豚丼大盛り
わたし達が『司令部』と呼ぶのは、本当は帯広空港のターミナルビルになるはずだった建物で、煉瓦色の外装も、吹き抜けのホールも真新しくきれいだ。でも、お土産物やさんや待合室になるはずだった二階は、まだペンキの臭いのするベニヤ板で区切られて机が沢山並んでいるし、電気を節約しなくちゃならないから、エスカレータもいつもはただの階段だ。それでも一階のロビーは、昼間は背広姿や作業着姿のお客さん達がひっきりなしに出入りしていて、一〇台くらい並んだ公衆電話の前にはいつも長い列ができている。
わたしはそのロビーに並んだソファの一つに座って風祭くんを待っていた。基地で働いている人達や、お客さん達がちらちらとわたしの方を見てくるのは、着ているもののせいだ。わたし達ジュネス訓練生は司令部の売店とかにはしょっちゅう来るけど、最近はほとんど毎日、操縦訓練があるので、一日中航空服を着ている。今日は滅多に着ることのない制服姿だった。
「お待ちどおさま」
エスカレータ(階段)から降りてきた一〇人以上の大人達にまじって、風祭くんの姿があった。風祭くんともう一人の背の高い藁色の髪の男の人を残して、大人達は正面扉から外に出て行く。その中には食堂で見かけた外国の人達や、窪田さんや篠原さん達の姿もあった。
風祭くん達は二人とも、わたしと同じジュネスの制服を着ていた。濃紺のズボンに濃紺のジャケット。違いは胸元に覘く水色のスカーフだ。これをどうやって巻いたらいいのか、特に女子の中では大問題になっていた。ヨーロッパのジュネスの子達の写真なんかを見せてもらっても、制服じゃなくて航空服を着ていることが多く、制服姿が写っていてもよくわからなかったりするのだ。
そのスカーフを、二人の男の子は実にかっこよく巻いていた。とくに藁色の髪の人はだらしないのとかっこいいのとのぎりぎりの境界で、おしゃれっていう感じ。
「大丈夫、似合っているよ」
風祭くんに笑われて、わたしはスカーフを直すのをやめた。
藁色の髪の人が優しい笑みをうかべながら、早口で何か言ったけど、わたしにはわからない。
「自由に好きなように巻くのが良いってさ。紹介するよ。シュテファン・マイヤー」
「シュテファン、デス。ハジメマシテ」
とシュテファンさんは深くて低い声で言って、深々とお辞儀をした。ハウドゥユドゥと口の中で練習していたわたしは、驚きのあまり、でんどうです、ともぞもぞ言いながらお辞儀を返すのがせいいっぱい。シュテファン・マイヤー。なんとその人が目の前にいる。
「シュテファンのことは、知っている、よね?」
「もちろん。最初にジマーと戦った人。初めてのジュネス、ですよね」
同期の子達に変な嫉妬をされないように報告するにはどうすればいいか、心配になってきたわたしだった。
わたし達は司令部の二階にあるレストランに行った。帯広にはじめて来たときに歓迎会をやってもらって以来だった。歓迎会は良い思い出じゃない。男子は丸刈り、女子は刈り上げ寸前のショートヘアを強制されて、ジュネスの制服もまだ間に合ってなくて、みんなそれぞれの中学の制服姿で一箇所に固まって、お酒を飲んでいる大人達を上目使いににらみつけていた。
二ヶ月前に比べると、メニューは少し増えたかもしれない。寮の夕食はみんな決まったものをいただくけど、ここでは選べる。わたしは迷わず豚丼の大盛りを頼んだ。そうしたら、二人とも、じゃあそれを、という。
「え、でも豚丼って、ご飯に豚肉が載ってるだけの、ふつうの丼だよ」
「ここの名物なんでしょ? じゃあ、いただかなきゃ」
「え、でも……」
「ドイツでは夕食はパンとハムとかで済ませることが多いんだよ。まして今は大変だから」
わたしは恥ずかしくなった。外国人だからきっとフルコースみたいなものを食べると思い込んでいて、でも、わたしはこれで十分です、ってやろうと思っていたのに、結局大盛り頼んだのはわたしだけで、バカみたい。
