第7話「押しかけ女房」




「テメェ!! カリ……、白河さんを名前で呼んでんじゃねぇ!!」


 沈黙をたもちながら見詰め合っているユウとカリンの間を引き裂いたのはタケシ。つい調子にのって『カリン』と呼びそうになったのを抑えて、叫びながらユウを突き飛ばす。

 ユウはそのまま立っていられなくて尻餅をついてしまう。


「な、何するんだよ! 豪谷!!」

「テメェが白河さんの嫌がる事をするからだ!!」

「嫌がる事? それってなに?」

「名前で呼ぶ事だよ!!」


 タケシの言葉を聞いて、ユウは視線をカリンに向ける。ユウにとっては『カリン』というのはただの『カリン』に過ぎない。その上、カリンの父も『白河さん』という名前なので、カリンにまで『白河さん』などと呼ぶとややこしくなってしまう。だから小さいころからカリンを『カリン』と呼ぶようにしている。その事情を知っているカリンは特に嫌そうな顔をしない。この呼び方を当然のように受け入れている。


「豪谷。ユウは別にいいのよ」

「え……!? 白河さん、なんではなぶさには名前で……っ」

「そりゃユウとは家族ぐるみで付き合いがあるからよ。いちいち苗字で呼び合うのに拘っていたらややこしいわよ」


 それに、昔からユウとカリンは名前で呼び合っている。今更苗字呼びに変わると違和感を覚えるのだ。


「で、なんの用なの? 豪谷、カリン」


 特に意識して呼んだわけではないが、タケシにとってはユウに見せ付けられているように見えてとても不快だった。怒りのあまり青筋が浮かんでいた。


「ボクもいますよ。英君」

計山けいやま君」


 自分の名前を呼ばれなかったから自分の存在をアピールしたデンタ。しかし、ユウにとっては誰がどこにいようとどうでもよいことだった。

 先ほどからウォルフがユウをせかしていて、ついには


「はーやーくーー!!」


 と耳の傍で叫ぶので手に負えなくなっている。早く出かけてウォルフを静めたいところだ。


「何の用って、迎えに来たに決まってるじゃない」

「迎えぇ? なんでカリンが?」

「私が中学受験をするためよ」

「なんでボクを迎えに来ることが中学受験に関係してくるの?」

「そうしないとお父さんが受験を受けさせてくれないのよ。だから学校に来なさい。毎日」

「はぁ!?」


 カリンの自分勝手な事情、傲慢な命令にさすがのユウも憤慨する。ウォルフには自己紹介を強要させられたが、それは考え方の違いだと納得したものだ。しかし、付き合いの長いカリンに対するなら話は別だ。

 カリンであればユウがこう言われると腹が立つことを知っているはずだ。


「なんでカリンに言われなきゃ行けないんだよ!! そんなこと!!」

「普通、私に言われなくても行かなきゃいけないのは当然でしょ。あなたは小学生なのよ」

「それ話が違う。なんでカリンの中学受験なんかのために学校に行かなくちゃいけないんだよ!!」

「あなたが学校に行かないと、お父さんが私を受験させてくれないって言うからに決まってるじゃない。それ以外に理由がある?」


 ユウはあまりに自分本位なカリンの態度を前に、さらにイラつきのパロメーターを上げていく。このまま反論をしてもよかったが、そうは問屋が卸さなかった。


「ユウテメェ!! いつまでそこでじっとしてるつもりだ!! もうガッコウだろうがどこだろうがどっちでもいい!! さっさと行きやがれ!! 行け!! 行けやぁぁ!!」


 耳元でそう叫ばれて、ユウはもうカリンの存在所ではなくなっている。もうこれは鼓膜破れるのではないかと心配だ。しかし、目の前のカリンはなかなかその場を動かないこともユウは知っている。

 カリンは中学受験のための内申を気にしている。遅刻寸前まで粘ることはまずありえない事だ。ユウを連れ出す以前に、自分が遅刻するのはありえない行為なのだ。逆を言えば、遅刻寸前にならない限り梃子でも動かないのも彼女だ。そこまでユウは粘ってもよいが、隣の異世界人がそうはさせてはくれないだろう。


