
「牛は国産でもエサは外国産だって聞いたことがある。輸入が停まってるんじゃないかな」
葛原くんが真面目な調子で言う。わたしは特に考えもなく、つっかかった。
「でも、船はジマーに襲撃されてないんでしょ?」
「うん。でも、襲撃はなくても、輸送量は減ってる。世界中で油田が襲われていて、船を動かすにも石油がないし、それに船だっていつ襲われるともかぎらないから」
葛原くんは、柔らかい口調で丁寧に答えてくれた。みず稀がいやらしい笑みを浮かべたような気がするが気のせいだろう。わたしがこう言ったのは、葛原くんへのお礼のつもりだった。
「そういえば、アメリカは今度は原子力空母に防衛隊を乗せて護送船団を作るって」
「え、なにそれ」
そのとき回りにいた三人が低い声を出した。え、言ってなかったけ? と言いかけてわたしはしまった、と思った。言ってなかったのだ。そしてその情報は風祭くんからの手紙に書いてあったのだ。わたしのごまかし方は、たぶん、サイアクだった。
「え、篠ねえが、こないだご飯の時に言ってたでしょ? みんなテレビみてたんじゃない?」
「そうだっけ?」
首を捻ったのは省吾だけで、葛原くんの表情はぼんやりとしたものになる。
値段が上がっているのはまだいい方だった。いくつかの商品は、そもそも何の売り場なのか分からないくらいに全く空っぽの棚が並んでいた。普通の文房具は豊富だったけど、弥生ちゃんがこだわっていたファンシー系のノートは僅かしか残っていなかった。わたし達自身が必要というわけではなかったけど、トイレットペーパーの売り場も空っぽで、「月内入荷予定」と書かれた紙が貼ってあった。
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