第3-4話「恐怖」




 ケルベロス。地獄の番犬とよばれる幻獣の一匹だ。一つの胴体に三つの頭が存在する犬のことで、それぞれがそれぞれに思考能力を有している。一度に活動するのは二頭の頭で、残りの一頭は眠りにつくことで、常時活動できる幻獣であるとされている。

 地獄の番犬という通り名は伊達ではない。地獄に入ろうとする不届き者をを噛み殺し、地獄から逃げ出した物をまさに地獄の底まで追いかけ回して落とすのだそうだ。

 魂魄融合をした時の形状は、精神状態が大きく左右する。何かを希望するならそれに準じた形になり、私怨で満たされていれば歪な形になる。スターウルフの場合、互いを尊重する間柄。故に、人と狼が同化した形を取っている。そしてドグシーケルベロスの場合、ドグシーと魂魄融合をしたジャーマン・シェパード。双方が人間に対して怨念を抱えている。そしてドグシーはウォルフに対して依存している。それが三つの犬頭を形成した姿になる。一つはドグシーの顔。もう一つがジャーマン・シェパード。最後の一つが……。


『オレの顔を象ってんじゃねぇよ、気持ちわりぃな』


 まさしくウォルフの顔だった。これはドグシーが完全にウォルフを敬っていることの証明だ。だが、それには一つ語弊がある。


『なんだ、ここは。誰だテメェは』


 ケルベロスの一部となっているウォルフの頭がすぐ隣、真ん中にいるドグシーの頭に問いかける。


『僕はドグシーっスよ、兄貴』

『知らねーよ。テメェのことなんざ興味ねぇな』

『兄貴……』


 普通ならここで憤慨する状況を作り出すケルベロスウォルフ。傍から見ているユウですら「自分から聞いておいて……」と自然と本物のウォルフにジト目を向けている始末。

 しかし、ドグシーは違った。その傍若無人なケルベロスウォルフを見て恍惚な表情を浮かべている。これこそがウォルフのあるべき姿。一匹狼として名を轟かせた男の本来の形。ドグシーが思い描いた理想がそこには詰まっていた。


『さすがにオレはそこまで傍若無人じゃねぇよ』


 本物のウォルフはケルベロスに映る自分を見てそういう。なんか似たようなことをやってるような、やっていないようなと考えるユウ。もちろん魂で同化しているウォルフもその考えを察知したようで、少しだけムッとした表情を浮かべる。反論しようとウォルフは言葉を放とうとするが、状況はそんな場合ではないと言わんばかりに動き出した。

 ウォルフの顔をしたケルベロスが大きく口を開けて、エネルギーを溜め始める。その向きは明らかにスターウルフを狙ったものだ。エネルギーは即座に溜まり、一気に射出される。咄嗟の出来事で面食らったユウ。それでもウォルフがスターウルフの身体を占拠して横に逸らすことでエネルギーの塊から避難することに成功した。ケルベロスウォルフから放たれたエネルギーはそのままスターウルフの背後にある公園の木にぶつかる。木は粉々に崩れ去り、生えていた葉が散り散りに崩れ落ちていく。

 何を吐いたのかをユウははっきりとはわからなかった。しかし、直撃を受けてしまえば命取りであることはよくわかる。


『オレと同じ力を持つテメェ、何者だ』

「技を放ってから言うのもなんだかウォルフっぽい」

『ケンカ売ってんのかテメェ』


 ケルベロスウォルフの様子をユウが評したところ、本物のウォルフが気に食わなかったようでイラつきを感じていた。偽物の自分が傍若無人に振る舞う様を見て不満に思っていた。

 確かにドグシーはウォルフを尊敬している。だがそれは、一匹狼という称号を持つウォルフであって、スターウルフとなったウォルフはそれに値しない。誰にも従わず、誰も従わせない。誰とも関わらず誰にも媚びない。誰をも寄せ付けず、誰にも寄り添わない。そんな孤独で孤高な存在。魂魄融合をして理想のウォルフをドグシーは作り出した。本物のウォルフがその通りのアグレッサーならあるいは関心していたかもしれない。よくできてるなとドグシーを褒め称えたかもしれない。

