部活はあった

 一九八〇年五月二三日。日本時間で十三時、現地時間の朝六時にフランスのナントという町が所属不明の軍隊による空襲を受けた。町の中心部や郊外の工場は壊滅し、三万七千人もの犠牲者がでた。怪我をした人や家を失った人は町の総人口の七割で、被害を受けた町の様子は何度も繰り返しテレビで放映されたけど、その風景は、これまで教科書の写真やテレビで見たことのある戦災の様子、たとえば第二次大戦の東京大空襲とか、イスラエルに爆撃された中東のなんとかっていう都市とか、そういうものとは全然違っていた。

 すべての建物の二階より上の部分が、まるで巨人の大きな腕で根こそぎなぎ払われたように無くなっていた。道という道を瓦礫が埋め尽くし、上空からはまるで白い砂漠のように見えた。何百年もの歴史のある教会も、二〇階建ての高層ビルも粉々にくだかれたのだ。 

 『新型爆弾』という言葉が新聞やテレビのおなじみになった。原爆や水爆と違ってほとんど熱を出さないのに、同じくらいの破壊力があるという。これを『見えない飛行機』が落としていったのだと。

 ソ連の秘密兵器じゃないか、と西側の国々は疑った。ソ連が、「うちの国は関係ない。痛ましい事件に対して哀悼の意を表し、被害を受けた人々を支援する用意がある」というコメントを出して間もなく、つまり最初の空襲から三日後に今度はフランスのツールーズという大都市が空襲を受けた。ツールーズはフランスでも三番目に大きな町で、ナントの何倍もの犠牲者が出て、今度は爆撃した飛行機の映像が残された。これも何度もテレビに映ったけれど、ブーメランのような形をした真っ黒な飛行機で、どこの国のものでもない、今まで一度も目撃されたこともない、ということだった。青い空にくっきりと浮かぶ黒い姿は全然『見えなく』ないのに、なんで『見えない飛行機』なのだと思ったら、それはレーダーに映らないという意味なのだった。

 正体不明の軍隊には『ジマー』という名前がつけられた。テレビや新聞では最初『敵性自動機械群ジマー』という言い方をしていて、お父さんは「馬から落ちて落馬してるな」と、けちをつけていたけど、やがて漢字の部分はなくなって、ただの『ジマー』と呼ぶことが多くなった。ジマーはこういう英語の頭文字を繋げたものだ、と英語の小牧先生が得意げに教えてくれたけど、それが英語ではなくてフランス語だとわかって、小牧先生の評判は落ちた。

 六月にはいると毎日のようにヨーロッパの都市がジマーの空襲を受けるようになった。フランスだけではなく、西ドイツやオランダやスペインでも、東側の東ドイツやルーマニアや、ソ連に対しても空襲が始まった。一度空襲を受け、その片付けをしているときに再び空襲を受けることもあった。家を無くした人達は都市を離れて郊外に避難したり、ヨーロッパから別の地域に逃げる人も増えていった。

 ジマーがどの国の軍隊なのか、どこから飛んでくるのか、新型爆弾はどういうしくみなのか。そういったことは一ヶ月たってもわからず、アメリカやソ連の最新鋭の戦闘機も役に立たなかった。それが七月の終わり頃に、対抗策が見つかり、特殊部隊が結成されたというニュースが届いた。でもその特殊部隊は、人数が足りていなくて、せいぜい一つの町を空襲から守るのが精いっぱいで、結局ジマーの侵略の勢いはとまっていないのだ。