その後は、ずっと風祭くんと日本語で話した。といっても、わたしから話すとすれば、なんでジュネスになったかとことと、帯広での生活のことぐらいで、後者については、話さなくてはいけないことと、話したくないことの整理がまだできていない。
一方、風祭くんの話は、控えめに言っても驚きの連続だった。
「ちょうど四年前だよね。僕らは家族ごとソ連に拉致された」
突然の引っ越しの理由を、彼はいともあっさりと説明した。わたしは、中途半端に、本当? と高い声を出してしまった。
「飛行機やヘリコプタに乗せられて、エカテリンブルグの近くの小さな都市につれていかれた。母親は向こうにいってすぐに内蔵の病気になって、死んだ。僕の父親は会社の研究所で炭素複合材の研究をやっていた。おそらく父親が籠状炭素結晶に関係した発見をして、それを知ったソ連が僕ら一家を拉致した、そう言う人が多いけど、本当のところは分からない」
「ロウジョウ?」
「ダイヤモンドよりも強い分子構造なんだ。ジマーの戦闘機械の身体はそれでできている。それだけじゃなくて、電気抵抗も小さいからものすごい高性能のコンピュータも作れる」
「それって……つまり、風祭くんのお父さんが、ソ連の命令で、フロッグを作ったってこと?」
「父親の研究はなんらかの形でフロッグに関わったと思うけど、ジマーはそれよりもずっと前からあったらしい」
「ジマーは、ソ連で、つまり宇宙からの侵略者じゃなくて、人間によって作られたってこと?」
「フロッグなんかはそうだろうね」
あまりにあっさりと風祭くんは言ってのけた。
わたしたちはたかだか一四歳だけど、ジマーがこの世に現れてから半年、テレビや新聞のニュースで、それなりに興味を持って調べたり考えたりしてきた。それにここでの訓練や勉強では、ジマーの特性や弱点についても学ぶ。ソ連の秘密兵器っていう話はずっと前から噂になっていたけど、誰が考えたって、そんなものはデマに決まっていた。だって、そのソ連が、モスクワもレニングラードもキエフも、大都市のことごとくがジマーに襲われて、東京と同じように廃墟になっているからだ。
「言っておくけど、僕はフロッグの基地も工場も、父親の職場も見たわけじゃない。ただ、後になってみれば、ジマーに関わっていたらしい何人かの人達とは知り合いだったっていうこと」
「風祭くんとお父さんはどうやってその町から逃げ出したの?」
「去年の一二月だった。それに急にたくさんの人達が出入りするようになった。今まで一緒にいた近所の家族なんかも次々に町を出て行くようになって、警備の隙をついて逃げ出す人達もいた。僕らもいずれ別のところにつれてゆかれるんだろうと思っていた。でも父親の体調が悪くなってきたので……あんまり詳しいことは話したくないけど、僕だけ逃げ出して、色んな人に助けてもらいながら東ドイツまでたどりついて、なんとか西ドイツに渡ることができた」
「じゃあ、風祭くんが住んでいた町が、ジマーの本拠地ってことになるんじゃないの? そこにいけば、フロッグを操っている人達がいるんじゃない?」
「もちろん、そう考えたのはアカネだけじゃない。僕がソ連で住んでいたのは、地図にも載っていない、道路さえ通じていない町だった。ソ連の高官でさえ存在を知らない人の方が多かったそうだ。
「……お父さんは」
「父親の遺体はみつからかなかった。どこかにちゃんと埋葬されていると思いたいな」
風祭くんはやっぱり四年前の印象のままだった。ときどきふっと感情が欠落したようになって、とってつけたように口元をほころばせる仕草。小学生のころにくらべて、そういったちょっと異質なものに敏感になった一方、理解した上で許容できるようにもなってきたと思う。風祭くんが淡々と語る途方もない経験は、わたしの中でだんだんと形をつくりつつあった。
