第9話 いるじゃん。

「ねぇねぇ、明日ってどこ行くー?」



右手のタオルで髪をワシャワシャと乾かしながら、パジャマ姿の美沙が和室に入ってくる。

ちなみに、美沙が食事の準備と片付け。僕がお風呂掃除含めた掃除全般。それが二人の暗黙の役割分担になっていた。



「1994年の京都かぁ。そう言えば2020年に比べると結構違ってたなー。京都駅も古かったし、京都タワーも何だか色褪いろあせてたし」


「ん?京都駅って新しくなるのー?」


「僕が生まれた時から変わってないみたいだから、たぶんその間で建て替えられたんじゃない?」


「ふーん。いっくんって何年生まれだったっけ?」


「平成14年!」


「わかるかっ!西暦で言ってよ!」


「ん?美沙って平成何年生まれだっけ?」


「......絶対喧嘩売ってるでしょ?わたしゃ昭和後期を駆け抜けた女よ!昭和51年生まれ!」



(ヤバい、これ以上は機嫌を損ねる......)



「ゴメンナサイ。2002年生まれです。僕」と反省の態度をかもし出しておく。


「ワッカ!いっくんが生まれた時って私何歳?1976年生まれだから...... えっとー」


指折り数えながら徐々に正解に近づく。

が、僕は待ちきれなかった。


「26歳な」


「おー、いっくん計算ハヤ!」


「夏休みが終わる頃には、僕の特訓のおかげでこのくらいできるようになってるはずだよ。きっと」


「それはありがたいのぅ。お爺さんや」


(年下なんですが......)と思考のみで。



美沙はあれ以来、未来について聞いてこない。

予知夢で見た2011年ーー 彼女が亡くなるであろう年。どうしてそうなるのかと尋ねても、『そこまでは見えない』とのことだった。



(それまであと17年か...... 美沙は35歳)


(もし運命が変えられるのであれば、何としてでも変えてあげたいんだけど......)



「で、何の話してたんだっけ?」と、現在シリアス展開中の僕の思考に、美沙が割り込んでくる。


「あー、明日の作戦会議の話だよ」

「なー美沙、嵐山に行かない?行きたいところがあるんだー」


「え?どこどこ?もしかして美空ひばり記念館とか?今年3月にオープンしたばかりで、人いっぱいらしいよー」


「ん?えらい渋いとこ突いてくるな。たしか子供の頃に閉館しちゃった気がするけど......」


「えー、もうないのー?」


「うん、もう潰れた」と一言伝えて続けた。


「行きたいのはそこじゃないよ。どうしても行っておきたいカフェがあるんだー」


「お!カフェー!いいねー。そこでもアルバイトしちゃおっかしら?また褒められたらどーしよー」



今日の合格通知と職場体験を思い出したのか、再び上機嫌になる。美沙がご機嫌だと僕も平和で、とてもがたいの一言に尽きる。

そんなこんなで二人の会話の中で、明日の予定が決まっていく。



「じゃあ、今からは少し志向を変えて、いつものお勉強タイムといきますかー!」


「はい、いっくん先生!」



(素直ならカワイイ笑顔なんだけどな......)




夏休みの課題を小一時間ほどこなし、今日一日が無事に終わろうとしている。


僕にとっては、この何気ない二人の時間が気に入っている。一人じゃない安心感もそうだが、彼女と過ごすと単純に楽しい。きっと気が合うのだろう。



ふと横に目をやると、横になる美沙の意識は既に落ちていた。(明るい部屋でよく寝れるもんだな...相当疲れたんだな。今日は...)と思いながらも美沙を揺すり起こそうとした時、ふいな寝言が耳に届く。



『わたしを...... 一人にしないで...... 』



僕は涼子さんからの手紙で聞いていた『彼女の歩み』を思い出していた。



(今日のように涼子さんがいない日も、ずっと一人で過ごしてきたのかな......)


(ずっと淋しい想いを押し殺してきたのかな?)


(文句言わずに我慢してたんかな?)


(本音の世界。辛かったのかな?)



優しく彼女の肩に手をかけ、そっとつぶやく。



『僕がいるじゃん......』



僕は彼女を抱きかかえ、寝室へと運んだ。

起こさぬように、気づかれぬように。


優しく、優しく。

大切に。大切に。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※※※※※



「いっくん、起きてー!」



はるか遠くの方から声が聞こえる。


でもまだ眠い......

もう少しここにいたい.......

ここから出たくない......



さらに。


「朝ですよー!」という声に続き、カンカンカンとなり続ける甲高かんだかい金属音。


さすがに金属音の連符れんぷには耐えきれずに二度寝は諦める。

上半身を布団から起こし、その音の発生源に目を向けるとフライパンとオタマを持つ美沙がいた。

このまま起きなかった場合は、あの2つの武器でおそらく調理されていただろう。



「昭和... の、母ちゃん.......」



今日の第一声としては、我ながらシュールだ。

あまりに小さな呟きだったため、美沙の耳には届かなかったようで思わずホッと胸をなでおろす。



「悪かったわね!昭和で」



(うっ、やはり本音は見抜かれるんだ...)



昨夜は美沙を寝かせたあと、あの寝言が頭から離れず相当寝つきが悪い夜となってしまった。今のこの眠さの言い訳はそんなところだ。



「おはよう、美沙。昨日はよくねむれた?」


「うん。もちろん。寝つきと寝起きの良さは、お母さん譲りなの。毎日任せて!」



まだ半分寝ぼけた思考でも、それはすぐに納得できた。ほんとうらやましい限りである。



「さ、貴重な休日。もったいないことはさせないわよー。早く食べて出かけましょー」

「でーと、でーと!」



今日も朝からご機嫌だ。



(平和な一日でありますように...)



僕は心でそう祈り、朝ご飯にはしをつける。


「お!この卵の半熟具合美味い!さすが美沙」

という僕の笑顔に、美沙が一言。


「昨日の夜、ありがとね!」


「ん?なにが?」


『いっくんがいるじゃん!』


「もしかして起きてた?」


「ん?ナイショー!」



その美沙の嬉しそうな笑顔が、ただただ嬉しかった。



(今日はいい1日になりそうだ!)

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