第3-6話「忠犬」
住宅街の上空を飛び回って、一人の人間を探す犬がいる。名をドグシー。彼は大型犬のジャーマン・シェパードと魂魄融合を果たすことで頭を三つ創り出してドグシーケルベロスとして活動する。その頭の形は実在するものを象っていて、ドグシー、ジャーマン・シェパード、ウォルフの三人で構成されている。
ケルベロスというのは一度に起きている頭が二つあり、一つは必ず眠りについている。一度それを入れ替えてしまうと入れ替わるには時間がかかる。先程まではドグシーとウォルフで起きていたのだが、大きな音に驚いたジャーマン・シェパードが目を覚まして強制的にウォルフを下がらせた。結果として、現在起きて活動している頭はドグシーとジャーマン・シェパードの二人。身体の支配権は相も変わらずドグシーが占拠している。
臭いを嗅ぎながらどこかに隠れているであろうスターウルフの存在を探していた。しかし、ウォルフの無機物憑依の力を使って、空気の流れが悪い。臭いが散らされ、スターウルフの居場所が特定出来ずにいる。
『くそっ、くそっ、もう少しだったのに……っ!!』
「わふぅ」
『アンタは悪くねッスよ。伏兵を隠し持ってたってことッスね。アイツ』
自分の責任と悪びれるジャーマン・シェパードに励ましの言葉を告げるドグシー。ウォルフはドグシーケルベロスの魂魄融合は完璧ではないと評していたが、それはある意味間違いだ。ジャーマン・シェパードには戦うことを知らなかったからドグシーが魂魄融合で動いていたのだ。無理矢理身体の支配権を奪っていた訳では無い。二人の間にはそれなりに信頼関係が築かれていたのだ。
もしかしたら信頼関係の度合いでいうならユウとウォルフよりも上かもしれない。それは魂の適合率も高く、同じ犬型の生物であることが要因だ。左利きの辛さを知るのは同じ左利きしか知らないように、犬にしかわからない辛さや境遇を知るのは犬のみ。そういう意味ではユウとウォルフの関係性よりもジャーマン・シェパードとドグシーの絆の方が大きい。最も、絆の深さを競うほど馬鹿らしい話はないのだが、魂魄融合においてはその深さがものを言うことがある。
『アンタは僕に任せて身を委ねるといいッスよ』
「わんっ」
ドグシーはそう言って身体を支配して動き始めた。
このやりとりで隙が生じた。臭いから意識を逸らしていたため、気づかなかった背後に突如現れたスターウルフの存在を。
爪を構えたスターウルフはドグシーの背後に出て切り裂くように振り抜いた。瞬間に漏れ出た臭いを感知したドグシーは、咄嗟に爪を背後に構えて受け止めることに成功した。
『まだ諦めてないんスか、人間』
「聞きたいことがあってね、少し落ち着いて話をしたいんだよ」
『人間と話すことはないッス。とっとと死んで兄貴を開放するッスよ』
スターウルフの爪を振り払い、もう一方の腕を構えたドグシーは爪を立てて攻勢に入る。それをもう一方の片腕でいなしたスターウルフは左足でドグシーケルベロスを蹴飛ばして距離をとる。その後、ブーツをジェット機に変えて直線の猛スピードで接近。右腕の爪を突き出してドグシーケルベロスに迫る。それを受け止めようとドグシーケルベロスは両腕を盾にして衝撃にそなえる。しかし、ジェット機で加速したスターウルフの一撃は受け止めきれない。身体が貫かれる事態は避けられても、衝撃を殺すことは叶わず、背後に突き飛ばされてしまう。幸いにも電柱に激突したことで大した距離はできなかった。だが、それはスターウルフが狙ってやったことだった。
吹き飛ばされることは止めても、衝撃が身体を襲うのは変わらない。逆に激突したことでダメージは増加してしまっている。身体は痺れ、硬直してしまった。その隙にスターウルフはグローブを
『させねッス!!』
電柱を足場に垂直に跳躍し、自身の右手の爪を突き出した。その爪は
