2nd epilogue
強く重い風が舞う。それは彼女の髪を乱し、揺らしながら打ち付けていた。
彼女は見つめる。あの子供の。英優雨の自室を。
彼に宣戦布告をしたのは昨夜の話。現在は見守る……否、見つめることしか彼女にはできなかった。
もう既に彼と自分とでは大きな溝を生んでしまっている。生んでしまったのではなく、造り出してしまっている。自分で掘った大きな溝。大きなしこり。これは彼らだけでなく、彼女をも蝕んでいた。
彼女にとって、アグレッサーとは羊羹にいた七人だけではない。自分を含めた十二人全員がアグレッサーであり、味方であり、仲間であった。それはウォルフも数に含まれる。
他のアグレッサーはウォルフをただの一匹狼の寂しいやつであると断定していたが、彼女だけは違った。ただの一匹狼でも、彼女にとってはウォルフも仲間であった。
本来なら地球に来たウォルフを歓迎し、仲間に迎え入れたであろう。しかし、裏切りが完全に現実となってしまった今、表立って仲間内に入れるわけにはいかない。それは彼女がアグレッサーのまとめ役であることを自覚しての行動だった。彼女が裏切り側に付いてまえば、アグレッサー達が何をしでかすかわかったものではない。特にドッペルなど彼女にさえ読めない要素があるため、常に目を光らせておく必要がある。だから彼女はアグレッサーを裏切るわけにはいかない。ユウたちの味方であるわけにはいかない。
「ヴァンパイアー!!」
そんな彼女の頭上に二人のアグレッサーが姿を現す。犬のアグレッサーであるドグシーと、人形のアグレッサーのメリーであった。
「なんじゃ、お主らも来たのか」
「僕は行く気なかったんすけどね、メリーがどうしてもって離さなくて……」
よく見ずともわかる惨状。ドグシーはドグシーで苦労していた。
メリーは自分では飛ばず、ずっとドグシーの身体を掴んで離さなかったのだろう。屋根に着地してもその手を離さず、自分の足で立ち上がることもしない。ただ彼にぶら下がっているだけだった。
「……メリーよ、お主、何を加えておる」
さらに言うなら、メリーは見慣れないものを口に加えて唇だけで感触を味わっていた。
それは人形であった。いつも持っているアリスという名の人型の人形ではなく、綿と布で造られているうさぎの人形を持っていた。見慣れぬ人形に目は行くが、それ以上の奇行が目立つ。うさぎの耳を口に加えていたのだ。
「どこで拾ったんじゃ、そんなもの」
「ほこ」
口が塞がっているため、滑舌はまともではなかったが、「そこだ」と指を指している場所がある。それは人間が廃棄物を纏める場所、ゴミ捨て場だった。
「これ、それは人間が捨てたものじゃ。ばっちぃから捨ててきんさい」
「やっ!!」
ヴァンパイアはメリーにそう指示するが、口に加える力を一層強めて顔を横に振る。
「口に加えるのもいかん。ばっちぃじゃろ」
「やっ!!」
せめて口に加えるのを止めさせようとヴァンパイアはうさぎの人形に触れるも、一向に離そうとはしない。激しく頭を横に振り、反抗の意思を見せる。流石にこの様子にたじろぐヴァンパイア。
「おぉう、これが反抗期というやつか」
「メリーにそんなこと言えんの、多分ヴァンパイアだけッスよ」
これをドグシーがやればどうなるか想像がつかない。メリーはヴァンパイア以外のアグレッサーに命令されるのを嫌う。否定されるのを嫌う。他のアグレッサーの言うことは一切聞かない。しつこく迫って来るようならブチ切れるだろう。アグレッサーはこれを恐れていた。だからドグシーは未だにぶら下がっているメリーに文句の一つも言えない。
「あれが兄貴を誑かした人間の家ッスか?」
「そうじゃ」
ドグシーはメリーを完全に無視して視線をユウの自室に向ける。その表情はやけに歪んでいた。誑かしたとは言えないだろうが、ヴァンパイアは否定しなかった。
今のヴァンパイアの視線はユウの家には向けず、メリーの持つうさぎの人形を取り上げるのに悪戦苦闘している。
「やーー!!」
ついにうさぎの人形を取り上げることに成功したヴァンパイア。メリーは完全にドグシーの存在を忘れ、両手を取り上げられたうさぎの人形に向けられていた。
取り戻させんとヴァンパイアは高い位置にうさぎの人形を構え、力を使って火を放つ。うさぎの人形は燃え尽きてしまった。
「やぁぁ―――っ!!」
メリーは泣きながら悲鳴をあげる。宝物というほど大切なものではなかったが、遊び道具としてそれなりに気に入っていた。ショックもそれなりに大きい。
「バンバンのバカ!! 嫌い!!」
「なんじゃ、随分反抗期が激しいの。何かあったかの?」
「そりゃあ随分放ったらかしにしてたからじゃないッスか」
つまりメリーは拗ねてるのだ。ほぼ毎日遊び相手をしていたヴァンパイアに数日放ったらかしにされて寂しかったのだろう。他のアグレッサーとは絶対に遊ばないし、一人で遊ぶのも、いつも手に持ってるアリスという名の人形で一人遊びするだけ。精神年齢が子供なメリーが拗ねるには充分な理由だ。
「……メリーよ、ワシはな、夢を奏でるらしいぞ」
「むーーっ!!」
唐突に話題転換するヴァンパイア。聞いているのか、聞いていないのか。メリーは頬に空気を溜めてそっぽむいていた。
「じゃから、これからはワシのことを
「ゆかな?」
「そうじゃ」
ヴァンパイア改め、夢奏はそっぽを向くのを止めたメリーの頭に手を乗せ、優しく撫で始めた。まるで孫を宥めるように。
「なんスか、それ」
「奴に貰った名じゃ。良い名じゃろう」
「……バンバンよりはマシっすね」
夢奏は気に入っていた。この名前を。
彼女は生涯この名前を語るだろう。彼に対する罪滅ぼしも兼ねて。
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