第10話 喫茶『北風』
ジリジリと音が聞こえてきそうな日差し。
それを遮るものが何もない駅までの抜け道。
隣を歩く美沙は、
今日はいつかとは逆のルートで嵐山を目指す予定だ。まずはJR宇治駅から京都駅へ。そしてそこから45分程のバスの旅となる。バス停に並ぶ列の長さからすると、なんとか席に座れそうな予感にホッと胸をなでおろす。
美沙との出会い方を思い出した僕は、立ちっぱなしのバスの旅だけはどうしても避けたかった。
「今日は大丈夫?」
バスに揺られながら言葉をかける。
「うん。この前はお手数おかけしましたー。今日は大丈夫よ。心配してくれてるんだねー」と微笑む。
「それは良かった」
「あっつ。今も昔も京都って暑いなー」
バスを降りた瞬間の僕の一言だ。
今までの快適空間から京都の夏特有の殺人的空間に突如として環境が変わる。朝方のテレビが36℃を超えると告げていたことは、どうも嘘ではさなそうだ。
僕たちが目指すカフェは、嵐山公園のバス停から徒歩で5分程度の狭い路地にある。この嵐山付近は多少の宅地開発はあるにせよ、メイン通りはほぼ2020年と代わり
美沙をリードしながら真夏の嵐山を並んで歩く。
隣からふわりと香ってくる髪の匂い。
僕よりも一段ほど低い目線。
ふとした瞬間に触れる細くて白い腕。
お土産の試食を美味しそうに食べる横顔。
(これって恋人同士に見える...... のかな......)
普段と変わらない美沙の仕草を見ると、おそらく僕一人だけが意識してしまっていると想像する。
心のままにところどころ道草しながらも、ようやく目的地に到着した。
今一度、『旅』という古めかしい看板を探すがやはり見当たらない。その代わりに『喫茶北風』という洋風な看板が
「これがいっくんがやってきた伝説の喫茶店ね!」
既に事情を把握していた美沙が、興味津々な様子でガラス越しに中を確認する。
「うん。ここなんだ...」
カランコロンーーーー
「いらっしゃいませ」
聞き覚えがある声が、背中を押す。
美沙を引き連れて緊張気味に足を踏み入れると、目の前には見覚えのある景色が広がっていた。
壁面一面の本棚。
1994年のカレンダー。
カウンターだけの席。
つい数日前なのに、かなり昔の出来事のように思える。きっとここ数日が余りにも濃すぎる日々であったためだろう。これを運命とすれば、『激変』とか『激動』がしっくりくる。
(僕のこの世界はここからだったな..... 何もない空間から突然現れてしまったのだろうか?)
そんな疑問が脳裏を
「お、確かこの前の倒れたお兄ちゃんだよね?」
「あれから大丈夫だったかい?」
あの時はほぼ聴力と気力だけで対応したこともあり、マスターの顔を認識したのは今日が初めてとなる。
彫りが深くて凛々しい目鼻立ちに短く整えられた
「覚えていてくれたんですね。この前はお水だけいただいてしまってごめんなさい。実はあんまり覚えてないんです...... どうやってこの店にやって来たのか......とか......」
「いいよいいよ。元気なら」と優しい笑顔をくれる。
マスターのこの返しからすると、現実離れした登場方法ではなさそうで
今日が平日であるためか、それともこのカフェの立地条件が悪いのか不明であるが、他にお客はいない。僕たちはマスターの真向かいに並んで腰を下ろした。
美沙の口数がやけに少ないことに気付き視線を向けると、不思議そうに周りをキョロキョロと見回している。
「ん?どうかした?」
「いや、なんでもないけど......どっかで見た気がするの......この風景」
「それってよくあるデジャブってやつじゃない?」
「そうなのかなー? ...... ま、いっか」
そんな何気ない会話にマスターが割って入る。
「お二人さんはカップルかい?お似合いだねー」
突然の質問に答えあぐねていると、美沙に先手を取られる。
「仲良いでしょー。でも私たち、いとこ同士なんですよー」
「そう、今日はどっから来たの?」
「宇治から来ました!」と、これも美沙が答える。
