補遺(その六)

 本稿の執筆時点で、ジマー(GMAH: Grupe de Machine Automatisée Hostile)が地上に現れてから四〇年がたつ。

 いくつかのことを補足しておく。


 金村みず稀は小諸には行かず、『失踪ジュネス』にもならなかった。天候の悪化に無理をさとって引き返し、旧松本空港に到着していた。

 その後も彼女は安曇野航空防衛隊、別名、白銀航空隊シルヴァー・スコードロンの黎明期を二〇才で除隊するまで支えた。小諸に住んでいたという恋人と再会したのかどうかはわからない。いまでも彼女の旦那パートナーの前でその話はするな、と言われている。ただし、安曇野に来て間もなく、みず稀は彼女のお祖母さんをよびよせ安曇野の病院に入院させた。優しくて世話好きなおばあさんだった。


 北園碧も二〇才まで安曇野騎兵隊の中核にあった。みどりは高等行政学院に進んで行政局員となり、現在は安曇野市のエネルギー局長の任にある。一年以内には第八代行政長官の座につくだろう。彼女との友誼は今も変わっていない。


 帯広で共に訓練をうけた仲間達や、御世話になった教官方の消息はそれぞれである。第一期生の私以外の人達はみな無事任地に着任し、一人を除いて任期を全うした。彼らとは任期中にも何度も交流があり、そのうちの何人かとは今も連絡を取り合っている。

 一人というのは弓張朋子である。彼女は着任して一年後、訓練中に行方不明になった。機体は発見されず、事故扱いとなった。


 私、伝刀茜もまた、二〇才になった翌年の三月まで白銀航空隊の名簿を汚し続けた。その間、みず稀の半分も戦果を上げなかったが、白銀航空隊の最初の英雄エースという虚名は今にいたるまで消えていない。そのおかげもあっただろう、除隊後、安曇野高等医療学院に学ぶことを許され、脳神経内科を専門とする医師となった。帯広訓練所の所長を退かれた窪田先生とは、亡くなる前に学会でご一緒したこともある。二年ほど前から仕事の比重を臨床から研究に移し、十代の頃には見透せなかった真実の一端を、今では捉えつつある。


 風祭賢治とは帯広での決別以来、会っていない。帯広を離れてから数年のうちには、彼の名を聞くこともなくなった。「コード」の宛先は、結局わからずじまいだった。


 組織としての対ジマー連絡協議会は、その機能の多くが、設立にシュテファン・マイヤーが関わったGYRO(若年防衛隊員権利保護機構)に移され、一九八〇年代の末に消滅した。こんにち、巷で陰謀論の主役に擬されることの多い架空の組織「評議会ボード」のルーツが、対ジマー戦争の初期を主導した連絡協議会LBISにあることは言うまでもない。


 最後に、種田君のことを書いておこう。種田一郎は安曇野市で音楽家になり、三二才の若さで亡くなるまでにいくつもの素晴らしい作品を書き上げた。彼の曲を、可愛らしい少女歌手がテレビで歌い、再建された市民オーケストラが荘厳な響きを奏でた。私は安曇野にきてから一〇年近くも種田君に会う勇気がなかった。みどりに連れて行かれたコンサートの会場で、研修医だった私は、種田君に花束を渡しながら、間抜けな挨拶をしたものだ。

「こんな素敵な曲が作れるなんて、知らなかった」

「うん。前は作れなかったから、伝刀さんの思い違いじゃないよ」

「どうやって曲を作るの?」

「それは、もちろん早起きだよ。早起きにしてね、誰もいない町を歩くんだ。そうすると、誰もいないのに、そこにいたことのある人や、もういなくなった人や、いるかもしれない人の声や歌が聞こえてくる。それを覚えておいて家に帰って曲にするだけ。かんたんだよ」


 ジマーの脅威は、いまなお世界中に暗い影を落としている。都市化コミュナイズされなかった地域の生活水準は二〇世紀初頭のそれに達しておらず、都市コミューンに暮らす私達の生活にもその歪みの影響は及ぶ。今の私達は、それを日常の風景の一部として生きてゆくことを強いられている。

 人間同士の戦争はなくなった。革命は、成功したのかもしれない。だが、失われた人の命と、あり得たはずの未来は、決して戻らない。

 ときどき、ジマーのいない世界はどんなものだろうか、と考えることもある。

 私もたまには早起きして、まどろむ都市まちを歩いてみようか。

 あのころには見過ごしていたものと、そしていまだに見えないものと、出会えるかもしれない。

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ヴァーミリオン戦記・白銀のジェルミナール 谷樫陥穽 @aufdemmond

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