第11話 喫茶『美沙』

「はいどうぞ、お待ちどうさま」



と先ず美沙の注文の品。場違いなアイスミルクティが運ばれる。

しかし美沙はそれには目もくれず、純白の陶器へそそがれるブレンドを静かに眺めていた。


人並みの表現力しかないのがもどかしいが、本当にいい香りだ。


一口にブレンドといっても、豆の種類、焙煎の温度と時間、き方、お湯の温度、もっと言えば使用しているによって味は全く変わってくるらしい。

「ブレンドはその店そのものだ」と父が言っていたことを思い出す。



「ところで北野さんのこだわりって何ですか?」



明らかに興味津々な美沙への豆知識プレゼントを意識してそう尋ねると、『よくぞ聞いてくれた!』という表情で嬉しそうに話してくれた。



「そりゃ味だろうね。あ、美味しい美味しくないっていうんじゃなくて、なんていうかなー、『ん?なんだ、これ』って心をくすぐる味かな。驚きとか、懐かしさとか。いつだって感動は新たな出会いからっていうしね」



イマイチ理解に苦しむ顔を向けていた僕に、「まぁとにかく飲んでみてよ」とマスターが注文の品を差し出す。


鼻先をくすぐる芳醇な香りが口いっぱいに広がる。やがて一つの液体に溶け込む様々な成分が、時間差で味蕾みらいを刺激してくる。

そして最後に残るわずかな苦味。


頭の中ではそのイメージが湧いているのにどうも言葉にするのは難しく感じる。おそらく僕は食レポに向いてない性格なのだろう。


そんなことを考えながら無口に味わっている僕に、突然美沙の声が届く。



「私にもちょっとちょうだい!」


「ん?飲んで大丈夫なの?」


「うん。味、知りたいの」



僕は、珈琲が苦手な美沙の心配、というよりも、美沙の素直な評価がマスターの気を害さないかの方が気になっていた。



先ずは一口。



「ん?そんなに苦くないんだねー」という美沙の評価に対して「それブラックだぞ」と返す。


「......不思議な味がする。なんて言うか......惜しい味?」



(うっ、やっぱり...)



美沙は嘘がつけない。

僕は恐る恐るマスターの表情を確認すると、少し考え込んでいる様子だった。



(もしかして怒らせてしまった?それとも何か思うところがあるのかな...)



「もう少し聞かせて」とマスターに促され、美沙は再び言葉を続ける。



「なんだかザラついてる気がするの。水たちが何か言ってる気がする?もしかして喧嘩けんかしてる?うーん、よくわかんないけど、珈琲豆さんが悲しんでるような感じもするの......」



しばらく黙り込んでいたマスターは、その美沙の言葉を受け止めてようやく重い口を開く。



「ほんとごめん!」


「えっ?」と僕の驚いた声。


「実は......その通りなんだ」と申し訳なさそうな苦笑い。


「いつも使ってる水を切らせてしまって...... 今朝コンビニで買ってきた天然水を使ってたんだ。ほんとごめん。この豆に合わない水を使ってしまった気がしてたんだ」



表現力はいつもの美沙だ。

珈琲の味をみたというよりは、素材たちと会話でもしたのかという気になる。

なのにこのマスターを見る限りでは、まとを得た指摘だったようだ。



「あったりー!ねっねっ、私ってすごいでしょー?」とマスターに向けた笑顔に続き、すかさずお願いの声。


「北野さん、私の作った珈琲、飲んでみてよ」



(お、北野プロはどう出るのか......)



珈琲のド素人、更にいうと、珈琲が嫌いな小娘の挑戦状を受けたマスター。僕はそのことに興味を抱き、彼の返しをジッと待った。



「もちろん!あの頑固者の井上さんをうならせた味を是非味わっておきたいんだ。こっちからお願いしたいくらいだよ」


「じゃあ、れたげる!」



そう言って許可もなくカウンターに入る。

「うーん...」と周りを見回して悩んでいる様子だ。僕は一部始終を記憶に留めようと黙ったままで見つめていた。


そして突然。

「わかった!」と何かにひらめき、おもむろに準備し始める。


フライパンと蓋とざるとペーパータオル。そして、先ほど僕が飲んだものと同じ生豆きまめにコンビニの天然水。最後の二つを除けば、独自路線全開である。



(これは面白い展開になってきたぞ)