「その後は、西ドイツで暮らしていたの?」
「短い間だけど、ギムナジウムって高校みたいなところに通わせてもらって、そこの寮に住まわせてくれた。シュテファンは同じギムナジウムの上級生だったけど、会ったのはラムシュタイン基地が壊滅して、避難した先だったから」
シュテファンさんは日本語がわからないようだ。でも、風祭くんの視線から自分の名前が出たのはわかったみたいで、やわらかに首を傾げて微笑んだ。
「ラムシュタイン基地は壊滅したけど、その時、シュテファンがフロッグを墜としたことは知っているよね。それから一ヶ月の間にいろんな検査や実験をやって……」
実験、という言葉が何をさすのか、風祭くんの口調が一瞬暗くなったことで、私にも想像がついた。そのことはわたしたちも学んでいた。たくさんの若い人達がジマーとの無謀な戦いに放り込まれたのだ。ランデュレ波という脳波を持つ子供だけがジマーと戦える、そのことが分かるまで、多くの犠牲が払われた。
「じゃあ、風祭くんもジュネスなの?」
「もちろん、僕も実験に参加させれられるはずだった。ソ連にいたときに、何か特別なその、訓練だか『脳改造』を受けたんじゃないかって、そんなことまで言う人がいて。だからスワロウの訓練も少しだけ受けたけど、僕の実験の前に、ランデュレ波のことがわかっただろう? 僕にはなかったんだ、ランデュレ波は」
「でも、その制服を着てるってことはジュネスなんでしょう?」
「ジュネスじゃない僕が、この制服を着るのはどうかと思う。でも、都合はいい。僕の本職はあくまで
「じゃあ、他のみんなとも話をしてくれるってこと?」
「もちろんだ。でも、アカネが日本のジュネス達との間を取り持ってくれるならうれしいな。僕の立場は、中国とかアジア圏では同じ東洋人っていうことで親近感を持ってもらえるけど、日本では、僕自身が少し疎外感があるから」
「とりもつって言われても、わたし、ほんとおちこぼれだから」
「そんなことはないだろ。アカネはランデュレ波の
「ランデュレ波なんてよくわかんないもの。そもそも操縦が下手じゃ話にならないし」
「ランデュレ波が重要じゃないなんて言えるのは、実戦を経験していないからだ。それに、アカネはジュネスになるべき人だと思う。ジュネスは単なる少年兵じゃない。ね、シュテファン、Junes ist nicht nur soldert sondern」
「Nein und doch, Junes sind gar nicht soldarte」
シュテファンさん、は私の方を向き、ゆっくりひとことずつ区切った英語でこう言った。
「ジュネスは、兵士であってはならない。ジュネスは未来なんだ」
「シュテファン、そんなコンセプチュアルなことを言っても、まだアカネにはわからないよ」
「アカネ?」
シュテファンさんはわたしと風祭くんの両方を交互に見て首を傾げる。わわたしは少し戸惑ったけど、「アカネ」と言って、自分の胸を押さえた。
「アカネ。日本人は名前に意味があると聞きました。どういう意味ですか?」
「ええと……レッド?」
そうじゃない。わたしが生まれたのは朝の六時。病院の待合室の窓から見た夜明けの空の色。「ヴァーミリオンレッド、です。夜明け」
「良い名前ですね。アカネ、長い長い夜が、この先に続く。でも、その夜の先にはこれまでよりずっと素晴らしい世界が待っている。永遠に続く夜の中をもがくのは、ジュネスの任務ではありません。まして」
シュテファンさんは、そこで言葉を句切った。「元の世界を取り戻すことでもない」
風祭くんがゆっくりと大きく頷く。