 だが、ウォルフはそれを見て気味悪がっているだけ。


 ドッペルゲンガーという妖怪のことをご存知だろうか。自分と瓜二つの姿で現れる妖怪で、二人は出会ってしまうと殺し合いを始めるのだそうだ。どんな温厚な性格をした人間でも、ドッペルゲンガーの前では理性を保たない。保てない。ただ本能に従って攻撃性を増して殺意を抱くのだそうだ。アグレッサーのドッペルの能力はそこから来ているのだが、その話は置いておこう。ウォルフの今の敵意はそれと似た現象なのかもしれない。

 とにかくウォルフはドグシーと、ケルベロスウォルフに対して殺意を抱いている。それは今の魂魄融合をしているユウにも伝わった。この状況、非常にまずいのではと危機感を抱かせるには十分の材料が揃っている。

 いつも戦う時、冷静な状況判断でアドバイスをしてくれるウォルフ。そんな彼が感情的に殺意を抱いている。その時にユウにしっかりとアドバイスをくれるだろうか。身体の支配権を無理やり奪われて逆にピンチに陥るのではと疑心暗鬼になってしまう。


『ユウ、どの道オレらはこういう状況には陥っていた。なら遅かれ早かれっつうやつだ』


 だか、ウォルフは極めて冷静だった。魂魄融合をしたと言っても、完璧に心を読み解くほど繋がる訳では無い。こいつはなんとなくこんな考えを持っている。こんな感情を抱いていると察知しあうことのできる状態が魂魄融合だ。だからウォルフが敵意を剥き出しにしていることを危惧するユウ。ユウが不安に思っていることを緊張からくるものだと思うウォルフ。どちらも曖昧にしか考えを持つ共有できない。

 だから冷静に話を出来る状態のウォルフに若干の驚きをユウは感じていた。


『何を驚いてんのか知らねぇが、油断すんな。敵はテメェを殺す気で来てんだぞ。来るぞ!!』


 ケルベロスウォルフの存在に強い衝撃を受けたユウは固まっていた。そこにケルベロスドグシーは走り出し、右前足の爪を突き出してきた。ユウはなんとか自分の左手の爪を構えて正面から受ける。

 互いに力は拮抗してるように見えるが、分はドグシーにある。左前足の爪を上から打ち込み、左の爪でスターウルフは受ける。攻撃を受けるスターウルフは人型。犬型の姿を持つドグシーは完全に体重をその爪に掛けている状態。スターウルフの動きを止めるのには充分な要素となっている。そこにドグシーは口からエネルギー弾を放つ。

 スターウルフはなんとかケルベロスドグシーのエネルギー弾から逃れるが、連続してエネルギー弾が飛んでくる。ブーツをジェット機に変化させたスターウルフは空を飛んでエネルギー弾を真正面から受けないように素早く動き回った。その間に右手のグローブを変化させて光弾銃レーザーガンを作り出した。そこから光弾レーザーを放った。

 光弾レーザーは文字通り光の弾だ。光の速さは音速を超える。時速に換算するなら10億8000km。光弾を放ってから避けることが可能なのはエレクトのみ。ドグシーの場合は速度が圧倒的に足りない。しかし、それは放ってからの話だ。放つ前に起動を読んで身体を逸らせれば光弾を避けることは可能だ。

 そして光弾銃は相当なエネルギーを消費する。光速の弾を打ち出すのだから当然だ。その隙をドグシーケルベロスは見逃さず、一気に飛び上がって距離を詰める。空中で爪と爪の応酬が始まる。