「日本やアジアの国々はジマーの攻撃の対象にならないでしょう」

 と自信たっぷりに評論家の人が言うのを、母さんは嘘くさいよね、と言う。ジマーがどこの国の軍隊で、何を目的としているのかもわからないのに、日本が大丈夫だなんて言えるわけがない、と。ところが、被害をうけたヨーロッパの人達も、評論家と同じように思っているらしく、アメリカやオーストラリアではなく、アジアに来たがっていて、中でも日本に来たいという人が多かった。そこで日本では、筑波学園都市に大量の住宅を造って、そこでヨーロッパから避難民を受け入れることにした。筑波で準備ができるまでの間も、日本中の公営住宅や公務員住宅の空き部屋を使ってヨーロッパから逃げてきた人達を受け入れることが決まった。わたしの住んでいる団地はとにかく古かったけど、何棟もあって、わたしの階段の一階にもフランス人の一家がやってきた。それがパドメだった。パドメはおばあさんが中国人か日本人で、日本に来る前から片言の日本語を話すことができた。

「えり好みしてるわけだ。しっぺ返しをくらわなきゃいいがな」

 団地で外国からの難民を受け入れるという話を聞いて、お父さんは皮肉っぽくつぶやいた。それは新聞にも書いてあったけど、ベトナム戦争の難民とかはほとんど受け入れなかったのに、なんでヨーロッパの難民は受け入れるのか、ということらしい。

「うちのおばあちゃん、もう最近一日一回はバケツリレーの話するんだよね。消火訓練が役に立つなんで、全くの嘘っぱちだった、政府のいうことなんか信じちゃだめだって」

「ああ、うちもうちも。うちは親も昭和一桁だから、親がうるさいんだよね。最近、ほんと戦争中の話ばっか。自衛隊はどうせ役にたたないとか、校庭を畑にした方がいいとか」

「そんなに言うなら、田舎に逃げればいいのにね」

「それどころか、うちの父親とかめちゃくちゃ忙しいみたい。お盆も仕事でさ、なんかすごい景気がいいんだって」

「そうそう。お小遣い増えたもん」

「え、いーなー」

「でも、お給料が増えたからって外で食事しようっていって、そこでの話題が、日本も危ないから田舎に逃げるとかって、大人ってなんか全然おかしくない? お小遣いが増えたのは嬉しいけど、あたしあきれちゃったよ」

 学活は十一時には終わるけど、わたし達合奏部は当然その後に練習がある。今日は最初から穂積先生も北村先生も職員会議で来られないのがわかっていたせいもあって、練習はダレダレだった。お昼をはさんで三時までが個人練、その後五時までがパート練ということになっているけど、それを伝えてくれた部長の西村先輩は早退してしまった。西村先輩のチェロを弾いているのはパドメで、真面目に個人練をしているのはパドメを囲んだチェロパートくらいのものだ。

 セカンドバイオリオンの二人の三年生の女子は、優しくて良い先輩だとは思うけど、夏休みの間に全然曲がさらえてなくて、二プルート目になることが決まっていた。今は一応練習しているけど、四時頃には塾があるので帰るという。つまり、みどりちゃんは未経験者の二年生でセカンドのパートリーダーになってしまったのだ。

「みどりちゃん、もうパート練にした方がいいと思わない?」

 みどりちゃんが弓を停めた隙をねらってはなしかけると、ほんの一瞬考え込む表情をしてから頷いてくれた。

「うん。一旦パート練にして、そのあとまた個人練でもいいかも」

「じゃあ、先生に言ってくるよ」

「言わなくていいと思う」

 もともとクールなみどりちゃんだったが、最近はちょっと冷たいというか、難しい顔をしていることが多くなった。夏休みの一大イベントだったわたしたち二人での北アルプス行きは中止になってしまったし、みどりちゃんのお父さんは忙しくて週に一回か二回くらいしか帰ってこないという。うちのお父さんは昔からずっとそんな感じだったけど、みどりちゃんのお父さんは大学に勤めていて、おうちで仕事することも多かったのだ。

「他のパートはまかせよう。それよりアカネちゃん、例の健康診断の時間じゃないの?」

「あ、忘れてた!」

 わたしは、バイオリンの弓を緩めるのも忘れて音楽室を飛び出すところだった。

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