豚丼を平らげるのには大して時間はかからず、わたしが帯広に来るまでのことなんかも、ニュー・プリンス・イングリッシュで説明したりした。シュテファンさんはとても気さくで、びっくりするくらいに優しく、わたしの悲惨な英語を根気よく聞いてくれて、文法の間違いまで教えてくれた。わたしが知っている唯一知っているドイツ語で、ありがとう、と言うと、君は天才だ!(というようなことをドイツ語で言ったらしい)などと大絶賛するので、うれしいというよりおかしくなった。シュテファンさんにもし良からぬ意図があったなら、同期の女の子全員を洗脳するのに一〇分とかからないだろう。
シュテファンさんは一九才で、今年の九月からは大学生になるはずだった。でもしばらくの間はジュネスとしてジマーとの戦いを続けるという。
「学生の間に、ミリタリーサービスをすませておこうと思っていたから、それほどの違いはないんです」
ミリタリーサービスという言葉がわからず、風祭くんに訊いて兵役という意味だと知った。
「兵役? それって徴兵ってこと? 西ドイツには徴兵制があるの?」
「あります。西ドイツという国自体がなくなりかけているので正確ではないですが」
シュテファンさんはからからと笑い、わたしは、お愛想笑いをうかべるのが精々だった。
基地の大人達は、筑波にまだあるはずの日本政府が何も指示を出さない、何もしてくれないとことあるごとに不平を言う。でも、わたしたちが冗談で「日本なんてなくなっちゃったし」なんて言うのを耳に挟むと、「そんな不謹慎なことを口にするな」と怒られる。だがこうしてシュテファンさんに言われてみると、不安な気持ちがこみ上げてきて、大人達を笑えないってことがわかった。
「ジュネスは、兵士なんですか?」
風祭くんとシュテファンさんは黙って顔を見合わせた。風祭くんが、少し心配そうに眉を顰めた。「気になってたんだけど、その髪の毛は、強制されて短くしていたの?」
「うん。それだけじゃなくて、敬礼のときの角度だとか言葉使いとか女のくせにとか言われたと思ったらメソメソするなとか」
「ジュネスは徴兵された兵士じゃない」
シュテファンさんは一語ずつ区切って答えた。「自らの意志以外に基づいてジュネスになってはいけない。でも、ジュネスになるということは、ジマーと戦うということです。戦うからには勝たなくてはなりません。そのためには技術を身につけ、規則に従い、指示に従い、あるいは誰かに指示を出さなくてはならない」
「髪の毛の長さはジマーと戦って勝つことと関係ないでしょう?」
「僕が説明するよ、アカネ、ジュネスは部隊ごとに規律を決めていい。大人達じゃなくて、自分達で決めるんだよ。君たちの後にはすぐに後輩達が入ってくるだろう? 彼らがどんな髪型をしたらいいと思う?」
わたしは思わず唇を噛んだ。今年から全部の部活で「兎跳びは禁止」ってなったのに、サッカー部だけが続けていたのは顧問の先生じゃなくて三年生や二年生が「そんなんじゃ根性が育たない」とか「瞬発力がつかない」とか言って反対したからだった。
「わたしだったら全部、個人の自由する。自分で判断して決めてって言う。でも、わたし達で決めていいっていうなら、ちゃんと考える。きっと弥生ちゃんとか良い考えがあると思う」
レストランに入ってから一時間近くが過ぎていた。時計を気にしていた風祭くんが、さて、そろそろ、と、びっくりすることを言い出した。
「もうお偉いさん達も戻ってきただろう。これから大人の人達と打ち合わせがあるけど、アカネ達も一緒にこない?」
「でもそれ、わたしたちが出るような会議じゃないでしょ」
「ねえ、シュテファン、アカネたち日本のジュネスは対ジマーの基本戦略もジュネスの意味もちゃんと説明されていないようだよ。会議を傍聴するのがいいんじゃないかな」
「もちろんだ《natualich》」
言葉はわからなかったけど、シュテファンさんは力強く頷いた。
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