『右から来るぞ、ユウ!!』


 激しい応酬の中、ウォルフは時々ユウの手助けをしながら警告を放つ。ユウは戦闘では素人だ。一ヶ月ほど戦闘訓練をしていたとはいえ、実戦経験はどうしてもアグレッサーと戦わなければ得られるものではない。命懸けとはいえ、今回のドグシーとの戦闘は好機ともいえる。

 しかし、やはり分は悪い。ユウがメインで身体を動かすスターウルフに対し、ドグシーケルベロスは完璧にドグシーが身体を占拠している。つまりドグシーの戦闘経験がそのまま動きに昇華されている状態だ。

 簡単に勝利できる相手ではない。


『焦んな、焦んなよ、ユウ。焦ったら負けるぞ!!』

「でも……っ」

『勝ちを急がなくていい、勝機をゆっくり探せ!!』


 ヒーローとして戦うことになるスターウルフ。しかし、ユウは戦いを快感には思えない。痛いのは嫌いだし、殴るのも嫌だ。傷付く敵を見て心苦しく思うし、怪我をして血を流すのを想像するだけで恐ろしい。だから早く戦いを終わらせたいと思うのは誰にも責められたことではない。勝ちを急ぐ気持ちが浮かび上がってしまう。

 ウォルフに言わせればそれは敗因になってしまう。だから決死に焦るな、急ぐなと励ましの言葉を掛け続ける。それが辛うじてユウを焦りから遠ざけている。

 だがどうだろう。目の前のドグシーは冷静なのだろうか。


『クソっ、クソっ、クソォ!!』


 早くユウを殺したい。早くウォルフを解放したい。偽物のウォルフではなく、本物のウォルフを隣に置きたい。そんな欲望がドグシーの戦いを左右している。隣にいるウォルフケルベロスはそんな様子を欠伸をしながら見て。完全にこの状況に関心を持つことを止めたようだ。仮にケルベロスウォルフがドグシーケルベロスに協力的なら状況はまた変わっていたかもしれないが、これがドグシーの望んだウォルフなのだから当然の結果だ。

 欲望を戦いに持ち込めば焦りとなる。それがウォルフの持論。これをうまく持っていければ決着を付けられるかもと考える。だがウォルフは気付いていない。その考えこそが勝ちを急いでいることを。


『今だ、ユウ!!』


 ユウはウォルフの合図と共に動き出す。

 爪と爪でせめぎ合っていた状況から脱し、大きく距離を離したスターウルフ。再びグローブを光弾銃に変えて光弾を作り出す。そこで一気に射出することを考える。

 一方でドグシーは勝利を急いだために、爪を大きく振りかぶって空を切ったところ。体制を大きく崩してしまっていた。そこに光弾を打ち込まれたら溜まったものじゃない。どんな体制でも異空間に避難することは可能だが、それには少し間が必要だ。もし射出された時に行おうとすれば無事では済まない。以前スターウルフと戦った四人のアグレッサー達も怪我は免れ得なかった。今もまだ動けずにいたのをドグシーは思い浮かべる。

 やばいと思った瞬間にはもう遅い。光弾は既に射出体制に取っており、エネルギーが射出口に集まっていた。そうなればもう発射するだけ。ドグシーは避けることは出来ない。


『行くぜ、ドグシー!!』

光弾光線レーザービーム!!」


 光弾銃から光弾光線レーザービームが射出される。一点を貫く光弾レーザーとは違い、広範囲に威力を分散するものだ。仮に直撃しても即死するほどの威力はなく、避けようとしても逃げようのない範囲まで広がる。これを開発した時はウォルフにお人好しなどと言われたユウだったが、それでも殺しだけはしたくなかった。だから殺さぬ技を作り出した。

 しかし、それが命取りだった。ドグシーケルベロスは咄嗟に空気の幕を作って光線を少しでも緩くしようとする。空気には様々な物質があり、それらは光を分散する性質を持つ。それが光弾を弱める手段となった。