「宇治かぁー。いいところだね。そういえば僕の知り合いが
僕はその聞き覚えのある店名に即座に反応するが、美沙は通常運転真っ最中だった。
「美沙、井上藤二郎堂本店ってアルバイト先じゃない?」とアシストを出すと、その事実にようやく気づいたのか、キラキラした眼差しをマスターに向けた。
「えー、そのお店って明日から私がバイトするところなんですよー。そのナントカ堂本店!」
きっと覚える気がさらさらないのだろう。ここらに美沙のアイデンティティを感じてしまい少し微笑む。
「昨日ですね、珈琲の淹れ方を店長の井上さんに教えてもらったんです。で、褒められちゃったー。テヘッ」
「へぇー。あの頑固な井上さんを褒めさせるって?こりゃスゴイや。一度飲んで見たいもんだな」
『あ、遅くなってごめんごめん!』とスエード調の表紙のメニュー本を差し出してくれる。それをペラペラと
「珈琲って色々と種類があるんですねー」と興味津々の様子だ。そして
「じゃあ、アイスミルクティください!」
(ーー 珈琲じゃないんかーーい!)
思わず心のツッコミが炸裂してしまう。
話を聞くとどうも美沙は珈琲が
「マスターさんってお名前なんて言うんですか?あ、私は城之内美沙って言います」と突然の質問。
「城之内賢太朗です」と僕は慌ててあとを追う。
「
「じゃあ、北野さんって呼びますねー。あ、北野さんってよく見るとクマのプーさんみたいでカワイイですね!」
「ん?ありがとう。褒め言葉としていただいとくよ!」と満面の笑みで答える。
(美沙はどんな目をしてるんだ?どう見てもワイルドイケメン男子じゃん...)とそれを否定したものの、それとは別に失礼を
「賢太朗君は何にする?」
「あ、僕はーー」と慌ててメニューに目を落とすと、一つの品が目にとまった。
ーー マスターのオススメーー
今月の旅する珈琲 ¥3000ー
【あなたも世界を旅してみませんか?】
今月はパナマ エスメラルダ「ゲイシャ」です
「タッカ!」
思わず声が漏れ出た僕に、マスターはケラケラと笑いを向ける。
「旅のやつかな?」
「あ、はい。ごめんなさい」
「これはね。僕が世界中を回って出会った珈琲の中で『これだ!』っていうものを出してるんだ。確かに高いけど、これでもほぼ原価なんだよね」
『旅』と『珈琲』というキーワードが気になりつつも、やはりお小遣いの範囲内で楽しめるブレンドに落ち着く。
そして暫しの静寂。
焙煎機の中で豆が転がる音。
鼻先を
マスターの真剣な眼差し。
サイフォンからの
喫茶専門店ならではの五感を刺激するそれらに浸りながらも、ふとカウンターの壁に貼られたポスターが目に止まる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[第一回 3時のスイーツコンテスト]
君たちが創る3時のスイーツが世界を救う!
高校生ペアー出場者募集中。
1994年8月21日 京都文化ホールにて
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工夫を凝らしたプレートに、そっと寄り添う珈琲。今にも甘い
「北野さん、あのコンテストって何ですか?」
「あー、これね。3時のおやつ文化を復活させようって僕らが企画したものさ。高校生限定で、しかもペアーで出るのが条件だからね。もしよかったら君たちも出てみるかい?」
「えっとーー」と隣の美沙に視線を向けると、カウンターの中を覗き込み、マスターの作業を食い入る様に観察している様子である。
(きっと明日からのバイトに何か生かそうとでもしているのだろう)
僕はそう捉えて、「はい、ちょっと考えておきます」と京都人ならではの『お断りサイン』ぽい答えを取り敢えず出しておく。
それでも美沙は、僕たちの会話を気にもせず、サイフォンの中を移動する珈琲を黙ったまま見つめていた。
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