第8話 動き出す、運命。

「いっくーーーん、おかえりーーーっ」



玄関を開けると突然、超ご機嫌な美沙が思いっきり抱きついてきた。と同時に有無も言わさず、ボリューミーな彼女の声たちが徒党ととうを組んで押し寄せてくる。



「受かったのアルバイト!昨日言ってたナントカ堂本店!やったー。これで私も立派な社会人よ!褒めて褒めてー」

「自分でかせいだお金で何買っちゃおっかなー。うまい棒?チロルチョコ?うーん迷っちゃうなー。いっくんにも一つだけならちゃーんとあげるからね!あとそれとねーーーーーーーー」



声のサイズと反比例して結構スケールが小さいことに少し呆れながらも、記憶をつかさど海馬かいばから美沙の声をそっと遮断した。

『そっ閉じ』をするいとますら与えてもらえなかった状況における自己防衛である。

誰に向かってぶっ放しているのかわからないマシンガントークがはるか遠くで響いている。



(まぁいっか...... 嬉しそうだし)


(平和が一番......だな)


(それにしても、店名覚えてないのによく受かったもんだ......)


(将来のために貯金するって言ってたけど、全部速攻で使ってしまいそうな予感しかしない......)


(いつまで続くんだろう...... これ)


(美沙って、こんな性格だったっけな......)



先程『遮断』した回路を再び繋いてみる。



「ーーーーー、でねでね、聞いてるの?いっくん。ねーねー。今日ね、お店行って珈琲いれる練習させてもらったんだー。そしたらねー、それ飲んだ店長が急に幸せそーな顔になってね!一瞬フワッと空飛んだー!なんて言ってたの。オイシイって褒められちゃった!それからねーーーーーーー」



再び『遮断』。思わず。



(まだ続いてる......)

(ーーこりゃどうしたもんかいな)


(今までこんな経験したことがなかったから嬉しいんだろうな......)


(でもそろそろ止めないと...... キリがない)


(そうだ、この手を試してみるか......)



意識をこっちの世界に戻し、「美沙!!」と視線を捉えて叫ぶ。

美沙の声と動きが、ピタッと止まった。




「オテ!」




細くて柔らかい小さな手が、僕のてのひらにちょこんと乗ってくる。



「オスワリ!」

テーブルを指差す。



既に夕飯が準備されているテーブルに美沙は静かに座った。思惑通り大成功である。グチャグチャと言い訳するよりも、直球勝負の方が美沙には効くようだ。

また一つ、僕は美沙のコントロール方法を編み出した。もしこれが通用しなかった場合の第二案も既に用意してはあったが、恥ずかしいので今は言わないでおく。



(来週、涼子さんが帰ったら早速自慢しよう!)



僕は改めて「ただいまー」と微笑みながら靴を脱ぎ、ようやく部屋にあがることができた。



「おかえりなさい、いっくん」


「面接合格、おめでとう!良かったじゃん」


「うん、ありがとう」



今日の夕飯は、大きめの野菜がゴロつくカレーライスである。やはり美沙が作る料理は抜群に美味しい。ここまで美味しいと逆にこの美味しさを超えたものを作りたくなるのが僕の性分であるが、今日は美沙の笑顔に浸って幸せな気分を味わうことに専念することにした。


食べながらのしばしの談笑。

僕は今日1日の出来事を、美沙はバイト先の人のことやシフトのこと、教えてもらったメニューの作り方などほぼアルバイトのことのみを話し続けている。余程働けることにワクワクしているのだろう。わかりやすい性格だ。


カレーを頬張りながら、隣の和室から聞こえてくるテレビの音にふと気がつく。



『ーーーー続きましては気象情報です。ーーー発生しました台風19号は、ーーーーしながら北上を続け、ーーーー週末には西日本に上陸する恐れーーーーでしょう』



(ん?今週末って、もしかしたら台風来るのかなぁ...)



頭をよぎる何気無い心配ごと。

それでも目の前の美沙は、僕の思考を気にすることもなく別の話題へと切り替えた。



「ねえ、明日は何するー?」



そう言えば明日はお休みだ。美沙のアルバイトも明後日あさってからということもあり、二人がそろってフリーな一日となっていた。



「美沙は何かしたいことある?例えば友達と遊ぶとか......」


美沙は「友達かぁ」と考え込んでしまう。

もしかすると心許す友達がいないのではないかと今更ながらに思いついてしまう。


(本音が見えてしまうから嫌だって言ってたよな...)


あまり深く考えないままの発言に後悔していると美沙から微笑み混じりの声が届く。



「今私のこと心配してくれてるでしょ?大丈夫よ。昔とは違うわよ。みんなこのこと知らないし。これでも友達はちゃんといるんだから!多くはないけどねー」



僕はすっかり2020年の友達付き合いに毒されてしまっていたようだ。常にスマートフォン片手にメッセージアプリのやり取り。返信に遅れまいと常時チェック。未読だの既読だのとうるさい閉鎖空間。


この世界は、僕の知識ではポケットベルなるものがようやく普及し始めたくらいだろう。一部の裕福な家庭の子が携帯電話を持ち始めた時期だと記憶している。


コミュニケーションツールを持ち合わせてない高校生はきっとゴマンといるはずだ。この子たちがもし未来の世界にそのままでやってきたとしたら。ほぼ『コミュ障』の域だと思う。


夏休みの始まりから終わりまで、1回もコミュニケーションを取らない友人の方が多いのは当たり前な気がした。



(どっちの世界が幸せだろう......)



僕はそんなことをツイツイ考えてしまう。



(僕はこっちの世界の方が好きだな......)



が結論だ。



「ーー、いっくん?いっくんてばー、ねえ」


「......あ、はい?」


「何ボーッとしてるの?聞いてた?今言ったこと」


「あ、えっ?......ゴメンゴメン、なんだっけ?ちょっと考え事してた」


「もうちゃんと聞いてよね!」とため息一つついて続ける。



「明日はデートしようって言ったの!」



僕はその言葉の意味が飲み込めずに、いや思いがけぬ一言で受け入れるのに時間がかかってしまい、無言で美沙を見つめてしまう。

美沙は目線をそらして頬を赤らめている。



(デートかぁ...... 久しぶりだな...... ん?)



元の世界では、デートという言葉が余りにも日常のあちこちに散らばっていたせいか、一瞬自分も体験済みだと勘違いしてしまう。



(いやいや、久しぶりも何も、初めてじゃん!女の子とデートなんて)


(でも、ここで断る理由もないし、第一、断ったとしてもたぶん受け入れてくれないだろう。美沙の性格からすると...... )


(じゃあ答えはもう一つしかないじゃん......まるで一択問題だな)



「いいよ。じゃあ、ご飯食べたら作戦会議しようよ」


「うん!」



一択問題、やはり正解。

そんな美沙の笑顔に、僕の心もつられて笑顔になっていく。



(あの嵐山の喫茶店でも言ってみようかな......何かわかるかもしれないし)



この思い付きが、2020年の僕を思いがけない方へ向かわすことを、この時はまだ知らない。

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