 ドグシーケルベロスはこの状況に驚愕する。しかし、すぐに切り替えて飛び出した。

 光弾光線を射出したばかりのスターウルフに向かって爪を構えて突き出した。それをスターウルフは避ける間もなく、受ける間もなく食らってしまう。咄嗟に体制を崩したから急所を外したが、左肩を貫かれてしまい、そこから赤い鮮血が流れてしまう。


『どうやらボクの勝ち見たいッスね』

『テメェ……、どういうわけだ……』


 ウォルフは痛がるユウを気遣う余裕がなかった。なぜなら、ドグシーがやった空気を操作する技術は元々夢奏が開発したものだ。アグレッサーの能力、憑依とは生き物に限らずに無機物にも通用する。それを増幅、或いは移動させることで操作を可能とする。宇宙空間でユウの酸素を操作したのもその力を応用したものだ。

 ウォルフはその力を夢奏から教わった。本来、アグレッサーには空気を必要としない魂の生物。そんな無駄なものを使う必要がどこにあると無碍に扱った情報だったが、ウォルフだけは真面目にその力の習得をしたものだ。かなり苦労した記憶がある。

 ドグシーはその力を習得していなかったはずだ。ウォルフを真似て習得しようと努力していたことは知っていた。しかし、無機物に憑依することは想像するより難しく、断念していた。恐らく他のアグレッサーも無機物に憑依することを断念していたはずだ。

 だから気に食わない。自分が苦労して習得した技術が、こうも簡単に使われている事実が。


『どういうわけか、オレはテメェらしいからな。使えて当然だろ』


 ウォルフの疑問に答えたのは、ケルベロスウォルフだった。


『兄貴、これを兄貴と別物と思わない方がいいッスよ。兄貴の記憶、性格、技術の全てをここに込めてます。理屈は求めないでください。ずっと兄貴を見ていた僕だからできることです』


 これをドグシーは理想のウォルフであるという。しかし、それはあくまでドグシーにとっての理想だ。現実のウォルフはこんな性格ではない、こんな言い方はしないなど、細かいところで相違点がある。その中で、一番大きいのはやはりユウに攻撃を仕掛けている事だ。

 ウォルフはユウに対して友情を感じている。そんな人間に対して殺す気で攻撃を仕掛けるなどありえない話だ。


「うぅっ……」


 再び攻撃しようと爪を肩から引き抜くドグシーケルベロス。どうやら身体の支配権をドグシーではなく、ケルベロスウォルフに委ねたようだ。完全にドグシーの意志とは関係のない行動が如実に現れていた。

 引き抜かれたとこから赤い鮮血が大量に流れ出る。あまりの痛さにユウの神経が肩に集中する。

 こんな怪我をしたことはなかった。バトルアニメのようにドバドバと血が落ちる様を自分の身体で見てしまう。この光景は想像だにしないほど恐ろしいことだ。自分がこんなことになってしまうなんて。完全にユウの顔は青ざめている。


『テメェは気に食わねぇ!! さっさと死にやがれ、偽物野郎!!』


 ケルベロスウォルフはそんなスターウルフに向かって、今度は身体を縦に両断しようと爪を構えて振り下ろす。ユウの思考は完全に停止していた。このままならケルベロスウォルフの切り裂きをモロに喰らってしまう。

 しかし、スターウルフは大きく後退して両断から逃れていた。身体の支配権がウォルフに移ったのだ。


『しっかりしやがれ、ユウ!! このままだとそのケガじゃ済まねぇんだぞ!!』

「で……っ、でも……っ!!」


 わかっている。こんなこと、覚悟していたはずだった。

 戦いの運命に身を投じたユウは、どこかで必ず大きなケガをする可能性をわかっていた。それを乗り越えて、地球を、友達を守るために戦うことを選択したのはユウだ。

 しかし、それが現実になると身体が震え上がる。わかっていたのに。覚悟はしていたはずなのに。傷口を強く抑え、身体が震えるのが止まらなかった。


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