それほど大きく遠ざかることもなかったため、すぐに体制を立て直して爪を構える。だが、ドグシーの表情は怪訝なものとなる。一瞬だけ視線を外してしまったため、スターウルフの行動を確認出来なかった。そして視線を戻したらスターウルフは接近していたのだ。
もし
すぐにその理由はわかった。
その光の線をスターウルフは片手上段で構えて振り下ろした。それを受け止めるために爪を前方に構える。
『そんなんじゃ間に合わねぇよ!! ドグシー!!』
ドグシーケルベロスの爪とスターウルフの光の棒が接触した。普通ならまた先程と同じように刃の応酬が始まるはずだ。しかし、ドグシーケルベロスの爪は光の棒に触れると同時に綺麗に切断されていく。
『な……っ』
爪を突破した光の棒はドグシーケルベロスの身を一刀両断にした。ドグシーと偽ウォルフの頭を分離するように分断した。
ドグシーケルベロスは倒れながらスターウルフの……、英 優雨の目を見る。恐怖に震えていたその瞳は覚悟の色に染まっていた。思わず爪で光の棒と打ち合おうとしたのはその瞳の色に釣られたからと言えないこともない。
『あに……き……っ』
ドグシーの魂魄融合は解けてしまい、一匹の気絶したジャーマン・シェパードだけがその場に残った。
====
「魂魄融合っつうのは、アグレッサーにとっては諸刃の刃でもある」
戦闘が終わり、魂魄融合を解いたウォルフは倒れたジャーマン・シェパードを前にしてそう語る。
本来、魂魄融合を解いたら肉体を差し出した生物とアグレッサーの二つの生体がその場で分離するはずだ。しかし、それは魂魄の整合率が八割以下である場合に限る。
アグレッサーが生体に取り憑く場合のパターンは二つあり、《憑依》と《魂魄融合》がある。憑依の場合は、生物によるが二割から六割ほどの整合性が必要だ。それによってアグレッサー自身の力も強化する確率が変わる。一方で魂魄融合とは完全に生体とアグレッサーの魂が合成することをいう。八割程の整合性を要しており、ユウとウォルフはそれをクリアしている。ここで一つ罠が仕掛けられていて、例えばユウが狼なら魂魄融合のリスクは大幅に上がってしまう。整合性が八割に抑えられているのはウォルフとユウで生物としてのモデルが別物にあるからだ。もし同じ生物モデルならほぼ十割の整合性を発揮してしまう。その場合、一度魂魄融合をしてしまうと永遠にその肉体から分離できなくなってしまう。
ドグシーとジャーマン・シェパードの間にはそれが起こっている。
「つまりこの大型犬がもうドグシーそのものってわけ?」
「そうだ。この犬が死ねば、ドグシーも死ぬ。文字通り運命共同体になってしまったわけだ。こいつらは」
ウォルフだって魂魄融合をする前に夢奏に話を聞いたぐらいに調査をしていた。アグレッサーの五倍の力を引き出す能力をノーリスクでできるはずがないと踏んでのことだった。しかし、ドグシーの場合は功を焦ってしまった。事前の調査なしに魂魄融合できる生体を見つけたドグシーは、これをチャンスだと思った。さっさと魂魄融合をしてウォルフを連れ戻そうとしたのだ。
それ故にウォルフはドグシーをクソガキと評する。都合の良い情報だけを信じ、都合の悪い情報は調査をすることもない。魂魄融合を五倍の力を発揮する便利アイテムとして認識していたのだ。
「そんな都合の良いものなんざ、この世界には存在しないことくらいわかりそうなもんだがな」
「それはウォルフと仲良くしたいって焦ったからじゃないの。もう少し歩み寄ってもいいんじゃない?」
「……クソガキとは寄り添わねぇよ」
ユウがドグシーに対して軽く同情した言葉を付けてみる。一方で聞く耳を持たないウォルフ。顔を逸らして表情をユウに見せないようにしてるところ、軽く考えが変わっているのかもしれない。
「あっそ、まぁウォルフの好きにすればいいと思うよ」