「わかった!!もうわかったから!! 学校行ってやるからもう叫ばないでよ!!」


 この言葉はカリンらにではなく、ウォルフに叫んだ言葉だった。しかし彼女らからはウォルフの姿を見ることはできないため、怪訝な表情を見せていた。


「私たちが何を叫んでるのよ」

「こっちの話だよ!! 全く……」

「でもユウにしては珍しいわね。あなたならここで怒ってたはずなのに」

「それもこっちの話なの!! ちょっと荷物取ってくる……」

「今日はどの教科やるのか、あなた知らないでしょ。少し時間割変わってるのよ。私が手伝うから、早く行きましょ」


 ユウが引き返して自室に学生カバンを取りに行く。荷物を取る宣言をしたのはカリンらというより、どちらかといえばウォルフに言った言葉だ。

 そんなユウに少しだけ違和感を持ったカリンだったが、あまりにどうでもいいことだったから話をすぐに切り替える。

 先週の水、木曜日に登校して以来休んでいたため、ユウは昨日時間割が変更したことを告げた上で宣言しながらはなぶさ家に侵入する。それに倣ってタケシも入ろうとしたのだが……。


「あ、アンタ達は玄関前ここで待ってなさい」

「え!? なんで!?」

「なんでって、ユウにだってあなた達に見られたくないものはあるでしょ。それに、大勢で押し掛けたら迷惑だわ」


 そう言いながらカリンは玄関に入って扉を閉めて靴を脱ぐ。玄関前で苦虫を噛み潰したような表情で睨みつけるタケシ。それを若干距離を取ってカリンらが出てくるのを待ってるデンタが取り残される。


「ボクは君にも見られたくないものがあるんだけど」

「それは建前よ。本音は迷惑の方だから」

「母さんに対する?」

「当たり前でしょ。別にアンタの部屋なんて何を見てもどうも思わないから」


 そう言いながらカリンが真っ先にユウの部屋に入ると、やはりというか、予想通りに部屋を物色し始めた。部屋に備え付けられた勉強机からいくつか教科書とノートを抜き出し、学生カバンに入れ始める。なぜカリンがそんなことをするのかと不満げに扉の前でユウが見つめる。


「そんな目で見ないの。私が手を引っ張らないと結局あんた逃げるじゃない」

「逃げないよ」

「どうかしらね。アンタが休んだ分のノートも取ってあるから、帰りに私の家に寄るのよ」

「なんで!?」

「そうしないとお父さんがうるさいのよ」


 父からの手紙がなければ早めに登校して一時間ほど受験勉強をするつもりだったため、かなり時間が余っている。

 テーブルに散乱している本や漫画をまとめて本棚に入れたりして片付けを初めた。


「ちょっと待ってよ!! なんで片付けなんてしてんの!?」

「なんでって、暇だからよ」

「もういいから出ようよ!!」

「何言ってんのよ。こんなに散らかしちゃって。でも、こんな趣味アンタにあったのね」


 そう言いながら机の上から持ち上げた小さな紺色の立方体の箱がある。すでに開いていたようで、中には銀色の指輪が入っていた。狼のような型を取った指輪ではあるが、どこか質素に見える。


「え、ボクそんなの知らないよ」

「そうなの? まぁ趣味の悪いデザインだから日和さんのではないのはわかるけど」

「これは……」


 見覚えのない指輪に首を傾げるユウの耳に届いたウォルフの言葉。


「ユウ。こいつはお前のだ」

「え? ボクの?」

「とにかく付けておけ」


 ユウはカリンから箱を受け取って指輪を右手の中指に嵌めてみる。


「ぴったりだ……」

「まぁとうでもいいけど、学校では外しておきなさいね」

「いやダメだ。常につけておけ」

「どっちなの……」


 二人の反対の意見を耳にしてユウは頭が混乱してきた。




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