ここから珈琲完成まで、美沙は外部とのコンタクトを一切遮断し、黙って走り続ける。



まずは生豆を丁寧に水で洗う。

そのあとペーパータオルで適度に水分を取り除き、タイミングを見計らって予熱されたフライパンに投入。それから音を聞き分けながら、慎重に強火から弱火へと火力を落とす。

ここまで10分程度の作業時間だ。

工程でいうと『焙煎』になる。


フライパンの中を覗き込むと、見事なまでな漆黒に輝く豆たちが姿をみせる。意識までも支配しそうな芳ばしい香りに包まれ、僕は一人幸せな時間を堪能していた。


最後に「フーフー」と息を吹きかけて、薄皮たちを飛ばして豆が完成した。


それから先は、手動式のミルで絶妙に粗挽あらびき、ペーパーフィルターでドリップ。

僕の目には適当に作っているように見えるが、きっと彼女なりの拘りがここにもあるのだろう。



「はい、できあがりー!」



まるで、3分クッキングさながらの手捌てさばきだ。

その一部始終を黙って眺めていたマスターは眉ひとつ動かさず、おもむろに、そそがれたカップを鼻先を近づける。


「......」


そして一口含む。


「......」



(美味しいのか?美味しくないのか?ーー)

(大成功か?失敗作か?ーー)

(ーー その評価は如何いかに!?)



と一人で勝手に盛り上がっていると、マスターがようやく評価を下す。



「なあ、城之内さん。お願いがあるんだけど......」


「はい、なんでしょう?」と微笑ほほえむ。


「うちで働かない?」

「週2日、いや、週1日だけでもいいんだ!交通費も出す。時給も言い値でいい。だからうちで働いて欲しい」


「ダメ... かな......?」



(これはまさかの展開だ......)



そのマスターの真剣で熱烈なラブコールを受けた美沙は、「いいですよー。暇な日であれば!」と笑顔で軽く返す。



(軽いな......やけに)



もちろんマスターは大喜びな様子だ。

相当美沙の味に惚れたに違いない。

そんな嬉しそうなマスターに美沙が続ける。



「あ、でも水曜日だけはダメですよ!大切な日なんでー」



(ん?水曜日?大切な日?)



「相手してあげないとねる人が一番近くにいるもんでー」と僕に悪巧みな笑顔を向けている。



(ん?僕がねる?......なきゃいけないってこと......だろうな、きっと)



美沙独特の表現を翻訳するとおそらくそうなる。

僕がねないと『なんで拗ねないのよー!』と怒られてしまう展開なのだ。たぶん。



「なんなら賢太朗君も一緒にどうだい?」



おそらく美沙に気を使った『大人の発言』であろう。僕は「水曜日以外は全てバイトなのでお気遣いなく」と伝えておいた。



(そう言えば美沙の珈琲、まだ飲んでないなー)



そう思ってマスターに視線を向けると、既に全部飲み干されたカップ片手に、幸せそうに緩んだ顔がそこにあった。



(おー、これが美沙の味か。でもニヤケヅラにその濃いひげ。ないな.......)




※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※


昼食は、喫茶北野でマスターにご馳走になってしまった。お代は払わせて欲しいと懇願するも、今日のお礼ということで、いとも簡単にあしらわれてしまう。


帰り際、今後必要となってくる美沙とのやりとりのため、城之内家の個人情報を手渡し店を後にした。「じゃあ北野さん、まったねー!」と笑顔で手を振る美沙を見て、再びそのに感心してしまう。ここまで突き抜けると、もう嫉妬心すら湧いてこない。



そしてその後、せっかくの地元嵐山なので『竹林の道』を二人で歩くことにした。両脇に生い茂る竹によって200mほど木陰が続く風情ある小道。

気が遠のくようなこの暑さも和らぎ、吹き抜ける風は幾分か涼しさをはらむものだった。



(やっぱ、いいな。嵐山って)



その道を二人並んでのんびり散策していると、突然美沙が腕を絡めてきた。



「今日は楽しかった!ありがとうねー。こうやってデートしてみたかったんだー」と満面の笑み。



この美沙の幸せそうな笑顔が僕はとても気に入っている。安心するし落ち着くし。きっとこれからもそうだろう。



(やっぱ、守ってあげたくなる笑顔だな)

と微笑みで返す。



「じゃあ今日の晩御飯は、美沙のために僕が作っちゃる!」


「えっ?いいの?」


「もちろん!リクエストは?」


「うーん。じゃあオムライス!」と無邪気な笑顔。



(これから水曜日が楽しみだな)



この日作った僕のふわっふわオムライス。

大好評につき、水曜日の定番メニューに格上げされることが決まった。



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