もしウォルフの友人が増えるならユウにとっても都合がいい。目的をはっきりさせた現在、ウォルフにアグレッサーの友人ができるなら父親のことを聞くチャンスが生まれる。
無論、戦って無理やり聞き出すことも視野に入れるべきかもしれないが、友好的に聞き出すのが一番の理想だ。
「とりあえずドグシーに聞いてみようかな」
「そうか。おいクソガキ。起きやがれ」
ユウの決断を聞いたウォルフは粗雑にジャーマン・シェパードを蹴飛ばした。起こそうとした行動だが、一回の蹴りでは変わらない。何度も蹴飛ばしてジャーマン・シェパードの身体を刺激する。
もしかしたら身体の所有権を精神内で取り合ってるのかもしれない。魂魄融合を解いた後もドグシーはジャーマン・シェパードの中に取り憑いたままだ。一つの肉体に二つの魂が存在することになる。それは肉体を取り合ってる状態にあるといってもいいかもしれない。
「こりゃあしばらく目ぇ覚まさねぇぞ」
「じゃあどうするの? 連れて帰るの?」
「このまま放置でいいだろ」
このまま捨て置いて帰るのははばかられるユウの質問に対して、冷たく突き放す言葉を放った。これはウォルフ特有の感覚なのか、アグレッサーとして当然の認識なのかを判断出来ない。
「それは冷たくない?」
「こいつが目を覚ました時、テメェに攻撃してきたら対処出来るか? 常に魂魄融合していられるわけじゃねぇぞ」
「そうなんだけど…………」
「それに、こいつが攻撃するのがテメェなら百歩譲っていいとしても、他の人間を襲わねぇ保証がねぇ。安全を喫するなら拾わねぇのが正解だ」
「…………そうだね」
ドグシーの存在が安全であると言いきれない。ウォルフの物言いはほぼ正論だった。確かに父親のことを聞くことはユウの重要案件だ。しかし、それを家族や友人に迷惑を掛けていい理由にはならない。仮にここで見捨てたとしても、アグレッサーならなんとかするだろうという決めつけもユウの中にはあった。最も、ウォルフはそこを気遣うことはない。ただ危険だから遠ざける。それだけの認識だった。
「じゃあ計山拾って帰るぞ」
「そうだね。行こうか」
====
六月下旬。雨の多い季節。今も住宅街に大雨が降り注ぐ。
住宅街に一匹の犬が目を覚ました。暗い空を見上げて大粒の雨を一身に受けながら佇んでいる。
夜というほど暗くなく、昼というには明るくもない。夕方に差し掛かった時間といってもいい空色。気持ちは落ち込んでしまう。雨によって憂鬱な気分は加算されていく。
彼は先程まで、憧れの存在と戦闘していた。それは憧れの存在の気を引きたいから。あの人の隣にいるのは自分なのだと証明したかったから。でもその憧れの存在は真っ向から否定してきた。現在隣にいた彼ではない人間がいて、見せつけるように戦いに参加していた。
その犬の顔には、大粒の雨に打たれて水滴が覆っている。それが涙を流しているように見えるから不思議だ。
「兄貴……」
頭には憧れの存在である兄貴を思い浮かべていた。完璧な拒絶を目の当たりにして、彼はさらに気分が落ち込んでしまう。冷静になることでその事実が心を打ち付ける。
そんな彼の元に、一人の人間が近づいていた。
「あなた、そんなボロボロになって……、うちに来ない?」
「……誰」
「大丈夫。あったかいご飯、あるから」
小さな人間の手を彼の頭に添える。
彼の言葉は人間の耳では認識できなかった。その人間の耳には「わん」という声が聞こえただけだったのだ。
「好きにすればいいッス」
彼は自暴自棄になっていた。
もうなんでもいい。憧れの兄貴に見捨てられたことを実感してしまい、希望を失っている。
こうして忠犬のドグシーは、人に対する忠犬となるのだった。
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